パダンの話が長くなりましたわ。
はじめからみたい人はこちら⇒クリック
とうとう帰る日がやってきた。
その日が来るまで、ホテルでひっくりかえってひっ算のおさらいしたし、九九を逆から言えるようにもなった。
その他、となりのレストランのステージで、ビールとラム酒でできあがったあげく、一曲歌ったりもした。
スラウェシ出身のアバズレ姉ちゃんが、白人3、4人を引きつれて毎晩飲み歩いてるのも見た。
そういうこともありなんで、帰る日になったというわけ。
格安のライオンエア。なかは生活臭たっぷり。赤ちゃんの黄金爆弾テロも。
この飛行機でおこった、イスラム過激派(推定年齢ゼロ歳)のテロ未遂事件については、さきに話したので、参照してもいいでしょう⇒こちらクリック
まあそういう、けっこう厳しい状況で、ジャカルタに到着。
その後がまた、けっこう厳しかった。
翌日のタイペイ経由、成田行きの中華航空まで、16時間くらいあった。
ひたすた、空港をうろついたり、ハンバーガー食べたり、はては寝転がったりしてすごした。
もう飛行機に乗る頃には、くたくた。
いま思い出すと、よくもあんな、非人道的手段で、人道支援を行ってきたもんだ。
成田に帰ると、もう12月の末で、何だか寒さが気持ちよかった、気がする。
その数日後に行った、カンボジアのプノンペンの写真をのっけて、ジャカルタ・パダン編をこのへんで、切り上げたいでございます。
また来てね。
また見てね。
どうせまた、たらたらしゃべるから。




















