ゾイド徒然草 -236ページ目

ガンビートル ホロテック

  ホロテックゾイドは極めてまれに突然変異で発生する。外装甲の屈折率を自在に操り、周囲の景色にとけ込む能力を持つ「見えないゾイド」である。

 長年の研究にもかかわらず、ゾイドコアの遺伝情報から「ホロテック遺伝子」を特定することは未だにできていない。また、オーガノイドシステムを応用したコアの分裂ではこの能力は失われてしまう。人為的に作り出すことができないゾイドなのだ。ただ、人工的に作られたコアブロックの中からも、まれにホロテック個体が発生することは知られている。

 ところがだ、ガンビートル用に調整したコアブロックはホロテックとして発生する確率が異常に高いのである。一説には約8.3%もの個体がホロテックだとも言われている。

 このガンビートルホロテックは各国の諜報組織などに多く採用され、また、一般に流出したものが盗賊団などに使われるケースも多い。そのため、「ガンビートルを見たら盗人と思え」という格言ができたほどである。


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 バラッツ第一弾のシークレット、クリアのガンビートルを樹脂用染料を用いて染色してみた。やはりクリアパーツに好きな色を付けるのはスペシャル感がある。お手軽だが、かなりお気に入り。

 ただ、胸部などは若干染まりすぎてしまった嫌いがある。染色中に尿意を催してしまったゆえ……

 反省して教訓にしたい。作業前にはトイレに行くこと、と。


追記

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 カエル感は倍増した!

フューザーズDVD第七巻発売

 アニメ『ゾイドフューザーズ』のDVD第六巻、第七巻が本日発売。

 物語も終盤にさしかかり、ようやく面白くなり始めるあたり。特に、サクイの民が初登場する第19話「真昼の決闘」は多分全体を通してのピーク。

 この面白さが最初から──いや、後ろ向きなことは言うまい。設定画のリーリンにでも萌えるが吉。


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ゾイドフューザーズ

甚しいかな、吾の衰へたる也

 手前みそで恐縮なのだが、旧・ゾイド徒然草を読み返してみたところ、少なくとも今よりは面白いのである。テキストのみ、しかもタイトな字数制限があったにもかかわらずである。我衰えり、そう思った。

 ブログに場所を移してからは字数に縛られず、画像も使えるようになった訳だが、どうも会心の当たりがない。おそらく、制限が無くなったことが災いしたのだ。以前はテキストだけだったから話の本質的な部分に気を遣ったし、字数制限のために贅肉をそぎ落とす作業を連日行っていた。どうしても一定の濃度を越えてしまうからくりになっていたのである。


 そういえば芸術だってそうじゃないか。色々な制限のある中から真の名作は生まれてくる。近世の泰西名画は良い例だ。画家は湧き上がるリビドーを形にしたいが、キリスト教社会がそれを許さない。そこで、神話に材を取って芸術として昇華する。

 また、旧ソビエトの映画などは名作揃いだったとも聞く。体制に抑圧された社会で、描きたいことを描こうとすれば、自然とエッセンスの抽出が行われるのである。もしかするとイラン映画の芸術性の高さも、イスラムの厳しさからにじみ出てしまった人間性にあるのかもしれない。日本映画が斜陽を迎えてしまったのは、社会が規範を失って自由奔放になりすぎたからかもしれない。

 そういえば私も、大きな声で「おっぱい」とか言うの、アレ、良くないかもしれないなぁ。日本文化にとって。


 翻ってゾイドを見れば、やはり自由になった。色々な制約を取り払い、ゾイドというもので表現する世界は確かに広がったといえよう。しかし、その課程で失われたものがあることもまた事実。

 一例を挙げれば、小型ゼンマイゾイドの共通コックピットの消失だ。同じ形を使いつつも、モチーフに合わせたヘルキャットやハンマーロックの処理は見事と言うほかなく、ああいった閃きを見ることができなくなったのは惜しい。また、同じ部品で生産性を上げているという世界観の構築にも一役買っていたし、あれがあるからこそ中型以上のゾイドに高級感があったともいえる。

 ただ、我々がおいそれと今の自由を捨てられぬように、昔は良かったと一概には言えない。かつてのゾイドの雰囲気も好きだが、さりとて、ブロックスなどが切り開いた新しい世界も捨てるに忍びないのである。

 自由と制約のさじ加減が重要なのは、ゾイドから政治まで、人間社会のあらゆる事に当てはまりそうだ。


 とりあえず、「おっぱい」と言うときは恥ずかしそうに顔をうつむかせて、「お、おっぱい……」と言うことにしたい。

良いブログ・悪いブログ

 アメブロランキング停滞中。やっぱり少し悔しい。そこで、上位ランカーのブログを覗いてみた。それで分かったことは、上位のブログは三つに分類されるということだ。


 一つ目は、素晴らしいブログだ。

 我が「ゾイド徒然草」は一応「コレクター」というジャンルに寄生している(そのものズバリ「玩具」みたいなジャンルがなかったのだ)。コレクタージャンルのブログで質がよいと言うことは、やはり資料価値が高いということではないか。膨大なコレクションを分類整理して紹介しているブログは、やはり上位に来ている。やっている側も自慢ができて嬉しいだろうが、なにより同好の士にとって勉強になっているだろう。狭い範囲ながら公益性があるということだ。

 顧みれば私はほとんどキットのレビューとかやっていないのでダメダメである。ゴメンネ。


 二つ目は、駄目なブログだ(自分のことは棚上げ)。

 もう更新が止まって久しかったり、全然つまらないのになぜか上位に居座り続けていたりするものがある。

 前者のような現象はなぜ起こるのか。ブログではないものの「ZOIDS最新情報」みたいな例も見てきている訳だが、なんか釈然としない。一度人が集まると、気の流れみたいなものができてしまうのだろうか? 現代の七不思議だ。

 後者はさらに釈然としない。趣味の違いをさしい引いても、とても面白いとは思えない人気ブログが存在するのである。

 例えば、私は路線バスや悉曇学には何の興味もないが、路線バスブログや悉曇ブログが路線バスマニアや学僧にとって価値があるのは分かるし、構成を見ればおおよその質も推測できるだろう。だから、路線バスブログや悉曇ブログが人気を博していても納得できる。

 しかし、オバサンの会話のような無知、無教養で感性のかけらも無いブログに人が群れている怪異もあるのだ。オバサンの存在のように不可解だ。


 三つ目は場違いなブログだ。

 アメブロでは上位のブログに毎月、金一封が出る。総合ランキング一位は十万円も貰える。長期政権を築いている「実録鬼嫁日記」は出版もされたし、漫画誌で連載まで始まるようだ。それに続けと山っ気を出す者が続出しても不思議はない。しかし、激戦区で凌いで上を目指すのは困難だ。そりゃあ、何万もライバルがいては。

 それで、マイナージャンルにエントリーするネタブログがそこかしこに見られるのである。なんとなくそのジャンルの枠に収まっているような体裁を付けてネタをかます。これではマイナージャンルの地味なブログでは太刀打ちできない。NHK教育の中にフジのバラエティー番組が殴り込むようなものだ。汚い。その上タチの悪いことに、そういう野心のある連中は、やっぱり面白いのだ! そうやってジャンル別ランキング一位の賞金三万円也をゲットしたりしているのである。これでは真面目にそのジャンルに貢献しているブロガーの意欲を削ぐことになりはしないか。運営側は上位ランカーのエントリージャンルが適正なものであるかどうか、検閲するべきではないかと思う(でも面白い)。


 付け加えると、顧みられることもない下位にも真に知的なブログは存在している。深い洞察と丁寧な記述で、大変ありがたい言葉を紡いでいたりする。私などはとても頭が上がらない、そう感じる人が何人もいる。

 しかし、フジのバラエティーに対していうと、岩波文庫みたいなものだ。彼我兵力差・百万対一といったところだろう。陋巷に在り、である。

腹筋万歳!

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