タイトルからして知れる、

くだらない内容です。



脳波がゼロになりたくなければ、

すぐにブラウザをクローズしてください。



本日は、100年に1回しか来ない、

「ひとみちゃんの日」。



どういうこと?



ほら、西暦年月日を見てごらん。



2012年12月12日。



ひとみ、ひとみ、ひとみ・・・



あーくだらない。

こんなこと考えてるからって、

忙しくないわけじゃないです。








直しても、また、トラブル・・・


そうして、また、一日が過ぎた。

ということで、パソコンなくして、生活が成り立たない。


もちろん、それを動かす電気である。


普通に暮らすために必要な、電力。


たかが、電気とはいえない、現状である。


30パーセントを負っていた、原発。

それを持続させるのか、否か。


ドイツでは、脱原発が、もう破綻である。


国民が、電気料金の値上げに、悲鳴を上げた。

電気料金を払うための、人生になりかねない。


人間の造るもので、安全なものは、一つもない。


直したと思ったら、また変になり・・・


そうして、一日が過ぎて・・・


書きたいことが、山ほどある。

ところが、どんどんと、忘れる。


次から、次と、新しいものが・・・

それだけ、毎日反応している。


気分は忙しい。


さらに、新しい知識との出会い・・・

これが、いい。


死ぬまで、続くのだろう。



のびのびボランティア紀行
パプアのラバウル空港。ここで筆者はたいへんな目にあった。




誰も霊(れい)の話をしたがりません。

なぜなら、霊なんて、ヒカガクテキだから。

でも、150年ほど前までは、

日本人は誰もが霊の存在を信じていた。



疑うことすらなかった。

そもそもそれを疑いはじめたら、

文化の8割から9割は、意味なしになる。



お葬式、お祭り、お盆・・・



もしもそこに霊(れい)がないなら

ただのお遊び。



お遊戯会。

子供のやること。



だが昔は大人が、

よってたかって真剣にやっていた。



ではその時代の人たちは

バカだったのか?



そんなわけない。

みんな、ちゃんとした分別を

わきまえた人たちだった。



前置きがながーくなりました。

霊(れい)の話をします。



そんな話をすると、たいがいの人から

「頭が悪い」と思われます。



頭が悪いと思われたくないので、

エラくなった人ほど、そういう話を

したがりません。



わたくしは頭が悪い

と思われても、そんなに気にしない。



だから話す。

それは、パプアニューギニアの

ラバウルでのこと。



慰霊と支援の活動を終えた

私たちは、空港へ向かい、

飛行機を待っていた。



空港といっても、

オンボロの小屋みたいなもの。



ゲートへつづくドアも、

がちゃっと鍵であく。

そのまま歩いて滑走路まで

出れる。



いやよくみると、外から滑走路が

つながっている。



ようは誰でも飛行機の

降りてくるとこに、出れる。



そんなところ。



そこで飛行機を待っていると。

いきなり、頭がぎんぎん痛みだした。



その痛みはハンパなくて、

鉄の輪をこめかみの周りに

はめて、ぎりぎりしぼってるような感じ。



本当に大声で叫びそうになって、

空港の係員をよび、クーラーの少しは

きいてる部屋で休もうとした。



そこで横になってても、

いっこうに楽にならない。



常備薬としてもっている

頭痛薬を飲んでも、きかない。



そのまま救急車にのって

病院にいきたいくらい。



でも周りはジャングル、

またジャングル。



誰も助けは来ない。



それで、外に出て、

現地の人のするように

地べたにどっかと座り、

必死でこらえた。



熱を測ると6度9分くらいで、

微熱だった。



それなのに、頭はぎしぎし痛い、

身体は震えてくる。



マラリアか、と本気で思った。



そのとき、たまたま、

日本の東北地方の民謡の

CDを持っていた。



なぜだかそれが

むしょうにききたくてたまらない。



頭痛をこられながら、

東北の民謡をきいた。



するとなぜだか泣けてくるのだ。

胸にせまるというか。

染みるというか。



それまで、その民謡をきいても

そんな感覚はもったことが

なかった。



けっきょく私はこう思うことにした。

このラバウルでたくさん亡くなった、

東北出身の兵隊さんが、

日本に帰りたがっているのだ。



それで私に痛みを通して、

その思いを伝えてきているのだと。



そんなふうに思うしか、

原因不明の症状に

理由が見つからなかった。



こんな状態で飛行機に

のれるのかなと思っていた。



それなのに、ポートモレスビーから

飛行機が来て、座席に着いた

とたん、スーッと痛みが

抜けてきた。



その後の空の旅は、

何事もなかった。



こういう経験は、慰霊などを

やっていると、わりかしある。



だから昔の人は、

真剣に、ご先祖さまの霊を

慰めようとした。




日本人jが、霊(れい)の存在を

信じなくなってまだ60年くらいだと思う。



それまで、ウン万年のあいだ、

われらホモサピエンスこと人間たちは、

霊の存在を前提として生きていた。



現代は科学が強いからと

おごりたかぶるなかれ。



わけのわからん、

目に見えない世界は、

きっとある。



ただ、巧妙に隠されただけ。



実のところは、政治家やら

権力者にしろ、学者さんにしろ、

上に行けば行くほど、

よくわからん世界に傾倒している。



運にほんろうされる、

よくわからない人の命というのを、

社会の上にいけばいくほど、

骨にしみるように知っているのに

違いない。













パソコンがシャーンとしました。

つまり買い換えたってこと。



こういうとき、首都圏にいるのが

ありがたいと感じる。



なぜってオフィス用のお古パソコンが、

1万円台で買えてしまうから。



もちろん機能は、

事務処理程度なら十分。



アルバイトでホームページ作成も

やっているので、動作が速くなって楽。



それでもさまざまな

パソコン入れ替え作業で

一昼夜かかりまして。



しっかり昼と夜が反転。

昼間の仕事をしなくては、

なので、目を真っ赤にして

外出しています。



わたくしを寝付かせてくれるのは

ジョンコルトレーンの

「バラード」というアルバム。



絶妙に落ち着きます。



このあいだ、まかり間違って、

同じコルトレーンの

「アセンション」をかけてしまったから

たいへん。



それもボリューム1・5倍で。



メコン川で溺れるビッグな象の、

悲鳴みたいなのが、えんえんつづく。



眠気はぶっとびました。


ボーンとパソコンがとびました。

とんだというのは、壊れたということです。

けっして、本当に空とんだのじゃないです。



ハードディスクの中身が

消えたかも。



ただいまサルベージ作戦中です。



みなさま。

年末にはお気をつけ下さい。

静電気が発生しているため、

パソコンなどは、とくに

ぼーんといきやすい。



大事なファイルは

めんどうくさくても、

フラッシュメモリなどに

入れて置きましょう。




のびのびボランティア紀行

ミャンマーとタイの国境タチレクで、孤児院に案内してくれた青年。パスポート発給業務をしている。



テラの会をやっていると

アジアのナマの情報に

接する機会がふえます。



今から思えば・・・

ということが多々あります。



たとえばミャンマーの

開放への転換を

ちょっとばかし先に感じたこと。



タチレクという

タイとミャンマーの

国境の街で

出あった青年。



彼はパスポート発給の

業務をしていました。



その彼には少数民族の

孤児院を案内してもらいました。



さて日本からある日、

彼に連絡をとりました。



すると、タチレクではなく

ミャワディーに移動して

仕事をしているとのこと。



・・・ん?

わたくしことコータは反応しました。



ミャワディーはもう一つの

タイとの国境の街。



メソトというタイの街と

接しています。

国境地帯ではもう長いこと

少数民族と、ビルマ政府軍が、

武装してたたかってきました。



国境はしばらく

閉ざされたままでした。



そこへパスポート発給の

公務員が配置された、

ということは。



何かが、ミャンマーの

国内で、起きつつあるぞ。



国境の開く日も

遠くないかもしれない・・・



などと感じつつも

声に出さずにいました。



なーんとそれがあの

大解放路線への転換に

つながろうとは、

思いもよりませんでした。



アジアのディープな

部分にふれている

テラの会です。



その情報網は、

小さな島から、

ジャングルの奥へ、

はたまたスラム街の奥深くへと

つながっています。



人と人との縁ですので

それはナマ。



ウェブ上の情報よりも

1.5倍早いです。





のびのびボランティア紀行


チェンマイの施設にいた、ビルマ難民の子。衣服を手渡した




タイやミャンマーと日本を

行き来していると、ちょっと

おかしな感じになります。



タイでは知らない人にも

そこはかとない笑顔を向けます。



そのクセがうつって、

日本に帰ってからも

エレベーターで会う人に

にこっと笑っている私。



笑われたほうは不気味です。



小太りの30男に

いきなり笑いかけられて

ごらんなさい。



何か顔についてたかな?

とか思うでしょう。



それでもこのスマイルぐせ

かんたんには抜けません。



眉間にしわをよせる

おけいこをする日々です。





腹がもとにもどりまして。

やっと形のあるおそそが

でよる。



一週間いじょうかかった。



みんな、気をつけよう。



元気になったので、

11月に支援した寿町の

様子を、アップしたぞ。



みたらどう↓

寿町支援



病み上がりなので、

ではまたね~。







のびのびボランティア紀行

教育施設の先生(真ん中)と。ビルマ国籍の彼女は成績優秀で、いまはバンコクで大学に通う。



やっと少し人の心地がついて

きました。



意外に長引いた細菌性胃腸炎。



パイナップルかスイカか

どっちかにやられた。



思えば数限りなく、アジアの

細菌どもにやられてきた。



戦って勝てる相手ではないので、

何とか出会わないように

気をつけている。



それでも奴らは待ち伏せしてくる。



ヤンゴンのスイカにやられた時は、

腹の中を何かが右に左に

うごめくのがわかった。



ネグロスのパイナップルに

負けた時は、上からもリバースした。



いつまで奴らにやられつづけるのだろう。



アフリカあたりへ行くと

寄生虫もいるらしい。



寄生虫は、ほんとうに怖ろしくて、

10年くらい潜伏したあと、

宿主が体力の落ちたときに

いきなり攻めてくるらしい。



そのせいで命を落とした

人もいるくらい。



今のところ、まだ寄生虫には

出会わないので、運がいい方

かもしれない。