去年は、スマホが本格普及して、さらにタブレット端末も増えましたよねえ。
ぼくもタブレットに触る機会が増えたし、スマホも通話には使ってないのが一台あったりするんですが……
そーいうの使っていて、つくづく思うんですが、「見る」ための端末ですね。ネットの検索、あるいはマップでナビゲーションしてもらうとか、便利に「見る」ための道具。
ところが、「作る」という行為をしようと思ったら、とたんに、使いづらくなる。簡単なビジネス文章くらいなら、タブレットがあればOKって思わなくもないけど、それでもやっぱり、「作る」には、パソコンが圧倒的に便利。
それで、ふと不安になるんですよ。
なんだかんだ言って、「作る」人って少ないじゃないですか。
一部の「作る」人が作ったなにかを、大部分の人が「見る」ことで、この世は成り立っている。
ってことは、作らない人は、パソコンになんか興味を失っていくわけで、いまでも売れなくて困っているパソコンが、いよいよ売れなくなっていく。
でも、作る人がいなくなることはないので(それは経済活動の完全停止を意味しますから)、パソコンの需要は絶対にあります。必要としている人は必ずいる。
でも!
作るためのパソコンを買おう思う人が、プロと、それに準じる能力を持っている人だけになったとしたら、ものすごく数が減りますよね。
すると、パソコンは、すごく高価な機械に戻っていくかもしれない。そのむかし、AppleのMacが、何百万円もした時代に!
いま5~6万も出せばパソコンが買える時代に、なにを言っとるんじゃと笑われそうだけど、10年後はわかりませんぜー。
パソコンが、数十万円もする機械になったら(戻ったら?)、それはもう、パーソナルコンピューターじゃないよね。
プロフェッショナルコンピューターなんて呼ばれるようになるんだろうか。
プロコン。響きが悪いな(苦笑)。
やっぱり、パソコンがいいなあ。名前も値段も。