東京の旅(旧岩崎邸庭園) | 鉄道で行く旅

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東京駅から東京メトロで湯島に向かいました。

『湯島の白梅』の地です。

千代田線湯島駅で降りた直後に小田急のMSEが湯島駅を通過していきました。

この前日の夕方にホテルの部屋でNHK(BS)で再放送されていた「鉄オタ選手権~小田急電鉄の陣~」を見たばかりだったので驚きました。

 

「鉄オタ選手権~小田急電鉄の陣~」を見て思い出したのは、たった一度だけSSE(SE車の元祖編成を短縮したもの)の「あさぎり」に乗車したことでした。(1985年・御殿場駅)

そのときは御殿場から町田までSSEに乗り、町田から小田原まで画像のLSEに乗車しました。(1985年)

 

2005年4月にVSEに乗りにいったついでに小田急沿線で撮影した画像を追加します。

新塗装(注:引退直前は元の旧塗装に戻されていました)のLSEです。(2005年4月)

 

これも思い出の小田急9000形です。(2005年4月)

 

湯島駅から旧岩崎邸庭園まで歩きました。

旧岩崎邸です。この日は平日でしたので室内の撮影も可能でした。

 

この旧岩崎邸は三菱財閥3代目の岩崎久弥が建てたものです。設計は三菱一号館などと同じジョサイア・コンドルで、1896年(明治29年)に竣工したものです。現存する洋館は岩崎家の迎賓館で、和館は大広間だけが残っています。

洋館、大広間、撞球室の3棟ならびに宅地が「旧岩崎家住宅」として国の重要文化財に指定されています。

 

旧岩崎邸洋館の玄関です。

 

似たような洋館は国内にもいろいろとあるのですが、旧岩崎邸は各区画ごとに天井のデザインが違っていました。これほど立派な天井がある洋館を見たのは初めてです。

 

洋館1階ホールの暖炉の周辺です。

 

マントルピースの飾りです。各地の洋館を見学しているため、ちょっと見ただけでミントンタイルであることがわかりました。しかも外枠が大理石ですので、その豪華さに言葉を失いました。

 

参考画像:明治36年(1903年)建築のアメリカ総領事ハンター・シャープ私邸(萌黄の館)のマントルピースのミントンタイルです。(2017年2月)

 

植民地風コロニアル様式のトスカナ式の列柱です。ここの床にも英国ミントン製のタイルが敷き詰められています。

 

やっぱり天井に目が行ってしまいます。

 

1階のサンルームです。

 

そのサンルームで撮影された岩崎家三代目の岩崎久弥(久彌)氏の家族写真です。

中央に立っているのが長女の美喜さんです。この写真から思い出したのですが、美喜さんは、この後に外交官の沢田(澤田)廉三氏と結婚しています。結婚後の沢田美喜さんは、敗戦後に大磯のエリザベス・サンダースホームを創設しました。エリザベス・サンダースホームでは2,000人近くもの混血孤児を助けています。

 

岩崎家のガラス食器です。フランスのバカラ製です。古いものですのカッティングなどは手彫りだった時代のものだと思います。

 

これらのガラス食器は岩崎家がバカラに特注した可能性が高いということでした。

 

2階も見学しました。

 

壁・天井・マントルピースのデザインが一部屋ごとに違っていました。

 

旧岩崎邸は、たいへん貴重な金唐革紙の壁が有名なようですが、それよりも天井のデザインが気になりました。

 

2階のベランダも植民地風コロニアル様式です。こちらはイオニア式の列柱です。

床は板張りで広く、これならパーティーが楽々とできそうです。

 

とにかく天井のデザインが凄いと思った洋館でした。

 

洋館から大広間だけが残っている和館に向かう廊下です。数寄屋風の廊下でした。

 

和館から眺めた洋館です。

 

和館を出て、洋館の外観を撮影しました。

 

撞球室(どうきゅうしつ=ビリヤード場)です。撞球室といいながら独立したスイスの山小屋風の建築です。

 

撞球室から地下に向かう階段です。別棟の洋館と地下通路でつながっているのです。これがあれば雨や嵐の日でも安心です。

 

撞球室の内部です。

以上が旧岩崎邸庭園でした。

(つづく)