リニア・鉄道館(2018年7月) | 鉄道で行く旅

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今回は2018年7月に兄が撮影したJR東海のリニア・鉄道館の画像です。

あおなみ線金城ふ頭駅から見た名港中央大橋と1000形車両です。

 

リニア・鉄道館の内部です。新幹線試験電車955形(300X)とMLX01リニア実験車輛です。

 

今はリニア・鉄道館に保存されているC6217です。東山動植物園(東山総合公園)での保存時代にも見に行ったことがあります。

同機は狭軌蒸気機関車では世界最速の129km/hを記録した「チャンピオン機」です。

 

1970年に山陽本線糸崎駅で撮影した呉線の旅客列車牽引機時代のC6217です。

 

新幹線車両の700系と300系です。

 

1982年に東海地区に投入された当初の塗装の117系です。東海道本線の東海地区の普通(中距離)電車は、歴史的には80系→153系→117系という流れでした。

 

1992年に清洲城模擬天守閣から撮影したJR東海色の117系です。

東海地区の117系は、この東海道本線のほかに中央西線でも運行されていました。

 

キハ181系の保存車です。特急しなののヘッドマークです。

 

大阪駅で撮影したキハ181系時代の「特急しなの」と485系の「特急雷鳥」です。(1972年)

 

東海道本線山崎駅付近を走るキハ181系の「特急しなの」です。(1972年)

 

これは今は解体されてしまっているパノラマグリーン車のクロ381です。

 

保存車の381系0番台のクハ381-1です。

 

381系0番台の特急「しなの」です。。(1982年・名古屋駅)

 

これは正面非貫通の381系100番台です。(1982年・松本駅)

 

165系の保存車です。これは臨時急行時代の伊那路のヘッドマークです。この列車には豊橋駅から飯田駅まで乗車したことがあります。

 

1995年5月に豊橋駅で撮影した急行伊那路です。

 

クモヤ90から戦時設計のモハ63に復元された車両です。

モハ63時代は東海地区と縁がないためか、「三鷹事件」の中央東線三鷹行のヘッドマークが取りつけられています。

 

キハ82形の保存車です。ヘッドマークは「特急ひだ」です。

 

1985年頃に撮影した特急南紀のキハ82形です。偶然にも保存車と同じ車両です。(四日市)

 

キハ80系82形の時代の特急ひだと飛騨川です。(1985年・白川口駅付近)

 

キハ48000形として保存展示されている、後年のキハ11形です。

 

キハ11形の初期色は茨城交通(現在の「ひたちなか海浜鉄道」)の復刻塗装車でしか見たことがありません。(阿字ヶ浦駅・1999年)

 

スハ32改造のオヤ31-12です。事業用客車の一種である建築限界測定用試験車です。いわゆる「おいらん列車」です。

 

ホジ6005形蒸気動車です。明治村時代にも数回ほど見たことがあります。

 

蒸気動車というのはディーゼルカーの祖先のようなもので、客車内の片隅に軽便機関車のようなスチームエンジンが設置されていました。

明治村に保存されていた時代の2003年に撮影したホジ6005形です。1970年代に明治村で見たときには屋外展示でしたが、このときは屋根に覆われた後でした。(2003年・明治村)

 

明治村での展示時代に撮影した客室側から見た蒸気機関です。(2003年・明治村)

 

蒸気動車は車両の駆動構造が蒸気機関車と同じですので、ボイラーから送られてきた蒸気の膨張力を機械的な動作に変換するピストンがあります。ピストンの前後運動をクロスヘッドによって回転運動に変換して、動輪を回していました。(2003年・明治村)

 

設計図面は残っていませんが、トレビシックが1804年に初めて動かした蒸気機関車である「ペニダレン(Pen-y-daren)」です。まだクロスヘッドを作るための工作加工技術がなかったため、関節部分にはクロスヘッドの代用であるパラレル・モーション(←パラレル・モーションは、今では音楽用語みたいですが、棒を組み合わせることで平行運動を繰り返す仕組みという意味です)が使われていました。画像は再現機のペニダレン号です。(2019年・ウェールズで撮影)

 

これは蒸気機関車時代に名古屋鉄道管理局管内のお召列車牽引指定機だったたC57139です。

昭和天皇の今上陛下時代に伊勢神宮参拝関係のお召列車を牽引することが多かったようです。また東宮殿下(現在の上皇陛下の皇太子時代)の御乗用列車も牽引しています。

戦前の東京鉄道管理局のお召列車牽引指定機だったC51239と装備が似ているところがあります。

 

これはED17-16を改造した2代目のED18の2号機です。飯田線で活躍した電気機関車です。

 

ED11はアメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社製の電気機関車です。1923年に東海道本線電化用として輸入されました。この2号機は浜松工場の入換機として1976年まで使われていた電気機関車です。

 

鉄道省時代に製造されたモハ1形(モハ1035)の復元車です。

同車の経歴は「鉄道省デハ33509(大正11年日本車輌製)→モハ1035→三信鉄道デ307→鉄道省デ307(買収後の飯田線)→大井川鉄道モハ300形モハ301」という変遷です。

1972年に大井川鉄道の千頭駅構内で放置されていたときの復元前の姿を見た覚えがあります。

大井川鉄道の千頭駅で放置されていた同車です。(大井川鉄道モハ300形301・1972年撮影)

原形は3扉車ですが、2扉車に改造されていました。

大井川鉄道を再訪問したときの画像が見つかりましたので大井川鉄道モハ300形301の画像を追加します。(1985年)

 

このときに乗車したC11牽引の旧客列車です。(1985年)

 

1972年の千頭駅

大井川鉄道は2015年までは名鉄グループの企業でしたので、この当時も名鉄色が強かったと思います。名鉄から大井川鉄道に出向(?)されていた白井昭氏(レールファンの世界ではたいへん有名な方です。鉄道技術者として名鉄7000系パノラマカーやモノレール車両の企画・製作・設計に携わっています)が、この1972年は、まだ45歳だったはずです。残念ながら世代が違うため私は白井氏とは面識がありません。

画像中央の113系は、1980年代前半まで大井川鉄道に乗り入れていた静岡区の113系4両編成です。たしか「快速奥大井」だったような気がします。113系の左側の車両は元名鉄3800系です。右奥の客車は大井川鉄道の井川線の客車です。

 

ついでに元小田急SSE車の大井川鉄道移籍編成です。(1985年)

 

晩年は飯田線で活躍していたモハ52系です。なぜ戦前の関西「急電」塗装にしているのでしょう。

 

これは知りませんでしたが、車内も製造時の姿に復元されているのですね。

モハ52系の二次車ですので吹田総合車両所に保存されている狭窓とは異なる広窓車です。

吹田の保存車は、また次回にでも紹介したいと思います。

 

1930年に運行を開始した省営自動車の最初の路線だった岡多線のバス車両です。この車両は神田の交通博物館で見た覚えがあります。

かなり豪華な車体のバスのように見えます。

東京瓦斯電気工業製の車両ですが、この会社の技術が「いすゞ」や「日野」に繋がっているそうです。

 

リニア・鉄道館の100系先頭車(量産車の広窓車のX2編成のもの)と0系新幹線車両などです。

 

思い出の東海道山陽新幹線食堂車

今回の画像の中で、投稿者が一番懐かしかった車両が新幹線0系の食堂車です。

昭和時代末期は、東京駅から新大阪駅に帰るときの夕方の列車では必ず0系の食堂車を利用していました。

食堂車の通路です。この車両の現役時代の思い出は、東京駅出発前から、ここに行列を作って食堂車の営業開始時間を待っていたことです。

 

たいへん懐かしい0系の食堂車の車内です。東京駅を出発した後、食堂車の営業が始まると、ウェーターまたはウェイトレスが、料理よりも先に着席客から飲み物のオーダーを聞きに回っていました。

この食堂車でも、営業開始当初のビールは瓶ビールで、しかもウェイトレスがビールの1杯目をグラスに注いでくれたのですが、食堂車の営業末期は缶ビールを配膳するだけの合理的な方式に変わっていたと思います。

 

続いて新幹線100系のX1編成の食堂車です。X1編成は試作車から営業車に編入されたもので座席車が特徴的な狭窓だったため、私も2回乗車したことをはっきり覚えています。このX1編成では、この食堂車そのものを同行者と一緒に利用したことがあります。

X1編成は、昭和天皇が御乗車された編成で、この食堂車も昭和天皇が見学されている記事を新聞で見た覚えがあります。

画像の左下隅は100系X1編成ではない別の100系X編成の食堂車の画像の一番奥の席で吾輩が食後のお酒を楽しんでいるところです。

 

1991年のこのときには、当時の職場の同僚4名で勤務終了後に新大阪から博多始発X編成の100系新幹線に乗車して東京へ行き、上野駅から寝台特急「はくつる」に乗車して青森県の三沢駅まで行きました。

4名の趣味がバラバラなので三沢駅から夕刻の旅館宿泊までは各自の自由行動になっていました。

私は十和田観光電鉄(2012年廃止)と南部縦貫鉄道(1997年休止・2002年廃止)などに乗車しました。

十和田観光電鉄3400形です。1955年製の自社発注車でした。(十和田市駅)

 

南部縦貫鉄道七戸駅と二軸式のレールバスです。

 

タン・タン ・・・ タン・タンというレールのジョイント部分の通過音が響いていました。駆動方式は1軸だけの駆動でした。

前進4段、後退1段のマニュアルトランスミッション車のため、クラッチペダルがありました。

 

野辺地駅に到着したレールバスです。

(おわり)