いやあ~~~。
見てもすぐにはブログに書けませんでした。
映画『関心領域』。
もちろん、私はこの映画がどんな映画なのか、知っていて見に行ったわけです。
でも・・・予想以上でしたね。
予想以上にキツイ映画だった。
誤解のないように言っておきますが、この映画に残酷なシーンは1秒も出てきません。
戦闘シーンとか、人が殴られるシーンとか、殺されるシーンとか。
ただ、そういうシーンは目をつぶっておけば見ないで済ませることもできる。
でも、この映画は「見る」映画ではなく「聞く」映画。
耳は閉じることができないんです。
誰も。
冒頭からして、もうキツイんですよ💦
映画のタイトルがゆっくり闇に沈む間、そしてそのあとは何も映らないスクリーンを眺めながら、たっぷり2分くらい、とんでもなく不穏な音を大音量で聴かされます。
もうやめてよ!
ちょっと、いい加減にして!!
そう思う頃、ぱっとスクリーンが明るくなって、川岸で楽しげにピクニックする人々が映ります。
この方々こそ誰あろう、アウシュヴィッツ収容所の所長・ヘスさまとそのご家族です。
このあと、画面には延々と、美しくも平凡な映像が流れます。
花が咲き乱れる広大な庭、プールや川で歓声をあげてはしゃぐ子どもたち、好き放題に駆け回るペットの犬、戦時中とは思えないセントラルヒーティングの大きな屋敷、豪華な食事、友人の噂話に興じる奥様方。
大きな出来事は何も起こらず、ひたすら続く「幸福な」日常の描写は、あまりにも退屈で、普通なら上映中に居眠りするレベル。
でも。
あなたは眠れないと思います。
すごく退屈だけど、眠れはしない。
なぜって、このつまらない映像の背後では、ず~~~~~~っと、それこそ朝から夜中までず~~~~っと、不気味なボイラーの音が反響し、怒鳴りつける監視人の声が響き、軍用犬の凶暴な鳴き声が騒ぎたて、ときには銃声や、悲痛な「誰か」の叫び声まで聞えるからです。
なぜそんな音がするのかといえば、この一家の邸宅は、あのアウシュヴィッツ収容所と、たった塀1枚隔てたところにあるからなんです!!!
普通ならそんなところで暮らせるはずがないですよね?
だって自分の家の隣では、100万人もの人間が、劣悪な環境で強制労働させられ、ガス室に送られ、遺体を焼かれているんです。
私なら、そんな場所で食パン1枚食えないし、1時間と眠れない。
なのに、この家族はその事実を完ぺきに無視します。
なぜって、それは自分たちの「関心領域」の外の出来事だから。
見ないふり、聞こえないふりさえすれば、裕福で快適な生活を営めるから。
実際、ヘスの妻は、ヘスが別な任地へと移動になり、ここを出ると言ったとき、激怒します。
「あなたひとりで行けばいいわ!」とまで言い放ちます。
彼女にとってここは、「恵まれた田舎暮らし」という「夢を実現できた」場所だからです。
とはいえ、歪みはあちこちに現われます。
朝も夜も泣き叫んでいる、末っ子の赤ん坊。
夜、眠れなくて廊下にたたずむ次女。
自分が掃除婦として勤めていたユダヤ人夫妻がナチにつかまり、「あそこのカーテンがほしかったのにほかの人に奪われたのよ」と語って娘の裕福さをうらやむヘス夫人の母も、一晩この屋敷で過ごすと、娘に挨拶すらせずに逃げ出しました。
母が残した置き手紙の内容は、観客には示されませんが、誰でもわかります。
「こんなところで眠れるか!!!!!」でしょう。
さまざまな不吉で皮肉な暗示もなされます。
ヘスが眠れない次女に読んであげる『青い鳥』の童話。
「グレーテルは魔法使いをシャベルに乗せたままかまどの奥に押し込み、魔女は生きたまま焼かれました」←この話ってこんなに禍々しいものでしたっけ?💦
ふざけた兄に温室に閉じ込められ、「卑怯者!」と怒る次男←塀の向こうに閉じ込められている人々は、あなたにそう言いたいはず
収容所の人々に同情的な住民も、ヘス家よりだんぜん遠いのに「ある臭い」にはすぐ気づき、収容所の煙突から火が上がっているのを確認すると、急いで洗濯物をしまいます←「灰」がつくからです
吐き気がするエピソードはまだまだ続きます。
火を止めず、2つの炉で交互に2000人(彼らは「人」ではなく「荷」と呼びました)を焼却できる火葬炉を自慢げにプレゼンする技術者。
「灰」が川を流れてくると、遊んでいた子どもたちを大慌てで川から引き上げ、風呂場で体をゴシゴシ洗わせるヘス。
女中を「バカ女」「夫にオマエを焼かせて灰をまき散らす」とののしり、イタリアのスパに行きたいとねだるヘス夫人。
さらにヘスは、仲間であるナチのパーティに出たときすら、妻への電話でこう言い放ちます。
「(パーティの間)出席者全員を一度にガスで殺すにはどうしたらいいか考えていたよ。天井が高いから無理だな」
それに答えてヘス夫人。
「もう真夜中よ。寝るわ」
こいつらみんな・・・鬼畜なのかな?
いや違うんですよ!!
家庭にいるときのヘスは、妻を愛し、子どもたちを大切にする、物静かでやさしいパパなんです。
私たちと同じような、平凡で退屈な人間なんです。
だからこそ、怖い。
ラスト、移動が撤回されてルンルンになったヘスは、ホテル?の階段を降りながら突如嘔吐します。
そのとき、一瞬、彼に見えたのが未来の幻影。
歴史博物館となったアウシュヴィッツ収容所の「今」です。
笑顔でガス室のトビラを開けて、掃除する係員。
山積みになった靴などの、収容者の遺品。
その前を、ガタガタと大きな音をたてて掃除機を引っ張る係員。
これは、救済を意味するシーンではないと思います。
悲惨な過去を「歴史」というカテゴリーに放り込んで忘れてしまう、私たちへの断罪です。
そう、私たち観客は、エンドロールで思いっきり断罪されます。
これもう・・・本当にツライですよ。
映画のエンドロールといえば、テーマソングが流れて、涙したり、うっとりしたりする時間のはず。
こんなツライ時間を過ごしたのは初めてです。
エンドロールの最初から最後まで、また大音量でものすごく不快な音が流れます。
それは、すべてを焼き尽くすボイラーの音のような、たくさんの人の悲鳴や叫び声の合唱のような、圧倒的で凶悪で、思わず耳をふさぎたくなるほど奇怪かつ醜悪な音楽です。
その音に、私たち観客は、エンドロールが流れる間中、ずっと責められ続ける。
自分で自分を抱きしめ「お願い…もう許して。許してください!」と震えるまで。
私たちは日本人だし、ユダヤ人を迫害した過去なんかない!
私たちには関係ない!!
と、開き直ることもできなくはありません。
それは、私たちの「関心領域」外であった出来事だと。
でも・・・私たちも同じようなこと、していますよね?
戦時中、日本軍が中国や東南アジアでしたことだけじゃないですよ。
あなたが見ないふり、聞こえないふりをしている、つまりはあなたの「関心領域」の外にある、2024年の日常のことです。
戦争。
貧困。
差別。
いじめ。
誹謗中傷される側の気持ち。
暴力。
政治の腐敗。
企業の不正。
「自分(と家族)さえ幸せならそれでいい」ですか?
「私(と仲間)さえ楽しければそれでいい」ですか?
では、楽しく幸せな生活を満喫していたヘス夫人は、このあとどうなったのでしょうね。
彼女の大切な、かわいくて無邪気な子どもたちは?
現実に、ヘスの次男の息子の1人は、「(絞首刑にされたので早くに死んだ)おじいさんに会うことができたらどうしますか?」と聞かれて「殺します」と答えたそうですよ。
私はこの映画を見たあと、とあるバーガー屋さんで食事をしようと思ってたんですけど、肉類が食べられなくて無理でした。
どうしても食欲がわかないんです。
「そんなシーン」は1秒もなかったのに。
仕方がないからミスドでドーナツ。
それで精一杯でした。