生成AIと、盗品の転売行為 | Ternod Official blog

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哲学思想研究、文人画。 反緊縮行動(Anti-Austerity Action)〔生ー政治(Bio-politique)に抵抗する自律労働者(Autonomia Operaia)〕。 ブラック・ミュージックをこよなく愛す。レコード/CD店、古本屋、美術館などで出没することが多いです。

 

最近、創作物の制作に、平気で生成AIを使う人が増えている。

まずは、こちらから。
 

 

11月7日放送のバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」(ABCテレビ、金曜午後11時17分)では、中学生の娘がAIに頼り切っており、学校の宿題はAIで検索をしてその答えを丸写しして提出する、校内の人権標語のコンクールも生成AIで検索をして出てきた標語を応募して受賞したという。その娘の親が、AIに頼りすぎる娘の将来を悲観して、なんとかしてもらいたいという依頼が番組に送られてきた。

そして真栄田賢探偵が乗り込み、校内人権標語の受賞者を集めて6名が参加し、その半分の3名までが生成AIの回答を送っていたことが判明。残り3名は自分で考えた標語だったという。

バラエティ番組とはいえ、衝撃的でした。

 

 

次に、こういう事件がおきました。

生成AIで作成した画像を別の人が無断複製したことで、千葉県警が生成AIの画像も著作物と認定して、無断複製した男を書類送検した事件です。

いま、生成AIとクリエイターの権利をめぐって、まだ議論が錯綜している状況です。

それにもかかわらず、生成AIの画像を「著作物」と認定することは、芸術文化やクリエイティブな環境を死に追いやる、きわめて危険な傾向であると思います。

 

生成AIはインターネットの空間に転がっている様々な情報を盗用してつなぎ合わせた代物であって、そこには創作性のカケラもありません。

タイでは、絵を描く象がいますが、あれは調教師が教えた結果にすぎません。

確かに眼の前の物体を対象化する能力があるのは、人間以外の動物では象にしかないといわれていますが、それでも象は眼の前の対象を描きたいという欲求があるわけではなく、単に絵の具を擦りけているだけにすぎません。

生成AIの画像は、そういうレベルにものにすぎません。

しかも象とは違い、盗作の集大成という点では、象が描いた絵画に悖るクズでしかありません。

 

そのような生成AI画像を著作物認定するなど、盗作のフリーライダーに権利を付与する愚の骨頂です。

そして生成AI画像をさらに無断複製する行為は、泥棒が盗んできた盗品をくすねて転売するようなものです。泥棒が盗んできた盗品への窃盗行為も犯罪でしょうが、泥棒に財産権を付与することなど、あってはならないでしょう。

千葉県警がやったことは、所有者の権利がはっきりしてもおらず、盗品を返しもいないうちに、泥棒に財産権を付与するといっているようなものです。

 

このことは、別の見方をすれば、世界的に有名な贋作家ベルトラッキを、美術史に名を残す芸術家として認めるといっているのと同じようなものです。

ベルトラッキの贋作は、多くは実在する作品の贋作ではなく、有名画家の画風を真似して実在しない作品を描き、有名画家の作品と称して高値で売りつける行為です。

まさに生成AI画像と同じ行為といえます。

 

いま急がれることは、生成AI画像はその旨表記を義務付け、国際条約の制定を急ぐべきでしょう。

もし生成AIの普及によってクリエイターが職業として成立しなくなり、創作文化がなくなれば、その時点で創作物は何も新しい文化を生み出すことができなくなり、成長が止まります。なぜならAIはネットの空間からの盗用で成り立っており、自分で試行錯誤して何らかの創作性を生み出すことはありません。

つまり長期的には、生成AIは創作そのものを焼け野原にする危険性を内包しています。

 

さらにいってしまえば、生成AIには、ラファエロの『アテネの学堂』を超える芸術は生み出せないし、董其昌の絵画論を超える芸術実践などできません。

ラファエロの『アテネの学堂』は新プラトン主義的な知と古代ギリシアの自然哲学から中世ヨーロッパの自由学芸に連なる学芸・文芸精神の復興を目指した視覚化といえます。

董其昌は絵画の技巧的うまさよりも、無念無想で描かれた線や、文人的な精神性の高さを尊ぶ見方をしています。

生成AIが形だけ似たような作品を盗作でつくることができても、その作品にはラファエロや董其昌の裏付けのない、ただのバッタもんです。

生成AIの画像を「自分の作品」という人は、ヒップホップで例えれば「ワックMC」です。

セルアウトのワックMCは公開処刑や(笑)