2011年のスイス鉄道の旅の続きです。
ジュネーブからシンプロントンネルを通り抜けてミラノ中央駅に着きました。
写真ではスケールが分かりにくいミラノ中央駅の駅舎正面です。
ミラノ中央駅は、1906年(明治39年)のシンプロントンネルの開通後の旅客数の急増により旧ミラノ中央駅に代わる駅として計画されました。
ところがイタリアの経済危機などの問題により工事が遅れ、ムッソリーニの時代の1931年(昭和6年)にようやく完成しました。
悪く言えばムッソリーニ政権時代の象徴のようなデザインになっている面があります。
ミラノ中央駅は、私が見た中では世界一壮麗な駅舎です。この後の2018年にもミラノ中央駅を利用していますが、現在は改札口が設けられており、この2011年のときのような、鉄道チケットなしのままで自由にプラットホームまで入ることができなくなっていました。
参考画像:ヨーロッパ最大の面積を誇る駅であるドイツ・ライプツィヒ中央駅(1915年竣工)
2015年9月に利用したドイツのライプツィヒ中央駅です。面積の上では、こちらがヨーロッパ最大の駅です。
しかしながら、ライプツィヒ中央駅はミラノ中央駅のような壮麗なデザインではありません。
ミラノには3回行っていますが、2回目のこのときは列車の乗り換え時間程度の滞在でした。
ミラノ中央駅の駅舎正面から見て左サイドにあるトラム(ミラノ市電)のターミナルです。
このあたりは、やや治安が悪そうな感じでした。
イタリアのミラノからチューリッヒまでEC(ユーロシティ)に乗車する予定でした。
画像は、この2011年に乗車することを想定していたETR470同形車のチザルピーノです。
ところが、この日は詳しい理由は不明ながらもユーロシティ専用車両の手配がつかず代走列車に乗車することになりました。
語学力がほとんどないため、車掌にチケットを見せて、チューリッヒ行の列車であることを確認したところ、「この列車に乗ってください」ということでした。このときは、この列車にどこまで乗るのかは不明でした。
イタリア側の代走車はイタリア国内用のインターシティの客車でした。イタリアの電気機関車が牽引しています。
1等車も満席状態で、指定された席がコンパートメント式客車の対面式6人ボックスの3列席の中央という悪い場所でした。
そのため、画像は2009年にイタリア国内のジェノバからミラノまで乗車した同タイプのコンパートメント1等客車の画像で代用しています。
途中駅に着いたときに、その客車から乗客がゾロゾロと出て行きました。よく分からなかったので、私の言葉を理解できる人に確認したところ、「この駅でスイスの列車に乗り換えるのだ」ということでした。
その駅は、イタリアからスイスに入ったところにあるキアッソ駅だと思います。
キアッソ駅からチューリッヒ中央駅まで乗車したスイス側のユーロシティの代走車両RABe524形です。
こんなところで誤乗車をしてしまうとリカバリーが困難なので、駅員に「この列車はチューリッヒに行きますよね?」ということを確認してから乗車しました。
この画像が代走列車の長い編成の先頭車にあった1等車の車内です。乗り換えのときに、ここまで歩いてきた乗客は私以外にはおらず、終点のチューリッヒまで貸切状態でした。日本流に言うと381系のような特急車両に乗る予定だったものが代走の115系の快速電車用車両に乗っているという感じです。(よくわからん?)
これはルガノ湖付近でしょうか。
ビアスカ、ボーディオを過ぎるとゴッタルド峠をサミットとする、(実用目的の鉄道としては)世界屈指の山岳鉄道路線に入っていきます。
旧線(在来線)のルートと新線のゴッタルドベース(基底)トンネルの位置関係を示す概略図です。ゴッタルドベーストンネルは地図上ではゴッタルド峠から少し離れた場所にあります。
この区間の直通列車は2016年6月に開通したゴッダルドベース(基底)トンネル内の運行に変わっていますが、生活路線である旧線(在来線と書くべきでしょうが、旧ルートという意味で以下は「旧線」とします)を走るローカル列車は今も健在です。
旧線には、ゴッダルドトンネルの北側と南側の両方に「ゴッダルド線」の列車が高低差を乗り越えるための複雑なループ線がいくつも設けられているのです。
参考情報【スイス国鉄のゴッダルド峠付近の2020年5月現在の運行ダイヤ】
1.ゴッタルド峠を通過する旧線ダイヤ(2020年5月現在のダイヤの抜粋「エルストフェルト→ジョルニコ」で検索)
2020年5月現在の旧線を走るRE(快速系の「レギオエクスプレス」という名称の普通列車)のダイヤの一部の抜粋です。データイムは1時間に1本の運行があるようです。
2.2016年年6月に開通した新線であるゴッタルドベーストンネルを通過する優等列車のダイヤ(2020年5月現在のダイヤの抜粋)
こちらはゴッダルドベース(基底)トンネルを通過するEC(国際列車のユーロシティ)およびスイス国内列車のIC(インターシティ)のダイヤの抜粋です。ゴッタルド峠付近には停車駅がないため、トンネル両端の直近停車駅であるアルト・ゴルダウ~ベリンツォナ間のダイヤです。
私が2018年に乗車したときには、この区間のECの所要時間は1時間ジャストでしたが、その後のスピードアップにより両駅間の所用時間が52分に短縮されていました。
ゴッダルドベーストンネルが掘削された大きな目的は、スイスのアルプスを越えてドイツ・フランスとイタリア間の相互を結ぶ貨物輸送が、既存の道路と鉄道の輸送力を合わせても能力の限界に達しており、鉄道の新線を作ることによって大幅な貨物輸送力の増強を図るのが狙いです。ついでに直通旅客の輸送時間も短縮できるということです。(新トンネル開通後は旅客も増加しているそうです)
新線開通前のゴッタルド峠の鉄道の旧線は、山岳路線のため貨物列車を重連または三重連の電気機関車が牽引しても1列車で最大2,000トンの輸送力が限度でした。それが新線では1列車で最大4,000トンの貨物輸送が可能になったのです。
2016年6月1日のゴッダルドベーストンネルの開通式には、スイスのシュナイダー・アマン大統領、フランスのオランド大統領、ドイツのメルケル首相およびイタリアのレンツィ首相も列席しました。
『トンネル開業は欧州の経済と人を一つに結ぶ』というのがスイスのシュナイダー・アマン大統領の開通式典での言葉でした。
ゴッタルド峠は日本で言えば中山道の碓井峠のようなものであり、古くからドイツとイタリアを結ぶ最短コースの街道上で一番の難所でした。
この峠の名前のゴッタルド(伊)は11世紀のバイエルン公国のヒルデスハイムの聖人ゴタード(ゴタードはイタリア語でドイツ語ではゴートハルト)から名付けたものです。13世紀に峠道の難所のところに木橋が架けられました。それが中世ヨーロッパ時代であるため、建設に苦心した橋を「魔橋」にしてしまう伝説が作られ、それが今に伝わっています。
画像の左の絵の古い石橋は18世紀に架橋されたものです。19世紀になると、右の絵のような、やや近代的な道路が増設されました。
このゴッダルド峠の街道(物流経路)を13世紀末まで支配したのが、現・スイス国内を起源とするドイツ系貴族のハプスブルク家でした。そのハプスブルク家も、1315年のモルガルテンの戦いで、ハプスブルク家に対抗する勢力であった「コミューン」の同盟軍(各都市による原初同盟)に敗れ去りました。その後、コミューン(都市)の同盟数を拡張していったコミューン同盟が現在のスイス連邦という国家の基礎になっています。
ゴッタルド峠の北側はドイツ語圏(峠名はSankt Gotthard, ザンクト・ゴットハルト)で、南側はイタリア語圏(峠名はSan Gottardo, サン・ゴッタルド)です。「ゴッタルド」はイタリア語での読み方になります。
この2011年は、まだEC(ユーロシティ)もゴッダルド峠の旧線を走っていました。
(前述のとおり、この乗車日は代走のレギオエクスプレス用の車両でした)
最初に通過したのがゴッタルドトンネルの南側にあるジョルニコの「ビアシーナ」のループ線(Biaschina Loop)です。
こういうメガネ型の複雑なループ線になっています。この絵の中の赤色に塗った軌道がトンネルの外ですのでループ区間の大部分はトンネルの中を通過します。
トンネル内が曲線区間になっていることは体感でなんとか分かりました。
(参考画像)スイス・レ―ティッシュ鉄道ベルニナ線のブルージオ橋
観光鉄道の場合は、実用と見た目の両方にこだわっていますが、生活路線では、こういうループ線全体の景色を目で楽しむことは難しいです。
続いてオスコ付近の連続2回転ループ線の2つ目のループです。
これが連続2回転ループの登坂前の軌道からループ線の回転先の軌道を見たところです。
ループ線を回り終えて登坂前に通過した軌道を見下ろしているところです。
ゴッタルドトンネルに向かっています。
1881年(日本の明治14年)に第一トンネルが開通したゴッタルドトンネルです。第一トンネルの供用開始は1882年(明治15年)です。1916年(大正5年)に複線になり、電化されたのは1920年(大正9年)でした。
トンネルの全長は約15kmで、ゴッダルドトンネル内にあるサミットの標高は1,151mです。
標高1,375mの野辺山駅付近よりも低いということです。
ゴッタルドトンネルを抜けた北側にヴァッセンという町(基礎自治体・コミューン)があります。
このヴァッセン付近は2つのヘアピンカーブの組み合わせ(さらに、この図の北側にもループ線があり、そこでもう1回転します)によって高低差をクリアーする形の勾配区間になっています。しかも直線区間の大部分はトンネルの外を走ります。
町の中心にあるヴァッセンの教会が目印になります。
北に向かって坂道を下っていく最上段のA地点から見たヴァッセンの教会です。
たまたま1つ目のヘアピンカーブの先にあるB地点が見えました。
1つ目のヘアピンカーブを回り終わる直前に見たヴァッセンの教会です。教会の尖塔の位置がA地点とは逆になっています。
1つ目と2つ目のヘアピンカーブの中間点ぐらいから振り返って眺めたヴァッセンの教会です。
A地点よりも高度が下がり、教会と同じぐらいの軌道の高さになっています。
2つ目のヘアピンカーブを回り終えて、ヴァッセンの教会を見上げながら再び北に向かって進み、この先で、さらにもう1カ所あるループ線を1周します。
D地点では、もうロイス川の谷底の堤防のような場所まで高度が下がっています。
ガラ空きの代走車で、しかも快速電車の車両だったために、車内から景色を撮影しやすかったのはラッキーでした。
「よく考えて撮っているなあ」と思われるかもしれませんけれども、このときは無我夢中で撮っていただけでした。
今回の記事を書くために撮影画像と地図を照合したことにより、正確な撮影地点を初めて知りました。
ゴッタルド峠の区間が終わるあたりです。ちょうどゴッタルドベーストンネルの北端の工事基地(2011年当時)と思われるところが見えました。
チューリッヒ湖を眺めながらチューリッヒ中央駅までの最終区間を走っています。
この旧線ルート経由のミラノ~チューリッヒ間の移動では、本来の車両であるEC用の振子式特急車両「チザルピーノ」でも、その性能を十分に発揮できないような路線だったため、代走車両でもミラノ~チューリッヒ間の所用時間が「チザルピーノ」とほとんど変わりませんでした。
退屈なので、115系(?)の車内で記念撮影をしました。
当時のメモ書きをそのまま転記します。
『小道具のハンカチを取り出して撮影しました。このハンカチは、この旅行の3年ほど前(2008年頃のこと)に京都のHさんから頂いたものです。
これは京都の「RAAK本店」の汽車柄の手拭いハンカチなのですが、ドイツにもイタリアにも持って行きながら、その過去2回はスーツケースの奥に仕舞い込み、結局、出し忘れのために日の目を見なかったのでございました。
♪汽車の窓からハンケチ振れば・・ (「高原列車は行く」からの引用です) 』
ということを、この車内でメモに記入しました。
先日のニュースによりますと「あなたが選んだ古関裕而メロディ(2019年12月から2020年2月までが投票期間)」の投票による古関メロディの人気第1位は1954年発売の「高原列車は行く」だったそうです。私がまだ生まれていない頃に作られた曲です。
日が暮れる時刻にチューリッヒ中央駅に着きました。
駅前で撮影したチューリッヒのトラムです。
リマト川を渡るチューリッヒのトラムとフラウミュンスター(聖母聖堂)の尖塔です。たしか、マルク・シャガールが作ったステンドグラスがある教会です。(その内部は撮影禁止です)
2011年はチューリッヒ中央駅で乗り換えただけでしたが。2018年6月にチューリッヒを再訪問しました。
このときはチューリッヒ湖の湖岸まで行き、チューリッヒのトラムにも乗車しました。(2018年)
チューリッヒ中央駅から宿泊地のジュネーブまでスイス国内のインターシティで帰ります。(2011年)
これが乗車したIC2000形のダブルデッカーの1等客車です。
スイスの車両の扉はプッシュボタン式の半自動ドアです。乗降客の通過後に一分程度の時間が経過すると、出発時間とは無関係に、警告音が鳴って扉が自動的に閉まります。
1等車の2階席は空いていました。
この車両は、1階がビストロカー(軽食用)で2階がレストランカーでした。
参考情報(スイス国鉄(スイス連邦鉄道)では、現在は前日までに駅でレストランカーの事前予約を入れることができるそうです)
この乗車時には、もちろん2階のレストランカーで夕食にしました。
このときの食堂車のシュパイゼカルテ(メニューのこと)は、スイス人の母国語のうちのドイツ語・フランス語・イタリア語の3種類で書かれており、スイス人の母国語ではない英語の記載はありませんでした。
メニューなら、ドイツ語でも何となく判読できるため、スイスの白ワイン(Eric Leyvraz)をオーダーしました。
メニューはスイス料理とインターナショナル(国際)料理(このときはインドネシア&マレーシア料理のナシゴレンなど)に分類されていました。
メニューの中にロシア料理のストロガノフがあったので、それをオーダーしました。皿の奥側はライスではなくパスタです。
この夕食のストロガノフは、同じ日の昼食で食べた「スパゲティ・ボロネーゼ」よりも格段に美味しかったです。
白ワイン(小)とストロガノフを合わせて35.80スイスフランでした。この夜のウェーターの対応が、たいへん親切だったため、席を立つときにウェーターに対して、いつもより丁重に礼を言い、チップも普段の1.5倍ぐらいを渡しました。
この記事の投稿前に最新のスイスの食堂車メニューを確認したところ「タイのグリーンカレー」がメニューに載っていました。
また、ジュネーブ空港~ザンクトガレン間で、この車両の2階の食堂車部分をスターバックスの店舗に改装した「走るスタバ」があるという話を聞いたことがあります。
帰路のローザンヌ駅停車時に隣のホームに停まっているTGVリリア(フランス国鉄とスイス国鉄の共同運行)を見ました。
インターシティでは車内販売が回ってきます。「カフェ ビッテ」とか「アン カフェ シルブープレ」などと注文すると、 販売員が車販ワゴンに搭載されているエスプレッソマシンでコーヒーを淹れてくれます。画像のようにコーヒー豆の焙煎業者はイタリアのラバッツァでした。
もうすぐ終着のジュネーブ・コルナヴァン駅です。
(おわり)