鳥居本駅跡と映画「新しき土」 | 鉄道で行く旅

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嵯峨鳥居本の平野屋さんを後にして愛宕街道付近を歩きました。

愛宕街道の鳥居本の街並みです。

鳥居本には、茅葺屋根の民家が数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

 

【京都市嵯峨鳥居本町並み保存館】

京都市嵯峨鳥居本町並み保存館は明治時代初期に建てられた町家を利用した施設(無料)です。

この保存館では昭和5年(1930年)頃の町並みを再現した模型などを展示しています。

 

京都市嵯峨鳥居本町並み保存館のジオラマで愛宕山鉄道平坦線の鳥居本駅の位置を確認しました。

やや右上が鳥居本駅で、やや左下が愛宕神社の一の鳥居と平野屋さんです。

 

これが戦時中に不要不急線として廃止された愛宕山鉄道の鳥居本駅です。説明札が「愛宕電気鉄道」になっていますけれど正しくは「愛宕山鉄道」です。軌道沿いの桜並木は愛宕山鉄道の開業に合わせて、鉄道の乗客に花を楽しんでもらうために植えたサクラだということでした。

 

戦前の日独合作国際映画(国策映画)「新しき土」の画像を引用します。

左上:愛宕山(あたごさん)鉄道鳥居本駅の上りホームを歩いている着物姿の原節子さん。愛宕山鉄道の車両の連結器(バッファーリンク)が写っています。

右上:愛宕山鉄道鳥居本駅を嵐山に向かって出発していく4号(元・北大阪電気鉄道1形→元・新京阪鉄道P-1形)です。

下段は映画の中での鳥居本駅出発後のシーンですが、はっきり書いてしまいますと、各種路線の寄せ集めです。(映画の中では電車で移動している様子を描いているだけで、撮影場所そのものには意味はなさようです)

これらの撮影地が使われたのは、映画「新しき土」の製作会社の「J.O.スタヂオ(ジェー・オー・スタヂオ、1933年 設立 )」があった蚕ノ社(現在の嵐電沿線)に近い場所であり、撮影が容易だったからだと思います。この「J.O.スタヂオ」は東宝の前身の一つです。

左下:京阪電気鉄道京津線(旧線)の御陵(みささぎ)府道踏切道とダブルポールで集帰電をしていた頃の京津線電車です。御陵(みささぎ)府道踏切道は旧京津線が三条通を横断していた場所でした。京阪電気鉄道大津線(京津線・石山坂本線の総称)のシングルポール化は戦後の1948年頃で、パンタグラフ化は1970年です。

右下:現在の阪急電鉄嵐山線です。映画「新しき土」が撮影された1936年(映画の封切は1937年)には、すでに嵐山線を開通させた新京阪鉄道は親会社の京阪電気鉄道(戦時体制下で阪急と合併する前の京阪)に吸収合併されていました。この嵐山線も戦時体制下では不要不急線として単線化されましたが、映画の撮影時は、まだ複線運転です。車両はパンタグラフ集電のデロ10形(新京阪P-4形)です。デロ10形の1両は阪急電鉄の正雀工場に保存されています。

デロ10形の画像が見つかりました。2002年秋の正雀工場公開時に撮影したものです。この車両は、私の少年時代は宝塚のファミリーランドに置いてありました。

 

「デロ10」の変遷です。

「ポール集電(1935年:P-4形デビュー時)→パンタグラフ化(1928年に1500Vへの昇圧のため)→1957年に能勢電鉄に移籍(再び600V・トロリーポール集電化)→能勢電鉄引退後の1963年に阪急で保存するためにデビュー時の姿に復元した」ということです。

 

愛宕山鉄道の鳥居本駅の跡地です。愛宕山鉄道は京阪電気鉄道(戦前)と京都電燈の共同出資会社でした。

 

鳥居本駅と鳥居本の集落を結んでいた階段です。

 

鳥居本駅跡から清滝駅方向に少し歩いたところにあるS字カーブです。右側の壁面に愛宕山鉄道の架線柱(木柱)の一部が残っています。

 

架線柱(木柱)の基礎部分を撤去せずに、柱の上部だけを切り取った形になっています。

 

京阪大津線

京阪電気鉄道の京津線の御陵(みささぎ)~山科間です。シングルポール集電の時代です。(1969年)

 

現在の阪急嵐山線です。映画「新しき土」で原節子さんが電車から降りた駅は現在の松尾大社駅の上り嵐山行のホームです。

1936年の映画撮影時の駅名は「松尾神社前」でした。(駅名の変遷は松尾神社前→松尾→松尾大社の順です)

松尾大社駅(この撮影当時は松尾駅)付近を走る阪急2300系です。単線化後も複線分の用地と複線用架線柱がそのまま残っています(2005年9月)