ゾイド徒然草 -238ページ目

たのしいバラッツ 最終回

 やあみんな、「たのしいバラッツ」のじかんだよ。


 きのうは、バラッツとブロックスをくみあわせてみたよね。みんなも、じぶんだけのゾイドをつくれたかな?

 もしかしたら、バラッツはでんどうやゼンマイのゾイドにもくみあわせられるかもしれない、そんなふうにかんじていたのかい?

 なかなかいいところにきがついたね。でも、バラッツはゾイドだけでなく、すでにみのまわりのあらゆるものにとけこんでいるんだよ。れいをみてみよう。


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バラッツをかけるおねえさん


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まちにはバラッツがあたりまえのようにみられるようになった


 みんなもおへやをみまわしてみよう。ほら、バラッツがあるでしょう?

 せいかつのあらゆるところにバラッツがある、これをむずかしいことばで「ユビキタス」っていうんだ。

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 ユビキタスによって、ぼくたちのせいかつは、ますますゆたかでべんりなものになっていくんだよ。

 どうかな、きょうはべんきょうになったかな?


 じゃあ、またあうひまで、バイバイバラッツ~☆

たのしいバラッツ 第二回

 やあみんな、「たのしいバラッツ」のじかんだよ!


 みんな、カエルさんはかんせいしたかな? パーツをじゆうにくみかえて、じぶんだけのバラッツをつくるって、とってもたのしいよね。

 でも、バラッツはまだしゅるいがすくないから、ほしいかたちのパーツってあまりないよね。そこできょうは、バラッツといままでのブロックスをまぜてみよう。バラッツとブロックスは、でっぱりとあなのおおきさがおなじだから、おたがいにくみあわせてあそぶことができるんだよ。


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 ジャーン!

 ゾウさんだよ。ゾウつかいも、ふたりのっているよ。


 え? ほとんどブロックスじゃないかって?

 こまかいことはいいっこなし。それに、みえないところでバラッツのパーツをつかっているんだよ。


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 しっぽはギラフソーダのじゅうなんだ。

 え? だからどうしたって?

 しつれいしました……


 でもバラッツのとうじょうは、ブロックスにいままでになかったパーツがふえたのとおなじこと。バラッツでブロックスがますますたのしくなったね。みんなも、バラッツとブロックスをくみあわせて、じぶんだけのゾイドをつくろう!


 バイバイバラッツ~☆

たのしいバラッツ

 やあみんな、「たのしいバラッツ」のじかんだよ!

 きょうのくみかえは、ガンビートルからカエルさんをつくってみよう!


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 わあ、ほんとうにカエルさんみたいだね。センスをみがいていると、こういうアイディアがひらめくんだ。ちなみにおにいさんは、ひとにいわれるまでぜんぜんきがつきませんでした。


050613-kaeru?

 そのうえ、うしろはんぶんをどうするかもおもいつかなかったんだ。てへっ☆ みんなはちえをしぼって、カエルさんをかんせいさせてあげてね!


 バイバイバラッツ~☆

特殊なコングタイプ

 ──ディガルド武国前線基地。

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「ゲリラのリーダーと推定される人物は、かなり特殊なコングタイプを所有している模様です」

「特殊なコングタイプ? なるほど……」


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ド~ン!


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何ィ!?

アタックコングだと!?

徒然草

 当ブログも題に「徒然草」と冠しているが、いやはや「徒然草」と付けられたブログの多いことよ。ブログの一割くらいは「○○徒然草」なんじゃなかろうか? 随筆の代名詞として使われるほど偉大だというわけである。


 義務教育を修了した者に今更言うまでもないが、『徒然草』は鎌倉時代に、卜部兼好(吉田兼好、兼好法師ともいう)によって書かれた随筆である。

 日本文学史に燦然と輝く『徒然草』であるが、ちゃんと読んだことのある者がどれだけいるかは疑わしい。実は、私も古文の教科書でしか読んだことがない。例の「徒然なるままに」で始まる序段と、第五十二段「仁和寺にある法師」だけである。けして「かばかりと心得」た訳ではないのだが。


 ところが先日、書店で徒然草を見かけて思った。そういえば俺は毎日、僭越にも「徒然草」と題したブログを書いているわけだが、徒然草のなんたるかが分かっていないのではないか。こりゃあ読んどくが吉だな、と。いきなり大上段に構えても挫折するだけなので角川文庫の『ビギナーズ・クラシックス 徒然草』を選択。あまり格好良くないが、自分のレベルに合わせてしっかり理解できるということが大切なのだ。ただ、ちょっぴり恥ずかしかったのでエロ漫画と一緒に買った。


 とりあえず、中学の時にさんざんやらされた「仁和寺にある法師」の音読を試みた。

「……ききしにもすぎて、たふとく…… とうとくこそおは…… とうとくこそおわしけれ」

 もう駄目。旧仮名遣い全然読めない。無教養を思い知らされる。

 しかしながら、平易な現代語訳と適切な解説が添えられており、中学生レベルでも理解しやすい構成であった。なにより、簡素だが深みのある内容が面白く、すぐに引き込まれた。


 最近では国語教科書から夏目漱石が消えたときく。「国民」のバックボーンとしての「教養」なんてとっくの昔に崩壊しているのかもしれないが、ちょっとショッキングな話だ。かつては、その社会で普遍的な教養というものが共同体を醸成していた訳で、その断絶を推し進めるかのような文科省のやり方には賛成できない(もちろん、今日的な息吹を絶えず吹き込むことも重要ではあろうが)。

 そんな現状である。それ故に今こそ、古典は顧みられるべきではないだろうか。「必ずこれをうかがうべし」である。