今回は2003年に撮影したJR西日本の吹田(すいた)工場公開時の画像などです。
吹田への訪問は『国鉄時代の吹田機関区撮影会』以来のことでした。
現在のJR西日本の吹田総合車両所(車両基地・車両工場)に隣接する当時の国鉄吹田機関区です。(現在はJR貨物吹田機関区)
C622とEF5866(1986年)
EF651001、EF6514およびEF661です。(1986年)
2003年の吹田工場に戻ります。
モハ52001(後のクモハ52101)です。鉄道省モハ52形の第一次車でした。この一次車もデビュー当初は地味な「ぶどう色」の一色塗りでしたが一次車の翌年に登場した二次車で採用された急電塗装に変更されたものが、この塗装です。
1980年1月に大鉄局管内の3代目新快速車両としてデビューした117系で戦前の急電塗装が復活しました。(1988年頃・塚本駅付近)
1936年(昭和11年)に川崎車輌(現在の川崎重工)で東海道山陽緩行線(京阪神緩行線)の『急電』用として製造されました。これはベルリンオリンピックが開催された年です。
鉄道省モハ52形の第一次車は狭窓でした。
固定式クロスシートのワンボックスに対して、窓枠が2つある形なっています。
鉄道省モハ52形の第一次車の天井部分です。
今の人間の感覚では、やや狭い感じがしなくもありませんが、こういう電車に乗ってみたかったです。
豊橋駅で飯田線の電車に使われているのを見たことがあるものの、乗車機会や撮影機会は一度もありませんでした。
モハ52の一次車と二次車の比較画像です。
JR東海のリニア・鉄道館に保存されている『急電』の二次車だったモハ52004です。(2018年)
車内の復元状況は、こちらのモハ52004のほうが良い雰囲気です。(2018年)
485系からの改造車であるJR西日本の183系です。(2003年)
吹田工場で全般検査中と思われる105系です。桜井線・和歌山線用の車両です。
吹田工場で見た485系のボンネット雷鳥です。
以下の画像は吹田工場を見学した画像記録媒体に入っていた同じ撮影年(2013年後半)に撮影した写真です。
2003年当時の大阪駅11番線とボンネット雷鳥です。
大阪駅のボンネット雷鳥と寝台特急「なは」です。
参考画像:1985年に大阪駅で撮影した特急なは牽引機のEF651000です。
西大津駅(現在の大津京駅)で撮影したボンネット雷鳥です。
2003年9月に大津駅で撮影した「懐かしの雷鳥」号です。このときは豪雨でした。
「懐かしの雷鳥」号を待っているときに偶然撮っていたEF200です。
能勢電鉄の1700系です。
2003年に能勢電鉄の塗装が阪急マルーンに統一される前の旧塗装(その後の復刻塗装車を除く)の消滅イベント列車です。
神戸電鉄の鵯越(ひよどりごえ)駅で撮影したデ1300形です。
阪急嵐山線の2300系です。
これは阪神球団のセリーグ優勝のときのヘッドマークです。
「阪神なんば線」がまだない時代の阪神本線の快速急行と8901形の組み合わせが懐かしいです。
京都で開催された2003年のスルッとKANSAIバスまつりの展示車両です。
当時は山陽電鉄バス(現在は子会社の山陽バス)だった山電バスの車両です。車種はいすゞ・エルガ(KL-LV280L1改)です。
正面のマークも旧山陽電鉄マークでした。現在は山陽バスの独自マークに変わっています。
山陽電車の「播磨酒蔵ライナー」の画像を入れておきます。
神戸市交通局の「こべっこII世号(初代こべっこ号と似たデザインのレプリカ車両)」です。
初代と同じ京成自動車工業(千葉県市川市)で作られた車体です。今のバスとは違う曲線デザインのため、京成自動車工業の熟練職人が、ほとんど手造りした車体だといわれています。
2003年に近鉄南大阪線で撮影した「あじさい号」です。久米寺や吉野山が南大阪線・吉野線のあじさいの名所です。
♪あじさの雨は おとこ心を ぬらす雨
あじさい茶屋?
南海の2003年の画像を探したところ、2003年は「なんばパークス」が開業した年でした。
画像は大阪球場跡地に建てられた「なんばパークス」から見た南海電車と通天閣です。
♪グランド照らす太陽の 意気と力をこの胸に 野球に生きて夢多き 南海ホークス さ~ぁ 行こう~
大阪駅で新マリンライナーを展示!
2003年10月1日から瀬戸大橋線快速マリンライナーがJR四国5000系とJR西日本223系5000番代に置き換わりましたが、その前に大阪駅で展示されたときの画像です。
この2003年の秋に勤務先の同僚に誘われて萩・津和野の旅を楽しみました。
このときは山口線のSL列車にも乗車しました。山口線のC571の撮影は、このときが3回目でした。
関西大手民鉄の中で京阪だけが漏れています。京阪電車編は次回の予定です。
(おわり)