日光道中 第12回 栗橋宿 その1 | 街道歩き

街道歩き

2022年東海道五十三次完歩後、いろんな街道歩きをしています。

2024年2月10日

 

南栗橋駅から出発して日光街道へ。

 

今日は暖くて、風もなく、街道歩きには快適ラブ

立派な家門。

大きな蔵を残している旧家です。敷地も広い!

 

栗橋大一劇場

「シアター」の大看板、映画館と思ったら、ストリップ劇場バレエ

 

日本で最も北にある劇場だそうです。

 

かなり有名らしい乙女のトキメキ 開演待ちをしている人がいました男性トイレ男性トイレ男性トイレ男性トイレ男性トイレ

 

大きな駐車場、駅から遠いから送迎サービスもあるそうです車

 

ネットにはいろんなサービスが載っていましたハートのバルーンしかし、よくわからんもやもや

 

川通神社

文化10年(1814)建立の常夜燈。

 

会津見送り稲荷

会津藩士が道に迷った時に助けてくれた老人は狐の化身だったそうです。

狐さんがたくさん祀ってあります。

 

木柱道標

道標が木で造られています。朽ちて無くなったのか、見当たらないものもありました。

 

焙烙地蔵

関所破りが「火あぶりの刑」に処せられた刑場跡。

刑死者供養のために地蔵尊が祀られ、素焼きの焙烙が奉納されています。

 

焙烙(豆などを炒る素焼きの土器)は「火あぶりの刑」という意味もあるそうです炎

 

その先に古い家屋がありました。

江戸末期に創業された「質屋・丸島」

明治期に建てられて、米販売・製粉業を営んだ、とあります。

 

この木札のお陰で、往時を偲ぶことができました。

小林畳店。畳表で作った小物が売られていました。

 

顕正寺

栗橋宿を創設し、本陣を務めた池田鴨之介。

池田鴨之介(青↑)と代々の墓。一番端っこの小さな墓でしたダウン

 

浄信寺

二代将軍秀忠、日光社参の際に、増水した利根川波に飛び込み舟橋を守った功によって、

 

名刀と軍扇を賜り、名主に任じられた「梅澤太郎右衛門」の墓。

こちらは凝った造りの大きな墓。

 

深廣寺

2代目住職の単信上人が建立した市指定文化財「六角名号塔」

 

21基並んでいます!!

 

単信上人が三界に迷う衆生の得脱を願い、また近郷の村々の豊作と繁栄を祈り、

建立した千人供養塔ですお願い

 

この供養塔は高さが約3.6mあり、6面に「南無阿弥陀仏」の6文字が刻まれています。

 

旧家の築地塀

旧家の建物と蔵がずっと奥まで続いていました。

裏に回ると、石垣びっくりマーク少し高くなったところに屋敷があったのでしょうか?

 

この奥に門があったようですが、取り払われたのかありませんでしたガーン

 

犬の散歩をしていた人に聞くと、この辺り一帯がその方の地所だったとのこと。

 

テクテク歩いて行くと、繁華街だったであろう通りに出ました。

シャッター通りで、建物は半壊状態。

 

昭和にタイムスリップしたみたいでしたキューン

「昭和」ルンルンこのドラマは面白い笑 はまってます笑い

 

宝治戸池

寛保2年(1742)に発生した浅間川(利根川旧流路の一つ)の氾濫により形成された池。

 

池にまつわる伝承として、「金の延べ棒が池底に沈んでいる。」というものがあり、

潜水夫が池を調査したが発見はできなかったそうですえーん

 

丁度お昼時になって、Yさんおすすめのおそば屋さんへ。

「鴨つけそば」が美味しいとのこと。

わたしは具が一杯のけんちんうどんを食べましたニコニコ

 

細めのうどん、野菜が一杯で美味しかったです割り箸

 

その2へつづく・・・・