映画「閉鎖病棟~それぞれの朝~」 |  teruの日々雑感 ~そして~

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この前の日曜日、映画を観てきた。

 

観た映画は「閉鎖病棟~それぞれの朝~」

 

 

笑福亭鶴瓶、綾野剛、小松奈々の共演映画である。

 

今回だけは星の評価はない。

評価0ではなく、評価が難しいということ。

良い映画ではある。

ただ、重い映画である。

ずっしりと重い映画である。

 

上記の三人とも精神病院に入院する患者役である。

 

その中で、純粋に精神障がい者は綾野剛だけ。

 


普段は物静かな青年であるが、時に、幻聴や精神運動発作によって錯乱状態に陥る。、

 

 

笑福亭鶴瓶は行政上の排除による入院である。

 

 

 

小松奈々は家庭(母親)からの排除による入院である。

 


どちらも病的理由ではなく、社会や家庭での存在を否定されての入院である。このこともずっしりとした重さがあった。重さというか、理不尽さというか、不条理さというか、そんな感じである。

 

この三人の演技がとても素晴らしかった。

笑福亭鶴瓶の、法廷で小松奈々の証言を聞いているときの無言の表情。

綾野剛の、「事情のない人はいないから」とつぶやいたときの情意的なオーラ

小松奈々の、繁華街の路地裏で大泣きする感情の表出表現。

どれもが、そのシーンを見れただけで価値のあるものと思わせてくれた。

 

 

そんな三人が、入院中に起こった二つの事件をきっかけに、社会の中で(自分が出来ることを)自分の力で成そうという道を選択することになる。

 

その事件というのは、二つとも重大犯罪であった。

笑福亭鶴瓶が加害者となった事件は殺人という極めて重大な犯罪であった。

小松奈々が被害者となった事件は女性にとって屈辱的な性犯罪であった。それはとても気分の悪いものであった。そのことも、この映画の評価を躊躇した理由でもある。

 

笑福亭鶴瓶の被害患者は、小松奈々の加害患者と同一人物である。

この患者は、その言動から推測すると、適応障害の患者であると思われる。あるいは、入院理由にもよるが、今ならば触法病棟が対象となる患者なのかもしれない。

 

この映画は、ともすれば、精神科の閉鎖病棟という特殊性や偏見に満ちた情報から、興味本位で観に行く人もいるかと思う。しかし、人はどんな場所にいても、それぞれが意味のある人生を歩んでおり、そこに至るまでの個々の背景がある。先にも書いたが、綾野剛が劇中でつぶやいた「事情のない人はいないから」という言葉の意味がそこにあるのかもしれない。

 

最後に

今回の映画は星の評価が難しかったように、作品レビューを書くのも難しい映画だった(汗)