のびのびボランティア紀行


インドネシアのスマトラ島パダンで、砲台に住むスラムの住人に支援。砲台もりのおばあさん。




こんかいは、文字が少ないので

安心してください。



フィリピン活動の用意がおおよそ

できました。



今回は、2人でどうがんばっても

50キロくらいしか持っていけない。



それでもたいした量だけど。



それに厳しいスケジュールが

決まっている。



となりの島、イロイロへも渡らなくては

ならない。



でもとりあえず、準備は万端です。



現地の協力者のおばさんにも、



「待ってるよ~」と

あたたかくいってもらいました。



フィリピンで、また何が起きるかは

わからないけれど、

何も不安はありません。



のびのびボランティア紀行


チェンマイのビルマ難民支援。盲目の女性で、身体に合うか、1枚1枚さわって確かめてもらった







十五夜の月はとても美しかった。

そうすると、ふとタイのことを

思い出します。



タイでは、仏教の祭日が

月の満ち欠けに合わせて

定められていることが多い。



だから、三宝節など、

7月の満月の日なので、

とてもロマンティックになる。



ろうそくをみんなで火を

灯しあい、僧院の周りを

3回まわる。



火の消えた人は、となりの

人からもらいながら・・・



その光景が、やさしく

あたたかく、本当にタイならでは

の行事としみじみします。



そんな夜に満月。



うるうるきそうな

ファンタジックな日です。



チェンマイといえば

ローイクラトン。

いわゆるしょうろう流しです。



それはだいたい11月ごろ。

11月ごろのチェンマイといえば、

雨季が終わり、乾季に

さしかかり、何ともいえず

涼しい毎日です。



しょうろう流しに合わせて

民族衣装を着てパレードを

したりするので、

これまたタイを感じる。



風情があります。



この、風情という感覚は

アジア独自のものじゃないかしら。

ヨーロッパやアメリカ、

あるいはラテンの国々に、

あまり風情を感じる行事は

なさそうです。



何だろう、風情・・・

やっぱり、個人よりも

全体を大切にする文化が

下地にある気がします。



キリスト教文化も素晴らしいけど、

お祈りするときは、あくまで自分と

キリスト、あるいは神と一対一。



そこにあまり風情といったものは

生まれないような気がします。



チェンマイに住み、

現地人と結婚したアメリカ人

の男性が、そんなことを

いっていました。



自分は仏教の教えにあこがれ、

タイに来たと。もちろん日本も

好きだと。



それは、やはり人と人との

つながりがあたたかいからだと。



アメリカには、そういうものは

あんまりないんだって。



そうなのかな、と思います。

だから、というのも何ですが、

アメリカ式のディベートなどを

教育に積極的に取り入れて

いる現代ですけれど、

どこかに「和」を大事にする

アジア文化を残しておいて

欲しいと思う。



個人としての意見をはっきりと

持ち、主張できるのも大切。



それと同時に、みんなの意見を

よくきき、ときには自分の意見も

調節して、本当にみんなにとって

いいことを探すのも大事です。



そんな感覚は、くるくる

盆踊りを踊ったり、

しているうちに育つものだと

思うのですが、どうでしょう。




(つづくかも)




のびのびボランティア紀行

火事で焼け出されたセブの人たちへ。支援した衣服を抱いて、目を細める女の子。




偉そうなことをぶちましょう。

日本にあるのはモノ。

あまるほど、捨てるほどある。



その反対に日本にないのは

情(じょう)と笑顔。



それから生きるたくましさ。



あるものを持っていき

ないものを持って帰る。



これぞ貿易の基本なり。



という理念があるわけでもないけど、

東南アジアで支援をしてると

そう思うようになった。



それから。

日本にあって東南アジアにないもの。

あるいは世界中にも

あんまりないもの。



それはズバリ。

清らかな水と安全性です。



これっぱかしは

日本人は大威張りしていいと

思います。



水がおいしいのと

安全なのは、多分島国だから。



火山とか地震とか

怖ろしいことがたびたび起こる

かわりに、清水や温泉には

こと欠かない。



アジアの外のことは

ぜんぜん知らないけど、

多分、日本はその点では

世界一です。



原子力の是非は、

物理方程式を理解できない

ぼくにはわからんちん。



でも、日本のもっとも

誇るべき、水と安全性が

おびやかされるとなったら

これは理屈ぬきで、

よ~く考えないとなと思う。



もうちっと生活を見直したり

いろんなムダをみんなで

見つけたりすれば、

まちっと日本の良さを

回復できるんじゃないかしら。



アジアは広くて深い。

そのアジアの東の国、

ジャパンも、奥深い。



何とかともに協力しあって

新しい世界秩序をつくれないかしら。



戦争と民族同士の復讐で

ほとんど成り立っている

ヨーロッパの歴史を世界史にせずに、

ときには争いもありながらも

なるべく平和を保とうと努力

してきたアジアの歴史こそを

世界史にできたらいいのに。



秋の十五夜うさぎさんを

眺めつつ、ぼんやり

そんなことを思うんです。



(別の形でつづきます)




のびのびボランティア紀行

バコロドの教会にある孤児院で。支援した衣服を、大切にしまう女の子。




台風なんです。

フィリピンは一年に25回も

台風が来るらしく。



そのたびに川はあふれ

海は荒れくるい

たくさんの家が流されます。



その被害のひどさは

日本の比ではない。



どうしてそんなことになるのか?



それは、貧しい人たちが

勝手に家を建てて住んでいる、

そこがだいたい海のそばや

川岸だから。



海ぞいや川ぞいは、土地の持ち主が

はっきりしていないこともあるので、

その分スクウォッター(不法占拠者)が

住みやすい。



昔の日本でも、やっぱり

貧しい人は川原に住んでいた。



そういうところは

言うまでもなく水害に遭いやすい。



だから政府は再三に渡り

住居を撤去するよう勧告しては

いるのだけど、

彼らは動かない。



というより動けないのだ。

他に行くところがない。



そして台風が来るたびに

たいへんな目にあう。



テラの会でもネグロス島の

ドマゲッティで、川ぞいの

スラムで支援しました。



そのスラムはなかなかに

迫力がありました。



川が、ずーっと島の奥の

高山地帯に向かって

のぼっていくのだけど、

そこに延々と、

本当にどこまで続くかというくらい

スラムが続いているのです。



ぼくもどこまでがスラムか

確かめようと、だいぶ歩きましたが、

あきらめました。



ネグロス島は人口600万人と

横浜市と同じくらいいるにも

かかわらず、そのほとんどが

貧しいのです。



どうしてなのか?

それはスペイン植民地時代の

大地主製からつづくのです。



根が深い。



もう少しネグロスについて

理解しようと、いろんな本を

あたっているところ。



最近あまり暇がないのに

そんなことしてて大丈夫か・・・



でもやるしかないです。



(つづく)



のびのびボランティア紀行

セブ島で大火事にあった人々の避難キャンプで。支援したのだがとても追いつかない。みんな必死だ。




テラの会の活動は、

よく言えば突破力があり、

わるく言えば行き当たりばったり。



現地調査は事前にみっちり

行うけれど、旅行会社を事前に

予約したりなどはしない。



それでもちゃんと活動して

来れたのは、そのときどきで

助けてくれた現地の人のおかげ。



本当にそのあたりの運はいい。



おそらく、どこの場所でも、

普通に探してもなかなか

辿り着けないような、ディープな

場所で活動できている。



だから、ときおり、

「テラの会の行ったようなところへ

行って、活動したいのですが」



といったお問い合わせを

いただくけれど、これがなかなか。



こうして、ああして、この人に会って

下さい、と言えればいいのだけど。



言えないのですよ。



もし無理に、活動方法を案内すると

したら;



まず銀行勤めのAさんの、

スケジュールをきいて下さい。



それから現地の便利で安い

ホテルを何とか予約して下さい。



そして日程とAさんのスケジュールを

調整して下さい。



うんぬん。やたらときめ細かい

作業になる。



というのはやはり、人と人との縁で

やっているから、機械的なというか、

合理的な、「何もかも安全・安心パックツアー」

みたいなことは無理なのだ。



ばっちり用意して行ったところが、

その日は仏教の祭日で、バスも

何も満員とか、しょっちゅうある。



だから誰にもおすすめはしない、

あえて。この活動形態は。



不安定だし、そのときどきで

さまざまな困難を乗り越えなくては

いけない。



時には、脳天爆発するような

怒りを抑えたり、心底落ち込むような

気持ちを、ぐっと我慢したりしなければ

ならない。



それでも、つづけられる限りは

つづけたい、と思うのは、

やっぱりそれだけ、やる方も

楽しめるからなのかな、と思う。








のびのびボランティア紀行



ネグロス島とパナイ島で

活動をするため、着々と準備を

すすめるテラの会。



現地の協力者と密に連絡を

とり、現地の航空会社を予約する。



英語が通じるので、とても楽である。



さてさてネグロスのバコロドは、

10月中は”マスカラ・フェスティバル”の

期間中だ。



マスカラフェスとは、その名の通り、

仮面をつけた仮装行列が、街を

練り歩くという、幻想的な祭り。



そのせいでどこもホテルが

満杯。



フィリピンや世界各地から

観光客がやってくる。



われわれも早く、いつも泊まっている

”バスコン ホテル”予約をとろうと

電話した。



「あの・・・予約したいんですが」



「ホテル? ああ、もう無いよ」


「え? 何ですか」


「だから、閉めたのよ。

いまは改装中で、いつ開くかは

分からないわ」


「えー、でもマスカラ・フェスティバルが

あるじゃないですか」


「そうなの。オーナーが変わったから

よく分からないけど、そのうち

開くんじゃない?」



わかりました、と素直に受話器を

置いた。



おーい、バスコンホテル。

かき入れどきにホテル閉めて

どうするっちゅーねん(と関西っっぽく)!



商売する気あるのかな、

と思うことが、たまにある。



前回バコロドにいったとき、

友人が買って来てくれたのが、

ほんとにおいしいフルーツポンチで。



ここなつの生ジュースのなかに

スイカやパイナップルその他

現地のトロピカル・フルーツを

刻んでいれてある。



ココナツのぷるぷる果肉と

とてもにあってた。



のびのびボランティア紀行


こんな最高の観光の目玉が。

つぎに行ったとき、

「もういっかい、あのフルーツポンチ

買ってきて」と頼むと。



「あれねー。うってた店が、どっかいった」



っておい! 

あんな日本にも売れこめそうな

当たり商品をだな、

何となく行き当たりばったりで

製造中止?



ほんとうにフィリピン人の

商売感覚は分かりません。


(つづく)



セブのダウンタウンで。栄養失調で座るのがやっとの子どもたち。靴や服を渡した。


のびのびボランティア紀行
セブ市の夜、ゴミをひろって暮らす家族。この界隈は世紀末といったふうな混沌。




あるときフィリピンのセブに

活動で来ていた。



過ごしやすい天気に

おいしい食事。



セブに来たことを正解だったと

思い始めた矢先のこと。



何げなく、ホテルのロビーに

ひろげられていた新聞を読んだ。



セブスター新聞といって

地元の有力紙らしい。



その日の社会面トップニュースは、



「殺し屋がスラムで2年間

美容師をしていた」



というもの。

どういうことかというと

2年前、セブのある行政区の

議員が何者かに暗殺された。



その犯人を長いこと追っていた

警察は、容疑者がとあるスラムに

潜伏しているという有力情報を

つかんだ。



その情報をもとに

犯人はあっさり逮捕された。



だが驚くべきことに

犯人は、身元をかくして

2年間美容師として

働いていたのだ!



そのスラムはセブの丘にある。

どこにでもあるようなスラムの

一つだった。



犯人は、働いていた

美容院の中で、顔出しで

写真におさめられた。



その顔は、わりと美形の

美容師にでもなりそうな

おとなしめの、20才くらいの

男性だ。



殺人などしたふうには

見えない。



そのニュースを見ていたら

背筋がぞっとした。

というのは、フィリピンで私は何回も

美容室で髪を切っていたのだ。



そのときやっぱり、

全く気が抜けなくて、

髪を切り終わったあとは

緊張でへとへとだった。



そんな美容師の一人が

元殺し屋・・・



なさそうでありそうな話し。



セブの陽気にそまりかけていた

私の心は、一気に冷え固まったのは

言うまでもない。



その他フィリピンの新聞を

手に取ると、日本では報道されない

ホラーなニュースでいっぱい。



ミンダナオで選挙があり

次の選挙の対抗馬の家族を

何十人かいっぺんに殺害した、

とか・・・



読んでいてげんなりするような

話しばかりだ。



そんなことがあってから

フィリピンでは新聞はいっさい

読まないことにした。



そうしないと

心臓がいくつあっても

足りないからである。




(つづきません)



のびのびボランティア紀行


ネグロス島ドマゲッテのストリートチルドレン。お腹を空かせた彼らは深夜

レストランに食べ物を盗みに入る




フィリピンの活動を充実させるため

情報収集をしている。



専門用語でいうとアセスメントという。



情報の収集、分析。

そして相手方の真のニーズを

さぐる。



ネグロスの場合は単純で

お腹を空かせた子どもが多い。



だから衣服支援もさることながら

食料を購入して、配布することに

なるだろう。



現地の男性から、



「食べ物を買ってあげても

それは絆創膏みたいなものだ。


彼らに真に必要なのは、

愛情をもって、継続的に自立を

促す支援をすることではないか」



といわれたことがある。

その通りだと思う。



ネグロス島のストリート

チルドレンに真に必要なのは・・・。



当たり前のことだが愛情だと思う。



それから言葉やうわべだけではない、

経済的な、また保険や医療や教育も

含めたケアだ。



そのような自助組織もあり、

多くはキリスト教の教会が行う。



それでも、そこからもれてしまう

子どもや、大人は常に存在する。



施設はあっても

やはりお腹を空かせた子どもは

街に集まってくる。



テラの会にできることは

少ない。



絆創膏みたいな支援かもしれない。

それでも応急処置がなければ

小さな傷も大怪我になる。



その日に食べる物がなければ

子どもは盗みに入るしかない。



そのときどきに応じて、

何がしかできることはないか

やっていくより他はない。



そうした活動が、いつの日か

大きなうねりになるかもしれないし、

ならないかもしれない。



テラの会の活動を通して知ったのは、

貧困地域というのは、

世界経済の最前線であるということ。



グローバリズムと呼ばれる

国際的な経済システムは、ウォール街や

東京証券取引所で動いているように

見える。



しかしその動きの影響をもろに

受けるのは、一日1ドルで暮らすような

貧しい人々だ。



だから僕はそういう人々の

生活の場こそが、本当のグローバリズムの

最前線だと思う。



そこは戦場とそれほど

違いはないのではないだろうか?



テラの会のような支援団体が

そこへ入ることで、少しでも

日本人の、また世界中の人の

意識が向けられればいい。



なぜならそういう場所は

ほとんど報道もされないし、

(地味で事件性が少ないから)

誰の興味もひかないことが多いから。



だからテラの会に衣服を支援したり

文房具を支援したりしてくれた

人には、それだけで終わりではなく、

自分たちの支援した物が

向かう先まで見てほしい。



そう思ってインターネットを

通じて写真や動画を配信

しつづけている。







のびのびボランティア紀行

バコロド付近のサトウキビ農場で働く家族。いまだに大地主制度のなごりが残る。




砂糖キビの積み出し港として

栄えたネグロス島、バコロド。



そこは別名、シティーオブスマイル。

つまり笑顔の街。



テラの会の次なる目的地は

そこです。



ようやく準備がととのって

参りました。



バコロド周辺は

極端に貧しい農村などが

点在します。



わたしたち日本の支援は

いつでも待ち望まれています。



衣服、食料、文房具。

その他、教育、医療、トイレ整備に

あれこれ。



やることは山のようにあり

しかもフィリピン政府のみの

力では手がまわりません。



とあるアジアの超大国も

支援を行い、また商業活動も

しています。



とはいえ、すぐ近くのスプラトリー諸島を

領土とみなすその超大国のことを

ネグロスの人も、フィリピンの人も

決して心から信じてはいません。



その超大国に比べて

日本は国土も人口も小さいですが

支援の方法論は支持されています。



まず信用第一、

また平和目的で争いを持ち込まない。



ねこそぎ資源を持っていくのが

ねらいではなく、ともに成長することで

絶対的な貧しさを減らし、

ひいては日本にもいい影響を

もたらす。



そのための支援です。



一緒に成長していこう

ということ。



そのやり方は、地味だけれど

いつかきっと理解される日が

来るに違いありません。



正しい道、

間違ってない道。



それを一歩一歩

踏んでいきたい。



こんどのバコロド、イロイロでの

活動も、その一つです。



どうか、みなさま

テラの会を注目し、

知らない人にも紹介して下さい。



(つづきます)



のびのびボランティア紀行

メーソートの森の学校で。はだしで泥道を走るので、長靴があると破傷風の予防になる。




いや~めでたい。

タイに送った荷物がみんな

届いていた。



その数3つ、もう1つも

じき届くでしょう。



タイの協力者

Bさんの家に何回電話

しても通じなかった。



困ったので娘さんのケータイに

タイ語で電話。



「チューアイ ドゥアイ!」

(Help me!)



それでお父さんに即

連絡してくれた。



電話番号がかわっていた

らしく、そのせいで通じなかった

というわけ。



タイでは、家の電話もわりと

簡単に変えられるようなので

こんご気をつけようと思った。



でもでも、ともかく、

荷物が3つ届いていたのを

確認できた。



ほっと一安心!

これで、次の活動の予定が

立てられる。



娘さんはぐうぜん

テラの会事務所から

歩いて3分の日本語学校に

留学に来るそうで。



手厚く、よけいなくらいに

てあつーく、お世話させて

いただきたく思う。



タイや、フィリピンの若者に

日本に来てもらい、その

向学心をいかんなく発揮して

もらうのは、わが国のために

もっとも理想的。



日本人の血をひいていたり

日本とゆかりの深い人たちに

来てもらえば、もっともいい。



日本の外務省もそのへんは

とても先見の明があり、

海外の日系人を積極的に

日本と関わらせる政策を

提言している。



問題は、国内のエセ知識人や

ニセ国粋主義者。



もっとざっくり言うと差別する人。



そういう人が、いまだに

「ヨーロッパとかアメリカからは

いろいろ学ぶべきだけど

南米とか東南アジアとかからは

なーんも学ぶことはない」

と頭から信じている。



ゆえになーぜかドイツやら

イギリスやらの留学生に支援

して、アジア系や南米系に

興味を示さない。



さっさと目を覚ませ~!



ギリシャを見よ、経済メタクタ。

アメリカを見よ、銃社会に戦争続きで

借金まみれ。



それでもまだ欧米について

いくつもりですか。



彼らとはうまく付き合うべきだけど

未来をともに手を取り合って

夢見るべきは、東南アジアや

南米の、まだ成長の余地ある

国々だ。



と、いきなり偉そうなことを

いった。



てへ。

ゆるして。

嬉しくて舞い上がってます。