東京の旅(三四郎池~銀座編) | 鉄道で行く旅

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旧岩崎邸庭園を出ました。

ここまで来たついでに東京大学の『三四郎池』に向かいました。

旧岩崎邸庭園の北側にある無縁坂を登っていきます。

♪忍(しのぶ) 不忍(しのばず) 無縁坂

かつては塀のところまで旧岩崎邸の敷地だったようですが、今は裁判所関係の宿舎などが建っています。

 

無縁坂(昭和50年)さだまさし (CLC MVC)

 

東京大学の門の近くにいる守衛さんに見学を申し出て東京大学の中に入りました。

10代の頃に読んだ夏目漱石の「三四郎」に出てくる三四郎池(元は加賀藩上屋敷庭園の心字池)を初めて見ました。

 

訪問目的地の三四郎池です。

 

法学部3号館の前を通り、出口の赤門に向かいました。

 

重要文化財の赤門です。元々は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘だった溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えたときに加賀藩の江戸藩邸に建てられた御守殿門です。御守殿(ごしゅでん)は、江戸時代において、三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称でした。現存する御守殿門は戦火や空襲を免れた加賀藩上屋敷の御守殿門(画像の赤門)だけです。

 

文京区は「金栗四三の青春の地」です。といっても「筑波大学(元の東京高等師範学校→東京教育大学)東京キャンパス」は、ここからかなり離れた場所にあります。

 

本郷三丁目駅から丸ノ内線に乗車しました。丸ノ内線の2000系がもうすぐデビュー(*)するのですね。

(*)この撮影の5日後の2019年2月23日から運行を開始しました。

 

偶然にも銀座駅で試運転中の東京メトロ2000系を目撃しました。こんな僥倖が本当にあるのですねえ。

 

銀座線に乗り換えて新橋に向かいました。

銀座線の新橋駅で1000系のレトロ編成を見ました。

 

昼食です。「天一」は敷居が高すぎるため、いつも利用している「天國」でA天丼をいただきました。

関東の天丼の「かき揚げ」は慣れるまではそれほど好きではありませんでした。ところが、今では関東風の天丼の具材の中では「かき揚げ」が一番好きです。

 

「天國」を後にして銀座四丁目へ。ここはNISSAN CROSSINGです。

日産e.damsチームのフォーミュラーEが展示されていました。

リシャール・ミルも日産フォーミュラーEのスポンサーです。

 

正午の鐘が鳴っていた銀座和光です。

 

「4丁目でましょう」って、昔の「有楽町そごう」の合言葉「有楽町で逢いましょう」の変形ではないの?

 

銀座三愛ビル(三愛ドリームセンター)と東京鳩居堂銀座本店です。

銀座三愛ビルは、今はリコーの広告が出ていますが、昔は三菱電機のスリーダイヤでした。なぜかプロレス中継と黛敏郎氏が作曲したNTVのスポーツ行進曲を思い出します。

(つづく)