古市古墳群を巡る(南コース)前編 | 鉄道で行く旅

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「古市古墳群を巡る」の続編です。今回は羽曳野市観光協会の「南コース」に沿って歩きました。

ただし、走破済みの北コースと重なる応神天皇陵は今回の走破コースからカットしています。

 (この南コース編の取材日は2018年8月3日の猛暑日でした

北コース編を走破後、日を改めて、再び大阪阿部野橋から南大阪線の急行で古市駅へ。

古市駅の側線に6020系のラビットカー復刻塗装車が停まっていました。この日のラビットカー編成は『中休勤務』のようです。

 

岡本太郎画伯がデザインしたラビットカーのマークです。

そういえば昔あった「近鉄バファローズ」のマークも岡本太郎画伯のデザインでした。

♪バファローズ バファローズ 吠える のど元 いなびかり バファローズ

 

【思い出の南大阪線モ6601形】

モ6601形

ラビットカー以外で近鉄南大阪線系統の思い出の車両といえばモ6601形です。とは書いたものの写真を撮っていたので何とか覚えている程度の車両かもしれません。

上の画像はモ6601形(元大阪鉄道デニ500形)の御所(ごせ)行の準急です。(1971年頃の撮影か?)

奈良県御所市(ごせし)が、どういうところかというと約700年の歴史がある健胃薬「三光丸」の本社があるところです。

(注;株式会社三光丸の最寄り駅は御所駅ではなく、JR和歌山線の掖上駅または近鉄吉野線の市尾駅です)

6020系ラビットカー塗装車

近鉄吉野線を走るラビットカーです。(2012年9月・飛鳥駅)

JR掖上駅の上り遠方信号機です。(2017年9月)

 

「古市古墳群を巡る」に戻ります。

たいへん暑い中、古市駅から羽曳野市役所まで歩きました。

古墳と大阪府羽曳野市役所です。

 

その古墳が向墓山古墳です。宮内庁により陵墓(応神天皇陵)の陪塚として管理されているそうですが、羽曳野市役所の目の前ですので周囲はよく整備されています。

 

続いて墓山古墳です。全長225mですから、そこそこ大きい古墳です。

この墓山古墳を撮影していたときに、ここを散策中の近所のご老人が、私の撮影目的などについて気さくな感じで話しかけてこられました。その一連の会話により、南河内らしい『人情に厚い』ところを強く感じました。大阪府下でもこういう行動ができる人が減ってきていると思います。

 

羽曳野市を出て藤井寺市に入ります。

墓山古墳の陪塚と推定されている方墳の野中古墳です。

 

前方後円墳の野中宮山古墳です。

 

外環(大阪外環状線の略称)と交差する野中の交差点と近鉄バスの路線バスです。ここで早目の昼食休憩をとりました。

 

前方後円墳の「はざみ山古墳」です。

 

再び羽曳野市の市域に入ります。

真言宗の野中寺(やちゅうじ)です。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つで、聖徳太子の命を受けた蘇我馬子が開基した寺院とされています。江戸時代までは律宗の寺院でしたが明治時代からは真言宗の寺院です。

 

野中寺創建時の法隆寺式伽藍配置を示す礎石が残っています。写真家として巨匠だった入江泰吉(1905年-1992年)さん風に塔跡の礎石の写真を撮ってみました。

 

野中寺の近くにあったヒチンジョ池西古墳から出土した石棺が野中寺の境内に安置されています。渡来人の有力者の棺であろうと言われているようです。

 

野中寺の隣にある野々上八幡神社です。

(つづく)