”たそがれ”
昼と夜の境目ですかね。
昔ダークダックスが唄っていました。
🎼『山小舎の灯』
黄昏の灯(たそがれのともしび)は、
ほのかに点(とも)りて
何かロマンチックな感がしますが、
”黄昏”
この言葉の語源と言いますか、その成り立ちは、
「誰かそれ、見分けがつかない」
そんな時分の頃を表したという説、
しかし、もう90も過ぎ
しかも妻に先立たれ、一人暮らしの身にとっては、
正直、寂しさだけが増すようで、あまり好きにはなれない嫌な時間。
昼間、世間が忙しく動いている時間は良いのですが、
それから夜になると、する事もなく、むなしい時間。
テレビはニュースしか見ないし、
息子が持たせてくれたタブレット端末が救いの神様。
SNS、YouTube、映画鑑賞にゲームなど、
何も考えずに画面に集中している時が、唯一の心和む楽しい時間。
超~難読漢字のゲームなどで、
読めない漢字20問のうち13問読めたのも老人だからなせる業かも。
”黄昏”
もの事が終わりに近付き、衰えの見える頃の意味も有るけど、
人生のたそがれ時って、70才くらいですかな。
そうなると、自分はもう深夜に佇む一人の老人。
でも又朝が来る。
新緑の美しい5月。
吹くか風もボクにささやいて通りすぎる。
”元気で”と。
生きてる事は素晴らしい。
屋外へ出て深呼吸。
今日の黄昏も明日の嬉しい朝の幕明け。
感謝しなければと思って、またその日の黄昏を迎える。
その繰り返し。
馬年(午年)昭和5年1930年生れ
今年で94に。
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