のびのびボランティア紀行

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テラの会理事をつとめる

万葉歌手、辻友子さん。



ミャンマー国境の街、メーソートでの

活動に参加していただくなど、

かげにひなたに、

テラの会を応援してくれています。



その辻さんのコンサートが

横浜で開かれます。

11月5日(月)、横浜イギリス館。



くわしくは辻友子HPへ→クリック



今回はピアノ独奏もあります。

ショパンの夜想曲をやるそうです。



辻さんのコンサートは、

わたくしの私見を申し上げれば、

とても上質なのに、敷居(しきい)が

高くない。



矛盾しているようですが、

誰がきいても楽しめるのに

品があるのです。



とにかく、一度ききに

いらして下さい。





のびのびボランティア紀行

チェンマイ近郊の戦没者慰霊碑にて。建立者がクリスチャンだったので、歌手であるテラの会理事に

「ピエイエス」を歌っていただいた。




さてぼくの世迷言に

お付き合い下さい。



スピリチュアル(もう死語?)な

話題です。



ヒカガクテキなことを言うと、


「すごい! 霊感あるんだ」

と思われるか、


「頭おかしいんじゃないの」

と思われるか、どっちかだ。



いずれにせよ、あんまり

いいふうには思われない。



それを知ってか知らずか、

ぼくはスピリチュアル発言をする。



ああする。

なぜならいわゆる目に見えない

世界は、やっぱりぼくらの

毎日に影響を及ぼしていると

感じるからだ。



それで冒頭の写真にもどります。

これはチェンマイ近郊にある

戦没者の慰霊碑です。



日本へどうしても返すことが

できなかったご遺骨が、

相当数納められている。



これが、ぼくの見たところ、

一種の「霊界」をひらいたらしい。



その見解はセンセイとも

一致した。



日本でも、いわゆる霊場と

いわれるところは、何かしら

他と違った肌の感覚を受ける。



何というか、気圧が違う。

飛行機にのったりして、

ぐーーと上にのぼっていくとき

何か変な感じがするでしょう。



あれに似ている。



写真の慰霊碑の

周りには、そんなふうな

のうみつな空気みたいなのが

張り詰めていた。



そこでテラの会理事の

Tさんが、「ピエイエス」という

キリスト教の歌を原語で

歌った。



するとその歌声は、

きゅーっと上空へ

吸い込まれていくようだった。



これはきいた人にしか

分からない感覚だ。



そういうこともあり

慰霊碑の周りを少し

調べてみた。



すると、細い小川が

流れていた。



それでピンときた。



そのあたりは、タイの

大地母神「プラ・メェ・トラニー」

を祀るべき土地だと。



その女神さまはいまでも

タイ人の厚い信仰のまと。



髪の毛をしぼる若い女性、

あるいはしわしわの老婆の

姿をしている。



その女神さまは、ブッダが

瞑想中に悪魔に襲われそうに

なったとき、自分の髪の毛を

しぼって大洪水を起こし、

その水の力で悪魔を追い払った。



そういう水によるお祓いの

女神さまなのだ。



だからタイ人は、玄関先などに

よくこのプラメェトラニーを祀る。



悪魔よけなのだ。



こういうアニミズム的な

感覚というのかな、

いわゆる妖怪アンテナみたいな

のは、タイのような国にいくと

当たり前のように反応する。



べつに特別な感覚じゃない。

昔は誰だって、そういうのを

持っていた。



ちなみにチェンマイの市内には

幽霊がよく出る。



古い古い街なので、

出る幽霊も古く、

昔のタイ衣装を来た

女の人だったりする。



あるとき特別にかんの

冴えていた夜、お店の

人に頼まれて幽霊を

出ないようにとお願いする

儀式をすることになった。



やりかたは簡単で、

お札をつくり、その中に

幽霊さんをお招きして、

3ヶ月ほど安置したあと、

燃やして供養するというもの。



それを行った次の夜。

店に働くカトゥーイ(いわゆるニューハーフ)

の子が、


「幽霊が夢に出てきた」



という。幽霊が訴えるには、

居場所は気に入ったけれど、

置かれているところが

きゅうくつで、辛い。

何とかならないか。



とのことだった。

はじめて背筋がヒヤッとした。



というのは、ぼくは

幽霊さんのために用意した

お札を置くところに困り、

神棚のようなところの

後ろに、折りたたんで

はさんでいたのだ。



確かにきゅうくつだ。

ぼくはそのお札をひろげ、

前の方に安置した。



それからは、誰も幽霊の

夢を見なくなった。



信じるも信じないも

勝手だけど、タイだと

この手の話しがいくらでもある。



(つづかないから、安心して)



のびのびボランティア紀行

プノンペンのストリート・チルドレンの家で。サンダルをもらって大喜びの女の子




一日に一食しかご飯が

食べられない子どもが

アジアにはたくさんいます。



栄養が足りない。



そんな子どもたちを

活動のなかで何人も

目にして来ました。



腹が減って笑う元気も

なくしてる。



はじめのうちは

それがよくわからず、

支援物資を渡しても

ブスッとしたままで



「何か気に入らないのかな」



と思ったりしました。



そういうわけではなく

子どもらしい反応も

できないくらい

弱っていたのです。



笑ったり遊んだりするのにも

体力がいります。



毎日、一食しか食べない

ような暮らしだと

基礎体力がつきません。



そうすると

当然ながら脳にも栄養が

いかず、ボーっと

してしまう。



同じアジアの

飛行機ならものの

数時間で着くような

ところに、そんな

子どもがいるという

現実。



厳しいものです。



どうにかならないのかな

と本当に思います。



すぐ近くに

飢えている子どもや大人が

いるのに何もできない・・・



いまの日本だと

スリルを味わいたくて

万引きする若者がいる。



だけど腹の減った

子どもたちは

本当に食べる物がないので

万引きする。



そうして警察署に

連行され、釈放されての

繰り返し。



警察も、子どもを

つかまえておくと

その間食べ物を

与えなくてはいけない。



そんな予算がない。

だからまた犯罪をおかすと

わかっていても子どもを

野に放す。



そんなことが

わたしたちの国を

一歩出れば

当たり前のように

おきています。



何とかならんのかなー、

と本当に思うのですが。



(つづくかな)







のびのびボランティア紀行

セブの教会の前で物乞いする子どもたちに支援。泣き出そうとした赤ちゃんを

男の子があやす。路上で暮らす彼らは、自然と助け合っている。




アジアのかたすみで

私たちを待っているのか

待っていないのか、

分からない人々を訪ねて数年。



はじめの頃と、さまざま

状況がかわってきた。



いちばん変わったのは

ミャンマー情勢じゃないかしら。



またミャンマーと国境を

接するタイのメーソート。



かつては陸の孤島状態で

辿り着くには、バスをのりつぐ

しかなかった。



はじめて行ったときを

思い出す。



バスを乗り換え、乗り換え、

そのたびに支援物資の

入った大荷物を、あげおろし・・・



わたくしことコータは

普段着だったからまだいい。



センセイはお茶会にでも

いくのかという正装の着物

だった。



汗だくで、えらいこっちゃに

なっていた。



それでもその日が

タイの、年に一度の里帰りの

日にかさなったから大変。



オンボロ市バスも満員、

乗車率200パーセント。



立ちっぱなしで1時間ほど

耐えた。



そのときはドーパミンが

出ているので、あんまり

疲れは感じないけど、

今から思うと。



ひやっとする。



その次にメーソートに

行ったときは、

山の斜面スレスレを

とんでいくセスナ機。



わたくしことコータ、

短い人生ながら

乗った飛行機の中で

もっとも小さいプロペラ機だった。



6人乗ったらいっぱい。



あんまり見ないようにしたけど、

窓から外をみると、

すぐそこに山がせまってて。



逆に、たとえ墜落しても

ソフトランディングできそうな

ほど近かった。



それが今では、

ジェット機ですいすい

行ける。



いい時代になったもんだエ。



といったメーソートに

ふたたび訪問させて

いただきます。



それで、今年の活動は

最後になります。



(つづくかな)



のびのびボランティア紀行
いちばん新しい写真です パナイ島イロイロの海に面したスラムより




健康体で帰って参りました。

フィリピンより。



今回も一筋縄ではいかない

ハプニング続出。



それはそのうち報告しますです。



バコロドは”マスカラ・フェスティバル”

の真っ最中で。



ま~想像を越えてました。



運良くというのか、わるくというか

そのフェスのイベント会場

真ん前のホテルでさ。



夜2時くらいまで

野外ディスコが

ドスンドスン鳴ってた。



それも通りをはさんで

2つや3つ。



これでもかというくらい

でかい音であって。



活動するために

ゆっくり休まなくては

ならないぼくらの安眠を

邪魔すること、

はなはだしかった。



たまらずに予定を

繰り上げてイロイロへ

船で移動。



そちらでは

わりと静かに過ごせたかな。



とまれかくまれ

無事でした。



ご報告でござんした。



(つづきません)


のびのびボランティア紀行
セブのマクタン島。丘の上に小屋が連なる。ウソみたいに美しいところ。みんな貧しいながら助け合っている




忙しいとブログでいうと

「自慢」ととられるらしいです。



とはいいつつも

多忙を極めつつ、やっと日本での

作業が終わり、明日フィリピンへ

旅立ちます。



16日に1日だけゆっくりできる予定。

それまで1日も休みが

ありません。



仕方ない、予定を立てたのは

自分自身なのだから・・・



それでも着実にやることは

終えてきているので、

いいかなと思っています。



じつは眠ることが3度の

ご飯より好きなのですが、

このところ眠る暇があんまりない。



それこそ寝ていたら

ご飯も食べ忘れるくらい

なんですが。



とはいいつつ

健康そのものなので

不安はありません。



しばらくブログも

お休みになります。



では10日後ほどに・・・

(フィリピンで日本語のうてる

ネットカフェがあったら

書き込めるかも)





のびのびボランティア紀行
ネグロスの砂糖きび畑。雲の向こうには慰霊するべき山々が・・・




今日も文字少なめです。

安心してください。



ネグロス島のことを

調べていると、一時期世界中で

「貧困の島」として有名に

なったと知りました。



日本でも某組合などで

せっきょく的にネグロス・バナナを

輸入していたことも。



だがしかし百聞は一見にしかず。



ネグロス島は貧困だけの

島にあらず、なのです。



とくに日本とは因縁

浅からぬ関係です。



戦争時代はお互いに

敵同士だったことも

ありました。



今では平和で、戦時中の

記憶を持つ人も、少なくなって

来ていますが。



あ、油断してると文字数

多めに・・・



このへんでやめときます。





のびのびボランティア紀行


ネグロス島シライの、砂糖きび農家。辛い重労働に従事する彼らは、最貧層に属する




これまで5、6年間のテラの会の

活動で得たものは、何といっても

人の縁です。



数え切れないほどの人に

お世話になっており、

なかには親しく付き合って

下さる方もいます。



そんな中の一人の、

娘さんが、たまさかの

縁でテラの会事務所から

徒歩3分の日本語学校に

通うことに。



日本に来て間もない

彼女をさそって、

中華街に行って来ました。



12時に石川町駅で

待ち合わせていたのですが、

私たちは道に迷い、

けっきょく着いたのは

12時30分でした。



おそらく彼女は

「日本人は時間にうるさい」

ときかされてきたはずで、

12時きっかりに

ぼくに電話をくれました。



「ごめんなさい!

遅れています。

あと3分でつきます」



といいながら、遅れること30分。



はっきり言って

中華街や石川町近辺は

地元民でも迷う。



高速道路やなにやらが

たくさん通っている。



それを言い訳にするわけでは

ないけど、タイから来たPさん、

本当にとんだ歓迎になりました。



タイ人は時間にルーズとか

日ごろ言っている自分らが

30分の大遅刻。



あ、ほ、かー。



さてPさんと別れたあと

こんどは、今週に旅立つ

フィリピンのネグロスの

バコロド支部の家族に電話。



これが、ぼくの頭を混乱させた。



何しろ、一日のうちに、タイ語、

英語と、脳のチャンネルを

切りかえなくてはならない。



これはけっこう大変で、

マルチリンガルでもない

ただの人のぼくにとっては、

かなり厳しい作業になる。



そういうときは、

手元にある英会話の

本や英語の小説を

手に取り、数行、

声に出して読みます。



すると、頭が英語に少し

ずつ切り替わります。



それでもってやっと

フィリピンに電話です。



それだけやっても、

ときどき、知らない男の人が

出て、「Aさんはいません」

とかいわれてしまうのだが。



アラサーのぼくが、

20代ごろの自分に言いたい。



わるいこといわないから、

英語と、もうひとつアジア系言語を、

半泣きになってもいいから

猛勉強しなさい、と。



あとで苦労するぞ。



タイ語も、バンコクで半年かけて、

宿題のしすぎでけいれんするほど

学習したのに、使わないと

どんどん忘れる。



なんだっただ、あの苦しみは。



そのうちアップル社なんかが、

”アイ-マウス”みたいなのを

開発し、口にふくめばあら不思議、

喋りたい言語がどんどん

出てくる、みたいな世の中に

なって欲しい。



グーグルでもいいから。



というわけで今日は脳みそに

盆暮れ正月一緒に来ました。



とはいえ休めません。

明日もあさっても

しあさっても、大忙し。



その次の日も一日中

用事があって、その次の日は

フィリピン出発という

無謀きわまるスケジュール。



誰か、ぼくが途中で

スライムみたいにとけない

ように祈っといて下さい。


(つづけないよーだ)





のびのびボランティア紀行


マニラの悪名高きスラム街、トンド地区で支援の様子。すぐに車に戻らないと危険だった




フィリピンの心理学者

エンリケスによると、

「カプワ」というのがあるらしい。



カプワとは、ぼくもよくわからないけど、

多分フィリピンで受ける歓迎、

全てひっくるめた”あたたかさ”かもしれない。



たとえばマニラの街の小道に入ると

そこだけで小宇宙。



ベーゴマをやる男の子たち、

ままごとをする女の子たち。

それを見守るお年寄り。



そして小道の入り口で突然の

ようにはじまるお葬式・・・



火葬にする薪(まき)代を集めるため、

募金箱が棺おけの前に置かれる。



どんだけなんだ、と言いたくなるけど。

それがフィリピンの流儀。



そして、そんな小道全体を包むのが、

きっとカプワなのだと思う。



カプワの心は、

他者に共感的な自我のあり方、

と難しくいえばそうなる。



そういうのは昔の日本にも

当たり前にあったけどね。



つまりは血縁やご近所の

関係が濃くて、芋づる式に

どこまでもつながる。



だからその小道の一人と

仲良くなれば、

どばーっと一気にその辺の

人全員と仲良くなるわけ。



これはいい面とそうでない面と

あって、たとえば日本人がフィリピンの人と

結婚したとする。



それでときどきそんな小道を

訪れたとする。



日本人といえば、フィリピンでは

「金を持っている」と思われやすい。

かくしてその家には、「●●ペソ貸してくれ」

という親戚やら友だちやらが

押しかけてきたりする。



それだけならまだいい。



結婚したあと、そんな小道に

日本から移住して、奥さんか旦那さんと

住みはじめたとする。



日本人は計画性があるので、

お金がある程度たまると店を

開いたりする。



そのこと自体、何の問題もない

わけだけど、例の濃い血縁やら

友だち関係のもつれで、

最悪の場合、殺害されるのだ。



日本人の方に非があるケース

ばかりじゃない。



ただの逆恨み、嫉妬だったりも

する。



この嫉妬、いわゆるジェラスも

フィリピン独自の、ほかのアジアでは

そこまで激しくないものだと思う。



これは、スペイン人の血の

なせるわざだと、ぼくは思う。

スペインは、伝統的な復讐の国。



その”ジェラーソ”の感情たるや

ぼくらの想像の域をかるく越える。

そして彼らの「恋愛」は、いかに

相手にジェラーソに接するかで

表現される。



だからよくスペインなどの

人が、抱き合って軽くキスし合ったり

するでしょう。



ある意味では、ああまでしないと

「私は敵じゃない」という表現に

ならないことの裏返し。



それをもって、日本人の女性などは、

ちょっと誤解して、「外国の男性は、

素敵。だってこんなに愛情表現してくれる

もの」とか思ったりする。



愛情表現というか、彼ら独自の

独占欲の強さ、欲深さの表れなんだ

けれど。



それに気づくのは、ずっと後だから

いいのでしょう。



話しががばーっとずれた。



なんだかんだと言って、

テラの会のフィリピンの活動は、

フィリピンの”カプワ”によって

成りたっています。



カプワなしには、

常識も違い、言葉も通じない

遠い島では活動できません。



とはいえ、常に外国人という

意識をもち、凛とした関係を

保たなければなりません。



ずるずるべったりの先には、

最悪の場合、死が待っている。



それがフィリピンです。



(つづくかな)


のびのびボランティア紀行


ミクロネシア・チュークの山奥。日本兵の墓。今でも現地の人が花輪を

供えてくれている。




来週フィリピンに出かける

テラの会ですが、フィリピンに

”絶対”という言葉はおそらく

ありません。



”確実”とか”安全”も

あまり期待できません。



ただ実直な人もいるので

そういう人の縁を活用する他

ないのです。



”絶対”、”確実”、”安全”

と程遠いのが、政府関係。



警察も同様です。



だから私たちは、よほどの

理由がないと、政府や公的機関とは

かかわりを持ちません。



普通に考えると逆です。

政府や公的機関を通した方が

信用できるじゃないか、

と思う方もいるでしょう。



世界って、意外と広い。

そんな常識が通じない国や

地域もあります。



さて私たちが活動する

バコロド、ちょうどマスカラ

フェスティバルの真っ最中。



セブのジナンガラン・フェスに

並び、ビサヤ諸島の3大祭りと

いわれている、かどうかは

定かでないけど。



とにかくそれを目当てに

観光客が押し寄せてくる。



ホテルもなかなか取れない。



私たちも、さんざん探して、

やっと取れました。



ストリートチルドレンの集まる

プラザ公園に近いので、

支援もしやすいでしょう。



自分も心配性なので、

予約確認の電話を今日も

入れました。



少し不安なのは、

「では今日デポジット(予約料)を

払っていただけますか?」

という一言。



「あの、私たちいま、日本にいるので、

デポジットを送金するのは、

お金も手間もかかるのですが・・・」

というと、



「あ、そうですか。じゃあOK」



とのこと。

大丈夫か、そうでないか、

ぜんぜん全くはっきりしない。



そういう時は、もうあまり深く

考えないこと。



成るようになるさ。

ゆけばわかるさ。



準備は慎重に、

実行は大胆に。

借り入れは計画的に。

(それは違う、と脳内の誰かがいう)



そういうわけでフィリピン行きも

だんだんと近づいてまいりました。



(つづくかな)