本日3月11日は、2011年3月11日に起きた東日本大震災・福島第一原発事故から8年目となります。
震災時刻より早めのお昼ごろに1分間の黙祷を捧げ、被災で亡くなられた方々へのご冥福をお祈りしました。
当時、東京で生活をしていた私にとっても、東日本大震災はその後の人生に大きく影を落としています。
震災当日の夜の徒歩帰宅、人影もまばらで商店の棚から商品がなくなった東京の街で生活をしていました。
SNS等の情報では、知り合いが福島第一原発事故の放射性物質を忌避して西日本に避難したという情報を見つけ、過剰反応だと軽蔑していました。
私自身は、物理学者で古くから反原発運動を主宰していた故・高木仁三郎先生の原子力情報資料室のサイトをつぶさに観察し、空中線量は微量で問題がないことが分かっていました。
なにより東京に残ってやることをやる、という意志をあらためて確認していました。
2011年から14年にかけては、そのように東京で日々を過ごしていました。
私にとって大きかったのは、2012年頃に顕在化してきた、街の殺伐とした空気です。
当時は、人々の間に震災ストレスが溜まっていたことによるものだと思っていました。
経済学的な知見を得た現在では、デフレ不況によるものと断言できます。
2008年のリーマンショックから麻生政権と民主党政権時代の2012年にかけては、エネルギーと生鮮食料品を除く消費者物価指数がマイナスを記録するほどの深刻なデフレであり、完全失業率は2012年で4.3%、有効求人倍率は戦後最悪レベルに達するほどの深刻な不況の最中にありました。
だが当時は、このことを知らずに「震災ストレス」などと思っていたわけです。
2014年、私自身も大学の社会人学生を終えたことから、人生に区切りをつける意味で東京を離れようと思い、下調べを経て2015年に関西に移住しました。
関西には東京時代からの知り合いが何名か来ていたという事情もあります。
だが、今となっては移住が正しかったのか間違っていたのか、分からなくなりました(笑)
とにかくお金を稼ぎ、いずれ東京に戻ることも想定しています。
やはり様々な活動をする上で、東京に生活拠点を置かなければスタートラインにすら立てないと思います。
その後、経済学を学びはじめ、さらに学部時代から続く研究を行うため、大学院の入試を受けて入学を許可され、4月からは研究が大きな比重を占めることになります。
それと平行して、中断していた絵を関西に来てから再び描きはじめており、絵画はマイペースながら続けて行く所存です。
今年からはピアノの練習を始め、順調に進んでいます。
※画像は2011年4月5日、代々木公園で撮影した桜の花です。
