のびのびボランティア紀行

ネグロス島のスラムで支援した少女。キュートなので俳優になるかも?




フィリピンには宝が埋まっている。

昔、日本軍が埋めたという”山下財宝”の

ありかも、みんなまだ血まなこで

探している。



その有力候補が、ネグロス島の

バコロドなのだとか。



というのは、バコロドのシライ空港を

つくるとき、日本政府の協力で

地質調査をした。



すると、ネグロスに駐屯していた

日本軍の爆薬や地雷などの

兵器が地中から出てきたのだ。



すわ、山下財宝の一部が

このへんに、と地元ではフィーバーに。



けっきょく見つかってはいないが

今でも、そういう発見はしょっちゅうある。



ビルマで飛行場跡に、イギリス軍の

戦闘機が埋まっていたのを発見されたり。



いや、本日は、こんな話しを

したかったわけでない。



フィリピンのポストオフィスの

いい加減さに、文句をいいたいのだ!



2年ほど前から、支援活動の

協力をいただいている、Aさん家族。



そのAさんの家に、次なる活動の

ために、3個ほど衣服の入った

段ボール箱を送った。



船便なので、2ヶ月から5ヶ月という

もんのすごくいい加減な期間に届く。



それが、はじめの数回は、

長屋街にあるAさんの家に直接

”ポストマン”が持ってきた。



だから安心だと思い

Aさん宅宛てに、ふたたび送った。



合計3個。ひとつ送るのに

5千円はしてる。



それが、1ヶ月ほど前に

「届きましたか?」

とAさんに電話をすると、


「1コも届いてません」

とのこと。



ぬ、ぬあんだって!

半年ほど前に送って

まだ着かないってありか?



Aさんは親切なので、



「明日休みだから、

郵便局までみにいって

来ますわ」



とおっしゃった。

ちなみに上品な女性です。



それからまた電話すること

数回。



なんと、1コしか受け取れなかった

というのだ。



残りの2つは、早く着いたので

保管しておいたが、3ヶ月たっても

誰も取りに来ないので

送り返したとか。



ひょへ~~~



わけのわからん奇声もでます。



以前はAさん宅まで届けてた

じゃないか。



なんで今回は郵便局止めなんかい。

あーわからんフィリピンは。



調べてみると、

フィリピンのネグロス島は、

国際郵便サービスの使える

ぎりぎりの範囲。



その向こうのパラワン島へは

まだ郵便物を送るのは厳しい。



だから郵便局の人が

フィリピン・タイムでゆったり

仕事をしてらっしゃる。



いい加減、

あいまい、

てきとう。



郵便物が来ましたよ、

くらいのお知らせをAさんに

してくれたっていいのに。



こういう苦労が

海外活動ではつきもの

なのだ。



そして、ちょうど次の活動で

ネグロス島バコロドを訪れる

ときは、「マスカラ・フェスティバル」

という仮装行列のお祭がある。



10月中やってるというから

さすがはフィエスタの国、

フィリピン。



Aさんから

「早くホテルも予約しといた

ほうがいいわよ」



といわれた。

あたー、急がにゃならんワ。



センセイは荷物が一個しか

とどかなかったことに憤慨し

タバコを吸って撃沈しました。



(つづく)



のびのびボランティア紀行

クタ・レギャンの裏どおり。現地人にも勝ち組とそうでない組がある。





クタにもどってきたテラの会一行。

旅の疲れそろそろピーク。



あとはゆっくり過ごすはずだった。



それでもやはり、ストリート・チルドレンの

姿が目に入る。



夜、クタの通りを、レストランに

向かって歩いていたときのこと。



女の子二人と、男の子一人の

ストリート・チルドレンが

歩いていた。



彼らは、むかし日本でもはやった

ミサンガを売る。



腕に巻くひもみたいな

お守りのようなもの。



もちろん商品価値なんて

あって無いようなもの。



彼らを哀れんだ観光客が

いくらかのお金を渡すのと

引き換えにあげるのだ。



男の子が英語が話せた。

年をきくと12才だった。



女の子の方も14才くらいに

しか見えないが、赤ん坊を

抱いている。



その子は、この女の子の子どもか

と男の子にきくと、そうだという。



ぼくには、どうしても信じられなかった。

いくらなんでも子どもを産むには

若すぎる。



彼らは、ほとんど物乞いすれすれ

である。



ミサンガは、どこかで仕入れる

のだけど、もちろんタダではない。



一本200ルピアだと言っていた。

200ルピアは日本円にして1円ちょっと。



あとで彼らに会いにいった

センセイによると、彼らは

ずっと歩きどおしで

食事もまともなものを

食べていなかった。



衣服もあげた。

お金も小額ながら渡した。



さいごまで、女の子と赤ん坊の

ことが、気になった。



あとで読んだ本によると、

インドなどの貧しい地域では

レンタルチャイルドということが

行われているらしい。



物乞いが、一日いくらで

どこかの母親から赤ん坊を

借りるのだという。



赤ちゃんを抱いた女の人、

というのは東西を問わず

哀れみをさそう。



ヨーロッパ人も日本人も

あるいはインドネシア人でも

心がぐらりときて、

お金を渡したくなる。



もしかしたら、クタで見た

あの赤ん坊は、レンタル・チャイルド

だったのかもしれない。



そうだとすると、

不釣合いに若い母の謎が

解ける。



そんなふうに、支援という視点で

クタを歩くと、うかつに気が抜けない。

心をオフにしたつもりでも、やはり

気になる。



仕方ないので、あきらめています。

それでも観光するより、もっと

バリに来た気分にはなるかもしれない。



(つづく)










のびのびボランティア紀行

クタ路地裏の女の子たちに支援。はじめは服の押し売りかと思われたことも。





イニ グラティス

というと、インドネシア語で

「これタダです」

という意味らしい。



たいがい路地裏なんかに入って

衣服の入ったバッグをひろげると



「押し売りセールスか?」



と冷たい視線を浴びる。

そんなときは大声で



イニ ウントゥックム グラティス!



と叫ぶ。

これあなたに、タダであげる、

という意味。



それでやっと意味がわかって

みんなスマイルというわけ。



それはいいとしても

インドネシアはテロ支援国家として

アメリカからマークされている。



もう警戒は解かれたのかな?

さいきんの事情はよくわからないけど。



そういえば今日は9月11日。

11年前にアメリカ同時多発テロが

起きた日。



もう主犯も殺害されたし

終わりかなと思うと

そうでもない。



それを如実に感じるのは

アメリカ系航空会社を

つかうとき。



デルタ航空は、わりと安い

値段で東南アジア行きのチケット

を出している。



よく私たちも利用する。



しかし、日本からバンコクなら

まだいいけど、バンコクから日本に

行くとき、めっちゃくちゃ厳しい。



それはバンコク→成田→サンチアゴ

といった具合に、そのままアメリカ本土

まで飛んでいくから。



アメリカは、テロの事態を今でも

ものすごく警戒している。



バンコク発の時間がまた

あさ6時とかなんだ。



それなもので

出国手続きは午前2時くらい。

もう眠さと疲れで

スヌーピーでさえけっとばしたい

くらいの気分になる。



がっくりと疲れたところで

飛行機に乗るゲートで

最後のごう問が待っている。



ながーく

ながーく

もいっちょ

ながーーく



列をつくらされ

ひとりひとり、バッグの中身を

チェックされるのだ。



これが辛いの何の。

待っているあいだに

うとうとしてるのに

立たされて並ばされ。



それも少しずつ列は前へ

行くので、もしがまんできずに

わきのベンチに座ろうものなら、

もう1回はじめから並び直し。



死ぬよ、

ほんとに。



まわりのアメリカ人をみると

バカハッピーになって

テロの恐怖を忘れるか、

まじでぶるぶる震えてるかの

どっちかしかない。



アメリカ人にとっては

テロの恐怖は、こっちの思う

以上のようで。



ある中年男性は、

ずっと顔を手でおおって、

わきで見ててもわかるくらい

ぶるぶる震えていた。



そこまで辛いんなら

タイにわざわざ来なくても・・・



いいえ。

アメリカでタイの人気は

上昇中。



値段も安く、人もよし、

そんなにテロも起きない。

タイはいつでも安心の

観光大国なのです♪

(音符なんかつけちゃったりして)



で、デルタの機内に入るころは

みんなぐでんぐでん。



疲れきってて笑う気力も

起きない。



で、がくーっと寝る。

私なんかは、タイで仕入れた

協力な酔い止めを使う。



まっ黄色のいかにも

効きそうな色をした薬で

のんで30分くらいで

すこーんと夢旅行。



これ酔い止めっていうか、

強力な睡眠薬じゃん。

そんな薬を薬剤師でもない

兄ちゃんに売らせていいのか?

タイ人さんよ。



・・・ふと目がさめると

目のまえに朝食のサンドウィッチ。

こればかりは眠くても食べる。

ついでにバターもたっぷり

ぬってパンももぐもぐ。



帰国して体重はかったら

3キロ増えてる。



動きもしないのに食うからね。



またバリから話しがとんだけど

お許し下さい。



次回はもっと真面目に

バリについて話しますので!



(つづく)





のびのびボランティア紀行
クタの路地裏で。せっかく持ってきた衣服、もらっていただけるとありがたい。




テラの会、バリ島の活動です。

クタ、サヌール、スラガン島と

活動してまわり、ふたたび

クタにもどりました。



残っている衣服を支援しました。




のびのびボランティア紀行



バリ島を含む

インドネシアは

長屋が多いです。



トイレ、水浴び室が共同で、

寝室がずらーっと並んでいる。



その中に入ると

もう日本ではなくなったような

あたたかい雰囲気があります。



みんなお金がないし、

いろんなところから来ている。



水汲みポンプの周りで、

洗濯をしながら女の人たちが

話しています。



文字どおりの井戸端会議。



インドネシアや

フィリピン、あるいはマレーシア、

はては沖縄まで、

そういう文化圏にあるといって

いいでしょう。



島国文化というか。



日本も、50パーセントくらいは

共通した文化にあると思います。



日本の場合は寒い季節が

あるので、北方的な文化も

混ざっています。



そのへんが日本の独自性

なのではないかなー。



ぼくの目からみたら、

日本はミックス文化の国です。



それもとてもオリジナリティー

あふれるミックスのしかたを

した文化。



日本文化については

もっと頭のいい方たちが

いろいろといっておられるので

まかせましょう。



バリの話しです。



長屋に入って

支援をするのには

馴れて来ました。



おどろいたことに

「こんにちは」

「ありがとう」

と日本語であいさつを

されるのです。



どれほど日本が

インドネシアに

人道支援を行ってきたかの

確かな証拠でしょう。



嬉しいものですよ。



遠い海の向こうの国で、

日本語のあいさつを

してもらうのは。



アジアをまわっていて

思ったのは、日本という国には

アジア全体から大きな期待と

尊敬が集まっていること。



もちろん戦時中の

哀しい記憶もみんな

忘れてはいません。



日本がアジアの国々に

かけた負担は想像以上に

大きなものでした。



とくに「軍夫」に借り出された

人たちは、その辛さを

忘れていません。



”ぐんぷ”と読みます。

戦争しているとき、前線に

弾丸や食料を運ぶ役目です。



ほとんどは徒歩で

荷物をかついでいったという

ことです。



薬や栄養価のある食事は

まず兵隊の、それも上官から

渡されました。



軍夫にまわてっくる薬や食事は

粗末なもので、そのため

たくさんの人が命を落としました。



そういう記憶もありながらの

慰霊と支援、なのです。



事務局の私はついていった

だけですが、代表の思いは

想像以上に大きく深いもの

でしょう。



これからも

続けられる限り

続けていきたい、

とのことです。



バリの話しからそれました。



また本筋にもどります。

次回から・・・



(つづく)


のびのびボランティア紀行

スラガン島で遊ぶ子どもたち。海の底まで透けてみえる、超透明度の高い海。




素敵な光景でないか。

海にどぼんと入って泳ぐ子ども。

めちゃくちゃ綺麗な海。



そんな中に浴衣を着た

日本人男性がたっている。

ご存知、木村天山先生だ。



いちどはカメにエサをあげたことで

ぼったくられかけ、気分を損ねた

われわれだった。



しかしそこは、切り換えの早さ。

すぐに忘れて、近くで衣服支援に

入った。



村の人たちは、もの珍しさも

手伝って、どんどん寄ってくる。




のびのびボランティア紀行



だが目は真剣だ。

私も服が欲しいんだ!

とみんな自己主張する。




のびのびボランティア紀行


みんな縫製も弱く、

材料もいたみやすい

衣服を着ている。



そこへ、日本から丈夫な服が

やって来たのである。



それは当然欲しい。

しかも無料ならなおのこと。





のびのびボランティア紀行



いつもながらに

大人気!



男の子の服もたくさんあった。

こういう日差しの強いところでは、

じつは長袖が必要なのだ。



暑い太陽は紫外線でいっぱい。

地球温暖化のせいか、

昔より日差しはきびしい。



だから長袖や帽子、

長ズボンもいる。



女の子たちが

きゃっきゃと喜びつつ

長袖シャツを持っていった。



日焼けして黒くなるのも

いやだからかなー。

とか思ったり。



そんな具合でスラガン島での

衣服支援は、あっという間に

終わったのだった。



(つづくようだ)





のびのびボランティア紀行

楽しげにカメにエサをやるセンセイ。まさかこの後ぼったくりにあおうとは…




サヌールでじゅうぶんに

活動できたテラの会。



クタに帰る途中で

スラガン島というところに寄った。



島民は貧しいときいていたので

残りの衣服を支援しようと

思ったのである。



スラガン島は

バリ本島から海中道路があり

車で渡れる。



海亀が産卵する島として

観光スポットになってるそうだ。



車で小島の中に入っていくと

集落があった。



よせあつめの材料でつくられた

粗末な村。



確かに貧しそうだ。



と、車がやけに立派な

石造りの建物の前にとまった。



観光客は必ず来るとこらしい。



日本でも、地方の、

だいぶん奥へ行くと、

なぞの「秘宝館」とかがある。



そんな感じだ。



さてガイドにさそわれるまま

中に入ったテラの会一行。



人のよさそうなおばあさんが、

にこにこしながら、海ブドウみたいな

海草を渡してくる。



「カメにあげてください」



見ると、小さいが深い

プールがあって、

大小さまざまな海亀が

スローモーなうごきで

泳いでいる。



なんだか楽しくなって、

3人でワカメなどを亀たちに

あげた。



亀は、ゆっくり、

もくもくと海草を食べる。



もう十分と腰をあげると、

さっきの人のよさそうだった

おばあさんたちが、

ブスッとしている。



てのひらをひろげて

こっちに向け、



「カメにエサあげたんだから、

入場料払いな」



みたいなことをバリ語で言っている。



ガイドに通訳してもらい、

いったいいくらだときいた。



「ひとり、50.000ルピアだそうです」



な、なんだと!?

ただカメにエサあげただけで

ペットボトルのミネラル・ウォーター

10本分も払えってか。



・・・やられた。

ここはぼったくり水族館だったのだ。



さっさと払えよ、

と地元のばあさんたちが

イライラしながら待っている。



ふざけるなと思いつつ、

何とか交渉して一人ずつ

20.000ルピアを渡した。



センセイが大声でばあさんに

怒鳴った。



だが海亀のオーラみたいな

スローモーな空気があたりを

支配しており、まったく大声が

きかない。



仕方ない。

こんな島にきたわれわれが

悪かったと思うしかない。



さて気をとりなおして

海で遊んでいる子どもたちに

声をかけた。



(つづく)


のびのびボランティア紀行
これはまた別のバリ活動のとき。学校で衣服を渡しました




遊牧騎馬民族のように

14カ国を5年のあいだに

まわってきたテラの会。



それだけ旅をつづけたら

いやでもコツを覚える。



バックパッカー旅行じゃないけど、

報道カメラマンでもない。



つまりテラの会に、にあった

旅の形、というのが

独自につくられていった。



まず持ち物は最小限度に。

これは鉄則。



というのは、支援物資を

航空貨物として持っていくので、

会社によって、のせられる

重さに限りがあるからだ。



支援物資の方をたくさん

もっていきたいので

自分の物はほんの少し。



さてどうやって

荷物をコンパクトにまとめるか?



じつは、日本古来のやり方が

役に立ったのだ。



それは、「風呂敷」



風呂敷は渋いとかいわれるけど

これがめっぽう便利なのだ。



服をたたみ、靴下や下着

なんかも、風呂敷に入れて、

きゅっと縛る。



すると、ちょうどカバンに

入りやすい形におさまる。



あるときは下着2枚にTシャツ3枚、

またあるときはトレーナーも1枚多めに、

といった、服の量の調節も

風呂敷ならバッチリ。



少なければ小さく、

多めなら大きめに、

バシッとまとまる。



とちゅうで自分の衣服を、

「もうこれ、あげていいや」

と思うときもある。



そのときは、欲しい人に渡し、

風呂敷をきゅっとしめればよし。



これが西洋式のバッグ型だと、

大きさが一定なので、

いれすぎてもダメだし、

いれなさすぎても、安定しない。



というわけで

自分の服は風呂敷につつむ。



ちなみに風呂敷は、三角に

おれば、もしものときの、

応急手当もできる。



まあその使い方は

まだやったことがないけど。



センセイなど

荷造りはチョーかんたん。



着物と下着と、ホテルで着る

部屋着を、風呂敷につつむだけ。



ぼくからすれば、暑い国に行くのだから、

下着類はもう少し、もっていって欲しい

とは思うけれど・・・



ちなみにタイ人は、同じTシャツを

二日つづけて着ることはまずない。



汗でべとべとになり、

雑菌がわいて、臭いも強くなるからだ。



そのへんの感覚が、北国育ちの

センセイにはないため、

暑い国でも同じTシャツを

一週間着てたりする。



そういうのは、周りにいる人

(つまりわたくしなど)が

げんなりするので、どうか考え直して

ほしいとは思う。



つまりは旅の間でも

衣・食・住のもんだいは

ついてまわるってことです。



かつて鳥インフルエンザが

アジアで猛威をふるっていたころは

薬もかかせなかった。



タミフルや、解熱鎮痛剤は

もちろんのこと、抗生物質も

もっていく。



わたしは雑菌によわいのか

2回に1回はひどい腹痛や

おう吐に見舞われる。



抗生物質はつねに必要だ。



それからー!

ゼッタイひつようなのは

旅行保険ね。



これ、カッコつけた若者なんかが、

「保険なんかかけるのは、

甘っちょろい」

みたいなことをいって、

無視する。



そんなの、本当にはた迷惑だから。

もし瀕死の重傷を負ったり、

テロに遭遇したり、

寝込むような病気にかかったとき、

保険があるとないでは天国と地獄。



いっとくけどタイでも入院すると

一日10万円とか払わされるからね。



それを保険でまかなえなかったら

泣くのは家族だから。



海外は、日本とはまったく常識が

違うことを忘れずに、どれだけ

短い旅行でも「必ず」保険は

かけておくように。



じっさいわたくしも旅行保険に

かかっていて助かったことが

何度かあります。



長くなったけど

旅のコツはまだたくさん

あります。



またこんど、くどくど

お話しいたしますので。




(つづくから、よろしく)







のびのびボランティア紀行
浜の木陰で働くお母さん。子育てしつつ、清掃などをやる。支援した衣服を




ポーランド人のホテルオーナーのことを、

覚えてくれていますか。



サヌールの奥まったところに、

コテージ風の素敵なホテルを

経営している。



とってもキレイなコテージです。



支援など活動をしたあとは、

そのホテルの庭で、ゆっくり休みました。



プールもついていて、

お客さんは、ほとんどヨーロッパ人。



いい意味で個人のプライバシーが

まもられる。



それがヨーロピアンの流儀なのかも

しれない。



さてそのポーランド人女性。

だいたい20代の後半かと

思われます。



ホテルの庭のレストランで、

私たちが食事をしていると、

話しかけてくれました。



きっと、センセイと辻さんが

着物を着ていたので、

興味をもったのでしょう。



「わたし、ロンドンで着物の

セレクト・ショップをしていたの」



と名刺をみせてくれました。



笑うと、ちょっとふぞろいの

歯がのどくところが、チャーミング。



辻さんは、万葉歌手。

日本の歌を中心に録音した、

「逢いたくて」というCDをリリース

されている。



ちょうどそのとき、一枚もっていました。

ポーランド女性にプレゼントすると、

大喜び。



すぐに、レストランのオーディオで

かけてくれました。



「すてきな声・・・」



と耳をかたむけています。

ピアノの音色と、辻さんの歌が、

そのコテージ風のホテルの

雰囲気にばっちり合いました。



ピアノは娘が弾いてるの、

と辻さんがいうと、さらに感動する

ポーランド女性でした。



娘さんは、ショパンのエチュードなどを

得意にしていると辻さんがいうと、

彼女は目を輝かせました。



「ワォ! 

ショパンは、ポーランドの

国民的英雄なのよ」



と興奮しきり。



そうショパンはポーランド人

なのでした。



ちょうどその年はショパン生誕(没?)

ウン百年の年で。



もう感心しきりな、ポーランド女性。

辻さんは、当然とばかりに、

おすまし顔をしてらっしゃいました。



ポーランド女性は、ときどきホテルに

日本人が来る、といいます。



「なんだか、ばたばたしてて。

荷物運んで、ふーなんて、

受付で休んでるのよ、フフフ」



と意味ありげに笑っていました。

ちなみにその女性が受付に

もどったあと、私は、少しポーランドに

ついて知りたいと思い、話しにいきました。



「ポーランドには、ユダヤ人が多いの

ですよね」



とききました。

アメリカに住むユダヤ人が、

けっこうポーランド系なのを、

どこかできいていたから。



するとその女性は、さらりと

こたえました。



「昔は」



「え?」



「ほら、あなたも知ってるでしょ、

ヒトラーのこと」



「・・・・・・」



そうでした。

質問がまずかった。

ポーランドは、有名なナチスドイツの

ユダヤ人収容所があったのです。



それ以上はきくまいと、

私は部屋にもどりました。



あのポーランド女性の、たった一言の、

「昔は」というのに、どれほど思い

意味がこめられているか・・・



いま思い返しても、少し

寒気がいたします。



(つづく)






着てくれた


のびのびボランティア紀行
衣服支援はパワーと愛嬌!



サヌールというバリの砂浜。

そこで衣服支援をしたテラの会。



ごらんのとおり、浜は働く女性で

いっぱい。



娘がいるとか

息子がいるとか

とにかく大人気。



日本の衣服のよろこばれ方と

いったらはんぱじゃありません。



みんな大好き、メイドインジャパン。



もちろん中国製もまじっているけど

日本の人が、いちど自分で着ていたものは

ほとんどが良い製品。




のびのびボランティア紀行



ホテルの従業員も、

みんなママなのだ。



だからベビー服などを

欲しがる。



ホテルの制服は着ていても、

家へ帰れば、そんなに

いい暮らしはしていない。



「テリマカシ(ありがとう)」



と何度言われたか。



ともかく東南アジアのいろんな

ことばで「ありがとう」をいわれてきた

テラの会です。



たとえばタイなら”コープンカー”

あるいはカレン人なら”タプルッ”

でなけりゃフィリピン人なら”サラマッ ポ”



ビルマ人なら”チェーズテンバーテェ”

ラオス人なら”コプチャイライライ”



思いつくだけでも、これだけ

出てくる。



「ありがとう」と

日本語でいわれることも

しばしば。



おっとサヌールの話しだった。



砂浜の支援のあと、

ホテルに帰る道を歩いていると、

私たちの支援する姿を見ていた

おじさまたちから、



「ヤヤサンか?」



ときかれた。

当時われわれは、ヤヤサンとは

何か知らなかった。



「やや」という日本女性のことかと

かん違いし、「違う」と答えた。



おじさまたちは、ぎょっとしていた。

きっと心の中では、

(ヤヤサンじゃないのか、

じゃあ、何なんだ、あんたたちは)



とハテナマークだっただろう。



結論からいうとテラの会は

ヤヤサンの一つだけど、

もしヤヤサンって何か

知りたい人は、



ぜひこのブログをすみから

すみまで探してみてくれ。



それが面倒なら、

ブログ内検索してくださいな。



(つづく)



のびのびボランティア紀行
サヌールのホテルで働くみなさんに、支援



やっと涼しい夜になった。

サヌールのことをお話しするのも

ごくらくだ。



ホテルで働く人たちは、給料は

高くない。



それにそのほとんどを、子どもの

学校代に使ってしまう。



だから、衣服などは、ほんとうに

喜んでくれた。




のびのびボランティア紀行


楽しくおしゃべりしながら、支援。

 

「うちの子がいくつでさ~」


とか。




のびのびボランティア紀行



なぞの着物女性がうつっています。

昔バリで商売していた芸者の幽霊かや?



とかく、サヌールでは、

いっぱい喜んでいただきました。



サヌールの活動報告、

もう少しつづきます。



(つづく)