博多から甘木までの鉄道の旅 | 鉄道で行く旅

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四国の旅はしばらく休むことにします。趣向を変えて今回は福岡県の旅です。

余っていたANAのスカイコインを利用して大阪空港から福岡空港に飛びました。大阪~福岡便は8年前はガラ空きだったと思うのですが、インバウンドの影響なのか、この日の大阪~福岡便は往復ともに満席でした。

今回はホテル代が惜しいので日帰りでした。

 

福岡市営地下鉄です。この日の関西は朝から暖かかったのでコートなしで福岡に降りたら、福岡は昼前まではコートが必要な寒さでした。

福岡の女性はスプリングコートとしてロングサイズのトレンチコートを着ている人が多いように感じました。

ちょっと聞いた程度の浅い知識ですが、レディースの今春のトレンドはロング丈のゆったりしたコートだそうです。

 

博多駅から快速電車で基山駅に向かいました。

 

途中の南福岡駅です。現在はJR九州の「南福岡車両区(本ミフ)」があります。そこが、国鉄時代は門司鉄道管理局管轄の「南福岡電車区(門ミフ)」でした。まあ、昔の鉄道少年には憧れの地名の一つだったわけです。

 

右側が思い出の「門ミフ」編成の急行つくし(475系)です。1971年頃の大阪駅です。

「つくし」は山陽新幹線がまだ開通していない時代に新大阪と博多を結んでいた列車で、サロやサハシ(半室ビュフェ車両)つきの長距離急行電車でした。大阪~博多の所要時間は約10時間でした。これは現在の東京からヨーロッパ主要都市へのフライト時間とそう変わりません。

1971年1月に西日本としては大雪の日がありました。その雪の日に新大阪駅で撮影した新大阪発博多行の昼間特急「はと」です。これも「門ミフ」編成の581系(一部に583系もあり)でした。

電車「特急はと」でさえ大阪~博多間は約8時間30分かかっていました。現在の「のぞみ」の新大阪~博多は約2時間30分です。

新幹線がない時代の特急列車は、庶民感覚では贅沢な列車でしたので、普通のサラリーマンは帰省などの際には急行列車を利用することが多かったと思います。

 

「特急はと」と同じネガに上りの客車急行が写っていました。牽引機のEF58に続く客車が軽量客車(ナハ10など)ですから、珍しい大雪で遅延した名古屋行の「急行阿蘇」かもしれません。(1971年1月)

 

同じネガの画像です。姫路行の113系(非冷房)の快速電車と当時の新大阪駅の通勤電車ホームの下手側にあった「日本庭園」です。

その画像が懐かしかったのでスキャンしてみました。(1971年1月)

 

鹿児島本線と筑豊本線の分岐駅である原田(はるだ)駅です。ここも思い出の駅です。昭和時代の末期に筑豊本線の中のローカル区間(1968年の篠栗線の桂川延伸により、さらに重要度が低下した区間)である桂川(けいせん)~原田(はるだ)間に乗車したことがあります。SL時代の『客レ(客車列車)』牽引機のC55ではない点が残念でしたが、DD51+50系客車で冷水峠(ひやみずとうげ)を越えました。

先日、NHKのファミリーヒストリーで「陣内孝則さんの祖父の家族が大川から飯塚まで夜逃げするときに難所の冷水峠を歩いて越えた」という調査結果を放送していました。その冷水峠は筑豊本線でも連続勾配区間の難所でした。従って九州ではSL時代の「肥薩線の大畑」に次ぐようなSLの有名撮影地だったのです。

あのNHKのファミリーヒストリーを見て、冷水峠を越えるC55やD50・D60を思い出した往年の鉄道ファンが多かったのではないかと思います。

筑後川昇開橋

福岡県大川市の筑後川昇開橋(国鉄佐賀線時代の1987年)

 

香椎線西戸崎駅

おそらく新飯塚駅です。(1995年)

 

今回の旅に戻ります。

基山駅に着きました。福岡県の旅といいながらも、この駅は佐賀県内にあります。

 

基山駅にある第3セクターの甘木鉄道(旧国鉄甘木線の3セク転換)のプラットホームです。一旦、JR九州の改札口(集札)を出て、このホームに回り込むような駅構造になっていました。

この甘木鉄道は、わが国の第3セクターの鉄道会社の中では経営状態が良好な鉄道です。福岡都市圏に近いことが幸いしているようです。

 

旧国鉄急行塗装のAR300形305号が基山駅に入線してきました。旧国鉄急行塗装ではありますが、AR300形は2001年が製造初年の比較的新しい車両です。

なかでもAR304以降の車番は富士重工業ではなく富士重工業の事業を継承した新潟トランシス製です。

 

クロスシート部分に座りました。すると、突然、隣の鹿児島本線を「ゆふいんの森」が通過していきました。

 

佐賀県の立野駅の近くです。東洋水産(株) 佐賀冷凍工場がありました。

 

福岡県内の小郡駅付近です。立体交差する場所から西鉄の西鉄小郡駅が見えました。

西鉄9000系が駅に停まっていました。

 

高架駅の大板井です。この付近は甘木鉄道になってから高架になったものです。もちろん甘木鉄道が投資したわけではなく、2004年に完了した連立工事(小郡駅~宝満川橋梁の連続立体交差事業)によるものです。

 

水源地と柿色の塗装のAR300形302号と松崎駅で離合しました。

 

菜の花が咲き乱れる中を甘木に向かって進んでいきます。

 

西太刀洗駅前にボンタンアメ(鹿児島に本社があるセイカ食品)の流通センターがありました。

太刀洗の地名から思い出したのですが、太刀洗は旧帝国陸軍の飛行場、飛行学校、それに航空廠(飛行機の生産工場)などが設けられていたところです。

 

満席だった車内がだんだん空いてきました。

 

小石原川を渡ると、すぐに終点の甘木駅です。画像の橋梁は西鉄甘木線の橋梁です。

(つづく)