のびのびボランティア紀行

森の学校。寄宿舎もある。こんかい訪れると、みんな教会に出ていて、いなかった





日本は清潔です。

そのおかげで平均寿命が伸びています。

いいことです。



タイやミャンマーは、

衛生観念が違います。



だから食べ物には

気をつけなくてはなりません。



向こうの細菌になれていない

日本人にとって、

そこは敵だらけ。



スイカにあたりました。

気をつけて、気をつけていたのに。



気が抜けて、

屋台の果物売りで買っちゃいました。

「あたり」のスイカを。



パイナップルにせよ

スイカにせよ、果物自体は

新鮮なら問題なし。



ただ売り手のひとが

衛生に気を配らない人だったら

アウト。



ぼくの当たった屋台は、

おばさんが、素手でスイカを持ち、

きれいでなさそうなナタで切りました。



やばいんじゃないか~と

思っていたら、その通り。



ウォーターメロンはやばい。

最低でも、手にナイロン手袋を

つけてないと。



気をつけてる果物売りは、

素手でふれない。

もし、いっかいでも中ったら

「あそこの屋台はやばい」

と売れなくなる。



だから、危ないのは新米さん。

おのぼりさん。



やばいかなと思ったら、

もったいなくても捨てることです。



まだ真人間にもどれない

わたくしでした。






のびのびボランティア紀行

メーソートの学習支援施設。ここに寄宿する子らもいる



おおげさな言い方をすると、

「生きて帰ってきました」



ふつうの言い方をすると、

「ただいま」



帰国したのです。

そんな気持ちをホットに表現したい。



日本の寒さにきゅっとしまっていた

汗腺を、タイのあつさで無理矢理

こじ開けられて。



きいてないよーと

身体がいうのも

きかないふり。



むりくり飛行機やバスを

乗りついで、活動してきました。



ではさようなら。



なんてあっさり過ぎると思う方は

つづきにお付き合い下さい。



メーソートはタイとミャンマーの

国境の街で、つい先日、

軟禁を解除されたアウンサンスーチー

さんが、さっそく訪れた。



それくらいミャンマー人が多い。

この場合ミャンマー人というのは、

ミャンマー領内から来た人、

という意味です。



メーソートには、ビルマ族より

むしろカレン族の人が多く

来ています。



長年つづく戦乱をさけて、

少しでも現金収入のある

タイ領内へ逃げてくるのです。



タイ政府も、わりとそんな

難民を受け入れています。



というのは安い賃金で

工場労働などやってくれるから。



タイ人だと、1日最低賃金300バーツを

払わなくてはなりません。



これは、小規模な家内手工業の

多いタイ人には、けっこうな

痛手です。



たとえば、果物プリンを

つくり、暑い地方に売っている

Aさんがいたとします。



Aさんの果物プリンは人気を

博し、いまや冷蔵庫を5台

使うまでになりました。



とうぜんAさんの細腕では

これ以上つくれなくなり、

人を雇いました。



5人雇うとして、300かける5。

1500バーツ。タイでは1日に

1500バーツ使うのは、かなりの

負担になります。



そこで、全く同じ作業でも、

「わたし、200バーツでするよ」

というビルマ人難民がいるとする。



当然、Aさんはビルマ人の方を

雇います。同じ作業なのだし、

仕事ができるだけでありがたく

思ってくれるのだし。



そこで問題が出る。

タイ人の仕事がなくなるじゃないか。



その矛盾を、いまだにタイ政府は

解決できません(というか解決する気が

あまりなさそう)。



だとしますと、ビルマがオープンに

なって、工場なんかがそっちに

移っていくと、タイは困る。



困った困った。



わたしにも、どうしていいか

分からない。



誰か頭のいい人は

具体的な解決策を

考えて下さい。



ではグッバイ!







のびのびボランティア紀行

メーソートの森の学校「ノーンボデーン」で。衣服や食料を渡した。



衣服支援の活動のため

タイとミャンマーの国境、メーソートへ

明日から行ってきます。



半年ほど前から、郵送にて

衣服をメーソートまで送っています。



それと、飛行機にのせる分を

合わせると、250キロほどになると

代表が言っています。



その準備段階で、タイへ郵送したときの

明細の一部がこれ↓



のびのびボランティア紀行


いくらかかったかを示す、領収書は↓



のびのびボランティア紀行


8.265グラム、つまりおよそ8キロで

4,900円かかっています。



これは一部であり、他にも何回かに

分けて送っています。



このように衣服を支援するには、

郵送料などがかかります。



その他、手渡しの活動をしているので、

現地へ行く交通費がかかります。



バンコクからメーソートへは、

バスで10時間以上かかります。

荷物を抱えて、決して上等ではない

バスに10時間のると、それだけで

体力が無くなります。



だから昨年から就航している

航空機を使います。



LCCの国内線を使い、2人で

およそ2万4千円です。



削れるのは、宿泊費と食費です。

一泊500バーツ、およそ1500円の

古いホテルに泊まります。



また食事は、地元の食堂でとり、

一食につき、2人で100バーツ、

300円で足ります。


そうした経費はほぼ全額が

私たちの自己負担です。



寄付金も少々ありますが、

全く足りません。



また商取引で行くわけではないので

活動から生まれる収益もありません。



純粋にボランティアです。



このあいだ、役所の窓口の人に、

ミャンマーでボランティアをしている

ことを説明する機会がありました。



そのとき、職員の男性は、


「いやー、自分も余裕があればね

(やってみたいけれど)」



とおっしゃっていました。

私は、いえ、決して誰にもおすすめ

しませんと答えました。



全ては持ち出しで、出費で

出て行くばかりだと。



なかには余裕があるから

ボランティアできるのだと思う

人もいるようです。



それは誤解です。

余裕はありません。

むしろ余裕がないために、

もっと切羽つまっている

難民の思いが近く感じられて

活動に駆り立てられる面も

大きいです。



論理的な考え方では

私たちのような活動は

しないはずです。



個人的な意見として

「情け」の方が「論理」「合理性」

よりも先に立つべきだと

私は思います。



やらずにはおれないのは

「情け」です。



その情けがガソリンとなって

活動するのを、知性や、強さが、

かろうじて支えてきました。



とても大きな枠のなかで言うと、

日本人であり、日本国籍の

パスポートを持っているから

活動できました。



だから活動を通して

わが国を大切にしようと

思う心が育つのは当然です。



そうした国を支えているのは

毎日働いているみんなです。

税金を納めたり、食物を生産したり、

とったりしているみんな。



だからこの活動は、みんなの

おかげで成り立っているのです。



日本のみんな、そして海外の

協力してくださっているみんな。



とにかく、ありがとう。



無事であれば23日に帰国

いたします。



それでは、しばらく。






のびのびボランティア紀行

フィリピンのイロイロの海岸で支援。




藤子不二雄先生が

漫画家に成るまでを描いた、

自伝的漫画「まんが道」。



感動的物語なのだが、

作中にたいへん気になる

エピソードがある。



まだ上京する前、

漫画家をめざす主人公の一人が

新聞社につとめる。



働きながらさまざまな

雑誌へ漫画の投稿をする。



それでかなり認められ、

懸賞金をもらって、少し

うかれ気味になっていた。



そこに、新聞社の上司で

漫画に理解を示す先輩がひとこと。



あんまりいろいろと画風を

かえたら、本来の自分らしい絵が

描けなくなるんじゃないか?



ガーンとショックを受ける主人公。

賞金を稼ぐことにやっきになり

漫画家という道を忘れそうに

なっていた自分を反省するのだった。



と、エピソードはぼくの記憶の中では

そうなっている。



細かいところは、だいぶん

違っているかもしれない。



もしも正確なすじを知りたければ、

「まんが道」を手にとって下さい。



読んで損はない内容だから。



エピソードがぼくに教えるのは、

「まっすぐ行け」ということ。



少しばかり世の中でちやほや

されたからといって、本来の

自分の方向を見失ってはならない。



(一度もちやほやされたことはないけれど)



四角四面になる必要はないけれど、

目の前のものに左右されるのは

もっとよくない。



というふうに自戒する時期です。



(つづきません)




のびのびボランティア紀行

メーソートの森の学校。外からは分からない、奥まったところにある。寄宿するのはみんな少数民。




フェアトレードというのがあります。

単に物価や人件費の安さをうりに、

後進国からしぼりとるのではなく、

もっと支援になるような、対価を

払ってものをつくってもらい、

輸入する。



そういう概念でしょうか。



テラの会でも、同じような発想で、

現地の物品を販売しています。



日本のフェアトレードのNPOの

人によれば、「ただ寄付したり

するのに抵抗がある人でも、

フェアトレードのものを買うという

やり方もある、と思ってもらえれば」

といいます。



同じことをテラの会でも

言っているし、実行しています。



日本で海外の輸入品などを

売る場合、なにより先行するのは

イメージです。



だから、有名デパート、

百貨店に出店する必要が

あるのです。



そういうところで売られるものなら、

何かしら、いいものに違いないと

思われるようです。



つまりはフェアトレードにしても

まとまった資金が必要なのです。



いちばんお金がかかるのは

広告費でしょう。



アイデアはたくさん、

実行できるのはほんの少し。



夢だけは、大きく持ちましょう。













のびのびボランティア紀行

メーソートの森の孤児院。テラの会理事辻さんと、衣服手渡しをした




タイのメーソートから

日本へ留学にきた、

Sさんが帰国されました。



1ヶ月と短い滞在でしたが、

私たちも何度か会うことができ

よかったと思います。



さいごの日、

空港へ行くSさんとお茶を

のみつつ、かるく話しました。



すると、せっかく日本に

来たのに、日本人の友だちが

できなかったとか。



スリランカ人、ベトナム人、

アメリカ人やオランダ人など

語学学校では、国際色豊か

だったと。



それでも日本人とあまり

会わなかった・・・



それはもったいない気も

します。



Sさんは10代の女性です。

同じ年ごろの日本人女性で

タイをはじめ世界に興味を

持つ人はたくさんいるはず。



そんなお互いの交流を

つくるのは、けっきょく「場」

なのだなーとか思いました。



さいごのさいご、

テラの会理事でもある

辻友子さんの

「万葉コンサート」に

連れていきました。



コンサートも人の集う

いいきっかけです。



そういう「場」をつくる役目も

大切だと思います。



できればそんなコンサートを

アジア各地で開けたらなとか・・・



イベント好き、祭り好きの

わたくしことコータの

夢はふくらみます。



ただ経済的に黒字にする

才覚に、決定的に欠けています、

哀しくも。



ゆえにしばらくはしずかに

しておきます。



いつか、全国各地で、

テラの会の活動報告プラス

コンサートを開きたいな。



なんてね。

誰がショバダイ出すのって

話しです。








のびのびボランティア紀行
ミクロネシア・トラック諸島で仲良くなった家族




テラの会の慰霊はサイパンから

はじまりました。



その後ミクロネシアの

トラック島へも足を伸ばしました。



そこは明治時代から、

日本人が少しずつ

入植していった島々。



すてきな南洋の

パラダイスでした。



とはいえグアムやサイパン

みたいにキレイな

リゾート地ではなく、

みんな自然によりそって

楽しく暮らしていました。



そこで日本人の私たちは

とても歓迎されました。



かつて日本の領土(という言い方は

ものものしくてイヤだけど)

だった時期もあります。



スペイン、ドイツと

支配者がかわって

さいごに日本になったとき、

はじめて島民のための

開発が行われました。



それまでの支配者は

島民からしぼりとるだけで

育てようとしませんでした。



そういうわけで

トラック諸島は今でも

大の親日です。



日本人の血をひく

日系人もたくさんいます。



ビョーイン、ジドーシャなど

日本語もトラックのことばとなり

残っています。



仲良くなった家族に、



「今度は衣服をたくさん

持ってくるからね~」

と約束したきり、

4年が経ちます。



チャンスがあれば

もう一度訪ねたい気持ちは

やまやまですが。



みんな元気にしてるかな。




のびのびボランティア紀行

ヤンゴン近くのサイクロン被災地に支援したとき。塩害で作物が育たない。



タイでつくった眼鏡の止め具が

「ぽろ」と落ちたり、

いすに腰かけたら

足裏マッサージ器のとっぺんが

出るとこにささったりと

ハプニングつづきな私。



この間チャイナエアラインに

乗ったとき、はて? と思うことが

ありまして。



機内で航空地図を眺めて

おりました。



国際線の飛行機では

目の前に小さなモニターがあり

映画やなんかを楽しめる。



そのモニターで、

いま飛行機がどのへん

とんでるか、確認できる。



その地図を見ていると、

みなれたところに

みなれぬ名前が。



沖縄県のところに

「琉球」とあるのです。



ちなみにその画面は、

台湾語と英語が両方

見られます。



英語にきりかわると、

たしかに”Okinawa”

と表示される。



それが台湾語(中国本土の

簡体漢字でなく)になると、

”琉球”になる。



ほへ?



もちろん沖縄県が

かつては琉球王国だった

ことくらい、知っています。



意外でした。

今でもそんな地名が

通用しているなど・・・



感覚としては

佐賀県が、鍋島と

呼ばれてるような。



何となくひっかかる・・・



まあ、他のお国のことですから、

その国の人が、地名を

なんと呼ぼうと、

干渉できませんけれども。



沖縄県の人は、

この事実を知っているの

かなあ・・・とか

素朴に思いました。



ちゃちゃん。






のびのびボランティア紀行


イロイロの海岸で。美しい海辺にそって、びっしりと貧民街が並んでいる



何をいおうとしてたか忘れた。

気をとり直して、と・・・



そうそう、テラの会は日本国内でも

支援活動を行っています。



季節ごとに、経済困窮者の

方がたに、衣服を差し上げています。



そこでは、センセイは


「アニキ」だの「頭(かしら)」だのと

言われております。



テラの会の事務所には

そうとうな、ハンパでないほどの

子ども服が集まっています。



本当は、それを必要とする

人は国内にもいるのだろうな・・・

とは思います。



給料は下どまりでも

子育てを頑張っている

人など・・・



それでもどうやって

そういう方がたと

触れ合うことができるやら。



テラの会は海外活動が

中心ではありますが、

地域社会に、できるだけ

貢献したいと考えています。



いい知恵はないかなあ。





のびのびボランティア紀行

フィリピン人でさえびびって近づかない、夜のマニラ湾岸。背中に気をつけよ!




ていあーん。

提案です。

フィリピンに進出して欲しい

日本企業。



それはずばり、

警備会社です!



セコムとか。

なぜかって、フィリピンに無いもの、

それは「安全」だから。



マニラやセブの街中では

コンビニの前にさえ、マシンガンで

重装備した警備員がいる。



ガンマニアの人なら

きっとハッピーに違いない

世界の銃器のオンパレード。



アメリカ製のM16ライフルは

言うに及ばず、ドイツの特殊部隊用の

ヘッケラー&コックの短い

機関銃。



はたまた散弾銃のレミントン。

それがしっかり実弾装弾されて

あります。



一般市民にとっては

おっかないだけ。



そこに、日本の進んだ

セキュリティー技術が導入

されれば。



みんな本当に喜ぶ。

コンビニでカップラーメン

食べるため、命を削る

必要なくなる。



ぼくが本当に目にしたのは、

マニラのアラブ料理屋の前。

アフリカ人のタフな用心棒が

門番に立ってた。



たぶん不法滞在であろう

アフリカ人。きっと母国は

内戦なのだろう。



つまり日本の警備会社が

やるような仕事は、

フィリピンではごろつきや

タフガイがやってる。



これ本当。



だから提案したいのです。

日本の大手警備会社に

進出してほしいと。



みんなが待ち望んでいます。

治安がよくなれば観光客も

増えるし、一挙両得。



どうですか、セコムさん・・・