薬師寺を後にして、西ノ京の大池(勝間田池)に向かいます。
西ノ京駅の踏切で見た近鉄1233系ほかの橿原神宮前行の急行です。
西ノ京で見たライトブルーの奈良交通バスです。
64系統の奈良医療センター行ですから、これから歩いて行く方向に向かうバスです。でも乗りません。
これは本来は「ぐるっとバス」の「大宮通りルート」用塗装のような気がします。
西ノ京駅の薬師寺西塔の相輪が見えるところまで歩いたときに田原本線の運用交代のための回送と思われる8400系の820系復刻塗装車がやってきました。
2018年4月に田原本線で撮影した8400系の820系復刻塗装車です。このときは旧「大和鉄道」の社章マークつきでした。
薬師寺の西側で撮影した近鉄1021系ほかです。
近鉄12400系の特急です。
大池に向かう途中の6条1丁目の坂の上から見た薬師寺の西塔と東塔です。
手前の西塔は東塔の創建当時の姿と同じ建築物です。西塔は、1000年も経てば建物も老化してきて屋根の反りがなくなり東塔と同じような屋根の形になるという話を宮大工の方から伺ったことがあります。
また、現在は高さも西塔のほうが高いのですが、これもまた基礎部分の沈下などにより500年後に東塔の高さと揃う設計になっています。
大池に着きました。カメが泳いていました。『もしもし』
この場所は国立病院機構 奈良医療センターがある場所で、その病院には、以前に奈良県人の叔父が入院していたことがあります。
その大池の南西側から見た薬師寺です。ここは昔から有名な薬師寺の撮影地です。
写真家の入江泰吉氏(1905年-1992年)が好んで撮影していたところです。
目で見た感じは、目を凝らしても西塔と東塔はこれぐらいの大きさです。後方の山は奈良の若草山(三笠山)です。
実は、若草山というのは歴史的には新しい名称です。これは1935年(昭和10年)に、この山の元の名前から三笠宮家(昭和天皇の弟宮家)が創設されたために、三笠宮様に遠慮するような形で、山の呼び方を三笠山から若草山に変えたのです。
そういう事情ですので、奈良では、三笠山(みかさやま)=御蓋山(みかさやま)=若草山(わかくさやま)=春日山(春日山は、やや広範囲で三笠山を含む山々ですが三笠山の意味で使っても誤用ではない)という関係にあり、全て同じ山のことです。また両面焼きの「どら焼」の「三笠」も、この三笠山の形から命名されたものです。
三笠の山に 出でし月かも
400㎜クラスの望遠レンズでの撮影です。
「三笠」とも呼ばれる「どら焼き」の一例です。
日露戦争で活躍した戦艦三笠も三笠山からの命名です。
天気がそれほどよくないことと、緊急事態宣言解除待ちだったので、やむを得ないことですが、6月のモワっとした空気感のため、この程度の画像です。
西ノ京駅に戻りました。
近鉄らしい南都銀行のキャッシュコーナーが西ノ京駅にありました。
『南都は夢の始発駅』
西ノ京駅から8600系の急行で大和西大寺駅へ。
往路のときに同じホームで乗り換えた大和西大寺駅で少し違和感を感じたため、駅舎の様子を確認しました。
新しい通路ができているようです。
JR尼崎駅のような中央改札口ができており、改札口の外側には南北をつなぐ自由通路が開通していたのでした。
ここで下車すると運賃が高くなるため、改札内のギリギリのところで自由通路を撮影しました。
スマホで調べたところ大和西大寺駅の南北自由通路と中央改札口の供用開始は2020年4月19日でした。
いま思えば、2020年4月16日に緊急事態宣言が全国に拡大された3日後の供用開始だったのですね。
↓【引用】
近鉄は大和西大寺駅南北自由通路が4月19日(日)に一部供用開始されることに合わせ、4月18日(土)の最終列車後に北改札口を閉鎖し、南北自由通路に接続した中央改札口の供用を開始します。(南改札口は引き続き利用可)
2020年4月現在の構内図です。
往路での違和感というのは、大和西大寺駅から橿原神宮前行の普通電車の乗車したときに、この「元・北改札口」が取り壊されようとしていることに気づいたのです。
この旅の最後に大和西大寺駅で12200系を目撃しました。
(おしまい)