EF6627撮影記&自宅発掘画像 | 鉄道で行く旅

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↑2019年12月5日に野田駅付近で撮影した動画から切り出した画像の再掲載です。

これ以来、見ていなかったEF6627が地元の近くを走るという情報をキャッチしましたので、買い物のついでに撮影に出かけました。

買い物というのは、カラスの繁殖期なのか自宅周辺にカラスが何羽も飛来するようになったため、ホームセンターでカラス対策用品を買いたいということでした。

 

【個人的な近況です】

もう読まないであろう書棚の蔵書を家に長く居る機会に整理しました。中でも、昔の辞書やビジネス関係の膨大な書籍を思い切って廃棄しました。それでも、誤った情報が紛れ込んでいることが多いインターネット情報よりも信頼できそうな趣味関係の蔵書は残してあります。もちろん書籍の記載内容も間違いがゼロというわけではありません。

2020年5月12日です。阪神なんば線乗車時の近鉄9820系の車内です。

 

千鳥橋駅から六軒家川の六軒家橋(人道・自転車橋)まで歩きました。

 

買い物先の「コーナンPRO 西九条春日出店」が右端に見えています。手前の柱とネットは大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校(統合前の前身校は大阪市立扇町高等学校および大阪市立此花工業高等学校)のグラウンドのフェンス部分です。

 

EF6627が牽引するコンテナ貨物列車がやってきました。

 

六軒家川の中間点を走るEF6627です。

 

橋梁の最後のスパンのところではズームアウトして貨物編成のコンテナを入れました。

EF6627の撮影記はここまでです。

 

続いて自宅籠城中に発見した画像です。

「2013年・下関のロンドンバス乗車記(後編)」の取材時は、門司の『北九州銀行レトロライン「潮風号」』が冬季運休中だったため、牽引機の画像を説明することができなかったのですが、このほど南阿蘇鉄道時代の同機の画像が見つかりました。

 

↑南阿蘇鉄道「ゆうすげ号」牽引機時代のDB102の画像です。(1992年8月)

♪ゆうすげは 淡い黄色よ 夜に咲き 朝に散る花 (森進一さんの「ゆうすげの恋」から)

 

南阿蘇鉄道高森線の高森駅で撮影したMT2000形2002号の「りんどう」です。(1992年8月)

「ゆうすげ」が森進一さんなら、こちらの「りんどう」は島倉千代子さんでしょうか。

私は、その曲がヒットした時代は全く知らないのですが、島倉千代子さんの「りんどう峠」という曲は作詞が西条八十さんで、作曲が古賀政男さんでした。

古賀政男氏の故郷の福岡県大川市にある古賀政男記念館です。(2000年撮影)

 

♪まぼろしの 影を慕いて 雨に日に ・・・

古賀政男記念館前にある銅像です。(2000年撮影)

日本コロムビアに入社した古関裕而氏は、当初は全くヒット曲を作ることができず、会社から「クビ」を言い渡されるところだったのですが、古賀政男さんが「古関君(←古賀氏よりも5歳年下)の曲は今は売れていないが、彼には才能があるので、必ずヒット作を生み出すはずだ」ということを会社幹部に熱心に説明して、古関裕而さんの窮地を救ったことが書籍に書いてあります。

 

古賀政男記念館から国の重要文化財や日本機械学会の機械遺産に指定されている筑後川昇開橋(旧国鉄佐賀線筑後川橋梁)までは3kmぐらいの距離です。

ライトアップされた筑後川昇開橋です。(2011年撮影)

 

1987年2月に撮影した国鉄佐賀線廃止直前の筑後川橋梁です。左側が福岡県大川市です。右側が当時の佐賀県佐賀郡諸富町ですが、2005年以降は佐賀市の広域化により佐賀県佐賀市諸富町に変わっています。

佐賀線は赤字ローカル線(バス路線転換が適当とされた特定地方交通線)として1987年3月28日に廃止されました。

準都会の環境であるためか、特定地方交通線の中では朝のラッシュ時間の列車運行が多く、朝のラッシュ時間に筑後川橋梁で、これらの列車を撮影しています。当時のメモによりますと撮影日は1987年2月23日でした。

 

この画像は、かなり後年の2011年に福岡県大川市の教育委員会の関係者の方から画像の提供依頼がありましたので、快く引き受けた画像の1点です。

参考画像:これが福岡県大川市が2011年に発刊した小学校(高学年)児童と中学校生徒向けの市史「おおかわの歴史」です。佐賀線の画像は、この本のページの中に収録されていますが、表紙の絵にも筑後川昇開橋の絵が使われていました。この表紙の絵は裏表紙に続いています。それは、佐賀線で貨物輸送が行われていた頃のもので、9600形が牽引する貨物列車の絵でした。

この本は大川市教育委員会からご恵送賜りました。

 

築後若津駅

国鉄佐賀線筑後川橋梁(1987年2月)

 

筑後若津駅跡

佐賀線廃止後の筑後川昇開橋(2011年2月)

 

福岡県大川市の築後若津駅(1987年2月)

 

佐賀県側の諸富駅(1987年2月)

 

旧国鉄高森線で活躍していたC12です。同線で活躍した機と同形のC12241が高森駅前に保存されています。保存時に無理矢理な感じで追加された門鉄デフは不要ではないでしょうか。

 

1992年当時の豊肥本線肥後大津駅とキハ52です。まだ構内踏切が昔懐かしい鉄板スライドカバーの隠し階段方式でした。

昔は福知山線や山陰本線の駅でよく見た方式です。

 

1992年8月の夏休みに撮影した豊肥本線の当時の8620形牽引「あそBOY」です。

豊肥本線の肥後大津~阿蘇間の運行再開は2020年8月頃の予定になっていたと思います。

 

続いて、1980年頃の「♪能登半島~」です。

これは松本清張の「ゼロの焦点」の舞台の能登金剛だったと思います。

実家時代のクルマで北陸地方の金沢とか能登半島を旅行をしたときの画像です。

 

↑これは能登半島の関野鼻の弁財天です。 「義経の舟隠し」伝説の地でもあります。(1980年頃)

「ゼロの焦点(1961年・松竹映画)」も「砂の器(1974年)」も脚本が橋本忍さん(山田洋次さんも脚本に関与)で、監督は野村芳太郎さんでした。

「砂の器(1974年・松竹映画)」では、少年時代の本浦秀夫=成人後の和賀英良(成人後は加藤剛さん)が、原作にはないシーンではあるのですが、父の本浦千代吉(加藤嘉さん)と一緒に全国を放浪したときの回想シーンとして全国各地の四季の風景が出てきます。

その中で一番印象的なシーンは青森県の竜飛崎の風景でした。

映画「砂の器」のテーマ曲『宿命』を思い出してしまう竜飛崎の風景です。

今回の投稿の竜飛崎の画像は2020年1月末に兄が撮影したものです。

 

さらに、「砂の器」関係の画像です。

由利高原鉄道

羽越本線の羽後亀田駅は何度か通っていますが羽後亀田駅では下車したことがないため代用としての羽後本荘駅の画像です。(1996年)

映画版の「砂の器」では、事件を捜査する警視庁捜査一課の警部補役が丹波哲郎さんで、西蒲田暑の若手刑事役が森田健作さんでした。

映画では、丹波哲郎さんと森田健作さんが羽後本荘駅で普通列車から急行鳥海に乗り換えています。

 

木次駅の構内踏切とキハ52です。(1986年3月)

 

木次線の亀嵩駅です。「砂の器」の中で一番重要な場所です。(1986年3月)

 

木次駅の出雲坂根付近の三段式スイッチバックを行くキハ52です。(1986年5月)

 

「砂の器」を終わりまして、1980年頃の北陸の旅の思い出に戻ります。

石川県羽咋の「千里浜なぎさドライブウェイ」です。

このときに、この砂浜で大きな失敗をした思い出があります。

↓以前に他のブロガーの方の「千里浜なぎさドライブウェイ」の記事に入れたコメントの一部を転記します。

終端まで走ったところ、ドライブウェイのコース外の場所の砂場にクルマが突入して完全にスタックしてしまい、そこから抜け出すのに苦労しました。JAFのお世話にならずに、何度かトライしてバックで抜け出すことができたことは不幸中の幸いでした。

まあ、多少の失敗でも時間が経過すると、つい思い出を美化してしまうことが多いのですが、この「千里浜なぎさドライブウェイ」の思い出を美化する気持ちにはなれません。(笑)

『北陸の 渚の浜の 白砂に われ泣きぬれて クルマとたはむる』

 

続いて、「阪急3000系消ゆ」の巻です。

他の方の情報により「阪急3000系の最後の現役編成3054Fが2020年5月7日に正雀に廃車回送された」という話を大型連休直後に知りました。阪急電鉄も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の関係で「さようならイベント」のようなものを自粛したのでしょう。

そういう事情により寂しい最後でした。

1964年にデビューした阪急3000系の架線電圧昇圧前600Vの非冷房時代です。画像は宝塚線の梅田(現在の大阪梅田)行の急行です。(1968年・現在は中山観音駅になっている中山駅付近で撮影)

宝塚線の1500Vへの昇圧は1969年8月でした。神戸高速鉄道への乗り入れに備えて1967年10月に昇圧された神戸線よりも宝塚線の昇圧は遅かったのです。

 

車番が隠れていますけれど、これもまた3052Fでした。この編成は宝塚線から神戸線に移籍した後、最後は伊丹線(4連)で活躍していました。列車種別は2003年8月30日から2006年10月27日まで運行されていた宝塚線の快速急行です。(2004年)

 

2011年に公開された映画「阪急電車 ~片道15分の奇跡~」のヘッドマークつきの今津線の3000系です。(2011年)

 

宝塚線で撮影した8両編成時代の3060Fです。(2002年・現在は服部天神駅になっている服部駅付近で撮影)

 

阪急梅田駅(現在の大阪梅田駅)の神戸線ホームで撮影した3000系です。(2006年正月)

(おわり)