のびのびボランティア紀行

バリ島のクタの裏通り。おしゃまな女の子2人ぐみ。日本の文房具をもってニッコニコ




クタの裏どおり。

そこは貧しさと豊かさが

混在する。



勝ち組と負け組みが

同じ通りに住んでいる。



私たちが向かうのは、

もちろん負け組み、というのは

失礼だけど、出稼ぎ労働者の

ところ。



舗装のされていない、

泥道の脇に家がならぶ。



そこで、衣服や、文房具を渡す。




のびのびボランティア紀行


喜んでくれた!

かなりはにかんでたけど。




のびのびボランティア紀行


必ずこういう路地にはいる、

陽気なおばちゃん。



面白いことをして、場を盛り上げて

くれる。



はじめは、路地に入ってきた私たちに、



「あ? マッサージか?

そんなら奥だよ」



といった。



マッサージ?

こんな路地の奥にマッサージ屋なんか

あるのか。



ナゾである。



裏通りの人たちは、

お金がない。



インスタント・コーヒーをてんびん棒で

かついで、盆にのせて、

行商する女の人もいる。


つまり、クタで働く人に、奉仕するという

さらに下のサービス業だ。



つまり、


観光客

↓

観光客に奉仕するインドネシア人

↓

そのインドネシア人に奉仕する

インドネシア人



という図式ができあがっている。

もちろん、観光客は、インドネシア人向けの

コーヒーなんか飲まない。



そうして、小さく小さく稼いで、

少しずつ商売を大きくしていく。



そんな、夢はいっぱいの

出稼ぎ者のみなさんが、

本日の主役だ。




のびのびボランティア紀行



こういう子どもたちは、

木村天山をこわがらない。

こちらの思惑など、すぐ見抜く子たちだ。



クタの裏通りは、もう少しつづく。



(つづく)



のびのびボランティア紀行




ビンボーはきつい。

それはまさしくその通り。



だがなぜか、パワフルな人は、

ビンボーな生まれが多い。



アジアは、どこもかしこもパワフル。

そして全体的に、まだまだ貧しい。



つまりアジアからは、今後、ばりばり

パワフルな人が、どんどん出てくる

という計算だ(なんてテキトーな)。



バリ島でも、私たちは、

裏通りに入って、お金の無い人たちの

中に入っていった。



理由は単純。



日本から持ってきた衣服や靴、文房具など、

いちばん喜んでくれる人に渡したいから。



たくさん持ってる人に、渡しても、

たいして喜んでくれない。



ぜんぜん持ってない人に、一枚でも

あげると、めちゃくちゃ喜んでくれる。



どっちにあげたいかってったら、

そりゃ、言うまでもないよね。



そんな感じで行ってきました、

バリ島クタの裏通り、長屋アパート。




のびのびボランティア紀行
電線やら何やらで、めちゃくちゃ。これが、けっこう奥までつづいている。屋根があるだけいい




ちなみにアメリカのオバマ大統領は、

子どものころ、インドネシアに住んでた

そうだ。



さすがに、こんなところに暮らしてた

わけじゃなかろうけど。



そこで衣服手渡し作戦を実行。



”作戦”というのはおおげさじゃない。

まさしく、泥に顔をつっこまんばかりの、

くんづほぐれつの支援だったから。




のびのびボランティア紀行



写真でみると落ち着いた感じだけど、

じっさいは、人また人の、波状攻撃。

すさまじかった。




のびのびボランティア紀行



この支援には、テラの会理事の

辻さんも参加していた。



もみくちゃにされて、かなり

ゼーゼーであった。



「まさかバリに、こんなとこがあったなんて」



と、かなりカルチャーショックを

受けておられた。



そう、バリ島では、観光客を

へこませないため、

ビンボーサイドは、

うまく隠してある。



ここの長屋も、歩いて1分行けば、

世界中から観光客が集まる、

レギャン通りなのだ。



そこには、ブランド物のワンピース

やらサングラスをつけた、楽しげな

観光客が、行きつもどりつ、している。



表と裏が、ぺたっとくっついている

感じだ。



そしてぼくなんどは、

レギャン通りを歩くだけでは

物足りず、こうした裏通りに

入ってしまう。



だって、そっちの方が、

面白さ×100だもの。



当たり前だけど、治安の保障は

全くない。



どんな人間が、その中に

紛れているか、誰にも分からない。



そんな裏通りを見て知っているから、

バリ島のクタで、酔っ払って

夜歩いてる人を見ると、



(勇気あるなー)



と思う。



一見して、治安よさそうだけど、

そのじつは・・・



のびのびボランティア紀行



けっこうデンジャラスなる

スラムです。



いちおう、そういうことを、

知っていた方が、ああいうことには、

ならないと思う。



そんな裏通り、魅力でいっぱい

なのだ。



私たちは、通りの奥まで入り、

衣服の尽きるまで支援した。



次回は、さらなる通りの奥の

様子を紹介する。



(つづけますダニ)





バリ島、クタのアパート長屋で。みんなド貧乏だが、米国大統領よりパワフルだ(きっと)


のびのびボランティア紀行




さいきん、遠い海の向こうの

テラの会協力者のために、

ちょっとしたプレゼントを送ったのだ。



その人の誕生日だったので、

様子をうかがうために。



そういう理由でもないと、

なかなか連絡もできないから。



で、誕生日について思い出したのだ。



みんな、誕生日って誰のために

あると思う?



「当たり前じゃん。

自分のため」



というのが、日本人の大半だと思う。

ぼくもそう思ってきた。



だが。



アジアで知り合った、向こうの

友だちに、誕生日の話しをすると、

ちょっと意外な反応が返ってきたのだ。



タイの友だちによると、

誕生日とは、

まず母親に感謝する日なんだって。



なぜなら、自分を生むために

お腹を痛めてくれたからだって。



へ~、そんな考え方、したこともなかった、

とぼくは正直思った。



だからその友だちは、

誕生日には里帰りして、

母親にまず贈り物をする。



その次に、父親にも

プレゼントをするのだと。



へ~。



ところ変われば、人もかわるのだ。

ちなみにタイ人みんなが

そうかは、知らない。



たまたま、ぼくの友だちが

そうだっただけかも。



それからフィリピンの友だち。



誕生日には、ボランティア活動をする。

というのは、一年のうちで、一日だけ、

自分の本当にやりたいことを

する日だから。



ほ~。



つまり、自分へのプレゼントとして、

誰かのためになることをする。



フィリピンの生活は厳しくて、

金銭的な余裕が全然ない。



だから、いわば、誕生日だけの

おおばん振る舞いを、するってわけ。



そういう考え方もあるんだ。



そんな2人のアジア人、

とくに特別なことをしてる

わけじゃないらしい。



ぼくに、そんな誕生日の話しを

したときも、別に美談として

語ったわけじゃなかった。



さらーっと、言ってた。



文化の違いかも。

とはいえ誕生日は、

自分にとって楽しいことをする、

ということは一緒だなって思う。



余談でした。



p.s


チェンマイのNちゃんも

5才だよね。おめでとう・・・!



(バリの話しにもどります)








バリ島で演芸大会やったとき。おやつにつられて来た子どもたち


のびのびボランティア紀行
サヌールの浜辺で支援活動。リゾート地なのに、現地人は貧しい





バリといったら、まずはクタ。

クタというのは10キロくらい

ずーっと砂浜のつづくビーチ。



それこそ昔は、歩くと、砂の質がよくて

”キュッキュ”と砂が鳴いていた。



いまは一大歓楽街。

いちどは、荒れ放題になったクタの

砂浜だけど、ちかごろ回復している。



というのは、インドネシア政府が動き、

砂浜の清掃に力を入れ始めたからだ。



朝と夕方、掃除係りの女の人が、

ずーっと砂浜を歩いては、ゴミを

ひろう。



政府公認の、ユニフォームを着て。



その人たちにも、衣服支援をした。

話をきくと、バリ人ではないこともあった。

とにかく貧しく、子どもを学校に

行かせることも、ままならないほど。



Tシャツなどを支援すると、

はにかみながら、喜んでいた。



クタといえば、テロ事件のあったところ。





のびのびボランティア紀行



これがテロ現場に建つ慰霊碑。

200名をこす死亡者が出た。



このテロは、クタで働く人たちに、

深い心の傷を負わせた。



今でもトラウマに苦しむ話しをきく。



それでもクタは、観光客を呼ぶ

地域なので、インドネシア人も

たくさん働く。



働きつづけるしかない。

たとえテロの危険があったとしても。



そしてクタは、まるでテロのことを

忘れるように、夜な夜な、酔っ払いで

ごった返す。



騒音規制がないので、外まできこえる

大音量で、ディスコは朝まで騒いでる。



そう、みんな忘れたい。本当は。



それは置いといて。

バリが好きな人は、クタが嫌いな人が

わりと多い。



クタなんて、”べた”で、全然バリっぽくない。

そうかもしれない。それでも、クタは、ぼくにとっては、

インドネシア全体の情報をしいれる、

とても便利な場所だ。



東ティモールから来た、美容師さんもいる。

スマトラ島のメダンから来た人もいる。

あるはジャカルタ、ジョグジャカルタ。



そういう人たちと触れ合うとき、

みんな言うのは、



「外国人は、バリに来るけど、

バリにしか興味がない。



どうして他のインドネシアに

目を向けないの?



バリ島は、インドネシアの、

ほんの小さな一部に過ぎません」



そぉーなんです。

その通り。



バリに来て、それだけで帰るのは、

もったいなさすぎ。



インドネシアは、バリだけじゃない。

たくさんの魅力にあふれた島々がある。



バリは、他のインドネシアからすると、

かなり特殊なところ。



だって9割がイスラム教徒の

インドネシアで、ヒンドゥー教のバリは・・・



あ、やめとこ。

なんか理屈っぽい。



むずかしいことは、

ふたたびいうけれど、

センセイのブログをよく

読んで下さい。



バリの歴史や、スピリチュアルな

ことがらについても、そうとう深く

掘り下げて書いてあるから。



なんだか、バリのことを

話そうとすると、話がとびとび。



ごめんなさいナ。



次回は、クタにつぐリゾート地、

サヌールのことを話すので、

どうか辛抱して、ついてきて下さい。



(つづくのだ)








のびのびボランティア紀行
クタの路地裏で物を乞う親子。バリ人ではないはず。




バリ島には、カースト制がある。

法律の上では、なくなったはずだが、

いまも如実にいきてる。



フクザツで、ムズカシイことを、

知りたければ、センセイのブログを見て

下さい。



木村天山のブログ「バリ島再考の旅」



ということで、ぼくのブログは、

楽なほうへ、楽なほうへと流れる。



水の流れをごらんなさい。

高いところから、低いところへ

流れるじゃないか。



つまりそれが自然。



あーナチュラル。



ナチュラル志向の人って、

バリ島は好きだろうか。



いろいろとバリには事情があって。



裏通りへ行くと、おどろきの風景が。



バナナの木でできた、掘っ立て小屋と、

4WDの車に、リモコン操作の玄関がついた、

超豪邸が、同じ通りに並んでる。



つまり、めちゃビンボーと、

えらい金持ちが、となり合わせに

住んでる。



なんでそうなるの。



たぶん、それには、はじめの方で

言った、カースト制が関係してる。



上位カーストと、

下位カーストは、

何が何でも違う。



下位はビンボー、

上位は金持ち。



どうしてかっていうと、

ヒンドゥーの教えによれば、

前世で悪いことしたから。



前世でいいことした人は、

上位に生まれるらしい。



でもでも、どんだけ生まれ

かわっても、ゼッタイ上にあがれん、

というのが、アウト・カースト。



うーん。



ぼくなんかの感覚だと、

理解できんですね。



何が違うのさ。

べつに、青い血が流れてる

わけでもない。



バリ島が楽しいところなのは、

まさしくその通り。



だけど、バリ人と付き合うときは、

最低限の知識として、

カースト制度の存在くらいは、

知ってないとダメだよ。



ダメったらダメ。



まかり間違って、

恋におちたりなんかして、

やや子ができたりしたら、

たいへんだよ。



カーストの問題が、

ばーんと出てくる。



日本人で、バリ人と

リゾラバる人は、後をたたない。

(リゾラバ=リゾートラバー。つまり

観光地で、できちゃう彼氏あるいは

彼女)



あるニューハーフの人がいうには、

そんなカップルは、120パーセント

失敗するとか。



ぼくの意見じゃないから。

そういう人がいる、ってだけだ。



だから気をつけるに

こしたことはない。



バリで、日本人にはない、

野性味あふれるイケメンに

出会っても、心のヒモを

きゅっとしめること。



向こうは、たいがい

金目当て。



金はくれるわ、

カラダはくれるわ。

楽々。



・・・とか、思われないよーに!



しかし、時代は自由恋愛だ。

それぞれの恋は、もちろん

自由である。



好きにしてください

(としか言えません)



なんだか、バリ島に

行く人への、警告めいた

ブログになってきた。



次回は、もっと素晴らしいバリを

紹介させてもらう。



つもりである。



(つづくであろう)



のびのびボランティア紀行
工事現場で働く少年に、ズボンをあげた。大喜びの彼。小学6年生くらいだろう




バリ島にツアーで行くと、空港から

ホテルまでの送迎バスで、必ずガイドに

言われる決まり文句がある。



「神々の島、バリにようこそ」



1回目なら、わ~本当に神々の島に

来たんだ! とハッピー。



2回目以降だと、



「んで? 神の住む山アグン山の

ツアーを予約させたいわけ?」



と多少、うたがいが入る。



3回目以降だと、



「ツーーー(脳波ゼロの音)」



と無反応になる。



いきなり厳しい話しで、はじまる

バリ島の活動紹介。



私たちのバリでの活動は、

ウブドゥという山間部の村に

行っていた時期と、

行かなくなった時期との、

前半・後半がある。



これからお話ししたいのは、

後半の話し。



バリは、何かとしがらみの多いとこ。

それに、昔はいくつもの小さな王国に

別れて、互いに戦争しあっていた。



だから、今でも、村意識が

ハンパない。



「あっちの村には、いかない方がいい。

なぜなら、×××で・・・」



とか、そうとう酷いことを言われる。

そんなのカンケーねぇ、と行ったら、



「あの日本人、■■■に行ったんだって。

信じられない」



というようなことになる。



あー面倒くさい。

別にわたしら、昔の王国時代のこととか、

どうでもいいし。



必要な人がいるところに、

必要なものを持っていきたいだけ。



だから単独行動がベスト、

とわかった。



現地人とあまり深く、付き合うと、

彼ら中心にバリで行動させられ、

つかれきる。



そういうわけで、私たちは、

ある時から、バリの知り合いに

一切声をかけず、自分で車の

運転手に交渉し、行きたいところへ

行くことにした。



それで全てうまく、行った。



またバリ島の広さも、実感できた。

次回は、よろしければ、バリ島の

ここまでの歴史を、ちょびっと

お話しさせて欲しい。



それで、今のようなバリ島に

なった理由が、少しだけ分かるかも

だから。



(つづけるゾー)









のびのびボランティア紀行

バリ島のクタで、物乞いしていた子どもに。ちいしゃな服だ。




さーて、お次は、何を話しましょうか。

ネタはたくさんあるけれど、どれにするかが、

迷う。



ここはいっぱつ、バリ島でいくか。



観光で知られた島、バリ。

しかし意外に知られていないのは、

島民のほとんどは、極貧であること。



高校を出るのもままならい、

そんな子どもが多い。



「なんでー。バリって、観光客いっぱいくるじゃん」


という声がきこえてきそうだが、

もうかるのは、あくまで経営者。

人件費が安いので、現地のバリ人たちは、

めちゃくちゃ安いお金で、こき使われている。



それに最近、バリの観光地がおちめに

なっている。



どうなる?

バリ島。



そんな裏側のバリ島を見て、

活動するために、私たちは行きました。



それにバリは太平洋戦争中、日本の

支配を受けていました。


そのころの哀しい記憶もあります。

だから慰霊もいたかったのでした。



そうな感じで、はじまります。

何回目かのバリ編。




(つづくったい)



のびのびボランティア紀行
タイの繁華街、出稼ぎ労働者に文房具支援。意外に、みんな本当に物が無い




さてさて。

メーソートのことを、しばらくお話ししてきた。

ここらで、ちょいと他のタイのことも、

言っておこうかと思う。



お付き合い下されや。



タイで支援した場所といえば、

パタヤが浮かぶ。



パタヤというと、ふつうは、遊びに行くところ。



大きなディスコや、きれいな砂浜がある。

というか、超巨大な、エンターテイメント・シティ。

子どもから大人まで楽しめる、

超オススメ・スポット。



なぜわたしたちが、そういうところへ行くか。

それは、いろいろと収穫があるのです。



カンボジア人の物乞いたちが、

出稼ぎに来ていたり。



またタイ国中の貧しい村から、

労働者が集まってくる。



だから、パタヤへ行けば、タイ国中の

いろんな人々に、出会えるというわけ。

そして、そんな人々からきく話しは、

重要な情報源になる。



上の写真は、そんなパタヤのスラム。

貧しい労働者のための、食堂がある。

そこには、子どもを抱えた、ほとんど

お金のないお母さんたちが、わんさといる。



ほんとうに、彼らは物を持ってない。

それに、買えない。とくに子どものものは、

全部後まわし。



パタヤは、どんどん巨大化しているので、

その分、働き手もたくさんいる。

そのために貧しい人が出てくるけど、

彼らはほぼ文無しで出てくる。



そして、行商をしながら、小さなお金を

つくりつつ、少しずつ暮らし向きをよくする。



行商とは、ピーナッツ売り、とうもころこし売り、

揚げパン売りなど、さまざま。



とうもろこし売りの女性に、仕入れと、

一日の売り上げとを、くわしくきいたことがある。

ほんとうにぎりぎりの生活だった。



それでも、けっして暗くない。

白人の酔っ払いにナンパされたりしつつ、

楽しくやっている。



そんなスラムの住人に、衣服や文房具を

配ったところ、思った以上にものすごく

よろこばれた。



「私も娘がいるの!」



と、タオルや、鉛筆を欲しがる。




のびのびボランティア紀行



そしてこの笑顔。

(写真なんて、いくらでもウソつける)

と意地悪なことを言う人もいる。



でも、本気で嬉しくなきゃ、こんなスマイル、

でないでしょう、フツウ。



そしてそんな笑顔を、いちばんエネルギーに

するのは、じつは私たち、テラの会なのだ。



スマイル・エネルギーを、たっぷりともらう。

日本ではゴミになるものでも、こうして生かすことができ、

さらに、エネルギーばんばんもらえる。

こんなうまい話、ないでしょう。



確かに、与えると、無くなる。

それはお財布の中身の話し。



胸の中は、与えれば与えるほど、

どんどん満たされるのだよ。



これは宗教とか関係ない。

本当の話。



心からの笑顔は、

もらうほうの心も満たす。



だから、人を悲しませるより、

楽しませたほうが、勝ち。



テラの会の活動を通して、

確かにつかんだのは、その実感だと思う。



(つづく)


のびのびボランティア紀行
メーソートの孤児の家で。ぬいぐるみをもらってよろこぶ赤ちゃん。こんなちっこい子もいる




みなさん、お盆休みは、どう過ごしますか?

プール? それとも花火大会?

あるいはディズニーランド!?



お楽しみの前に、どうぞ、一本でも、

お線香をご先祖さまに。



ご利益がありますよ。



それはいいとして。



そもそもなぜメーソートに、行くことになったのか。

といったお話しを、少しさせて下さい。



テラの会の活動は、追悼慰霊から、はじまりました。

お盆に、線香をご先祖さまにあげる気持ちと、

基本的には、同じです。



ただ所作(しょさ)はいわゆる神道式で、

さかきのかわりに、その辺に生えている、

木の枝を使います。



それで木村先生が、お祓いします。



とってもポータブルで、お金もかからず、

遠い海の向こうで慰霊をするには、

ベストのスタイルです。



日本から用意するのは、御幣(ごへい)のみ。

よく神社の鳥居なんかに、かかっている、

ぴらぴらした紙ですね。



あーまた話しがそれる。



メーソートには、どうしても慰霊したいことが

あったのです。



大東亜戦争末期に、インパール作戦という

大失敗作戦がありました。



いまでもなお、バスさえ通っていない、

最後の秘境とさえいわれる、ビルマ北部から

インドまでの道のりを、乗りこえ乗りこえ、

日本の兵隊さんは行きました。



そしてイギリス・インド軍に大敗し、

また同じ道を歩いてもどったのです。



ぼくも、その山々を遠くから眺めたことが

あります。



ものすごく厳しい山また山で、虎やコブラが出る。

それに雨が降ると、大洪水。



地獄というのがあるとするなら、そんな感じでしょうね。



退却した日本兵は、大半が亡くなりました。

そうしてもどってくるルートの一つが、

そのメーソートだったのです。



日本の兵隊さんは、ちりぢりになって

逃げました。

だから、いろんなところで亡くなっています。



その中で、命をとりとめ、戦後はビルマ人の

中に紛れながら、生き残った方がいるのです。



それが中野さんという方で、ぼくたちの

メーソートに行く前の年、亡くなられました。



その中野さんのお宅で、慰霊をさせて

いただいたのでした。



在タイ日本人の方のネットワークで、

とんとん拍子に話しが決まり、出かけたのです。



それがはじまりでした。



はじめから衣服は持っていきましたが、

メインの目的は、慰霊でした。



それから、もう一つ、日本の若者を

慰霊するつもりもありました。



少数民族の軍隊に加わり、ビルマ国軍と

戦って、亡くなった日本の若者が数名いる

のです。



全くの、無名ですけれど。

そんな経緯があります。



お盆になると、つまりは終戦の日が

近づくということです。



終戦の日の記憶は、世代をこえて、

日本人の精神に深く刻まれています。



いまは、「終戦って何?」と思っている

若い人でも、一生懸命生きていけば、

必ず、いつかは「終戦って何だろう」と、

考える日が来ます。



それは、日本人の血を受けているなら、

必ず誰でもです。



300万人が外国で亡くなったあの戦争、

一人一人のために、線香をあげることは、

できません。



せめて、少しだけ、心のはしで、

思いをはせたいものです。



いまの、素晴らしい、輝ける日本のため、

亡くなった方たちのことを・・・



(つづく)



まずは、メーソートにおける活動に
同行した、テラの会理事の、美しい歌声に
耳をかたむけて下さい。
(真ん中の再生ボタンを押して下さいませ。
どうか、お願いですから・・・)







テラの会理事の万葉歌手、
辻友子さん。


横浜を中心に活動しておられ、
9月には、東京の文京シビックホールで
コンサートをされる。


くわしくは、辻友子さんのホームページで!
http://tomoko.ciao.jp/


上の動画は、テラの会の活動で、
メーソートの日曜学校を訪れたときのもの。


衣服や文具を手渡した。
その日は、一日かけて、メーソートの
ビルマ難民系施設を、4つばかり、
まわった。


けっこうハードな道のりで、
4WDの車で、アップダウンの激しい
山道をかけまわった。


それでも、スタッフのぼくは、
そんなに疲れを感じなかった。


たぶん、アドレナリンが出てたんだと思う。


とおった道は、今でもけっこう危ない。
山賊が出没する。


タイ人が、ひとりで夜、スクーターで
その道を通ると、ビルマ側から山賊があらわれる。
スクーターを盗むために、持ち主を殺してしまうらしい。


ほんとに怖い。


それでも活動中のテラの会は、
矢でも鉄砲でももってこいという
テンションなので、平気。


で、この教育施設なのだけど。



$のびのびボランティア紀行


メーソートのゴミ収集場というか、ゴミの山から、
お金になるものを探して、生活している子が多い。


上の動画の細かいところを、できれば
注意深く見てほしいのだけど、


子どもたちは、ほんとうに真剣にきいている。


中には、耳のまわりに手でメガホンみたいなのを
つくって、少しの歌声もききのがすまい、とする
子どももいる。


それってどういうことか。


つまり、みんな外の世界のことを、知りたくて
たまらないのだ。


ビルマは情報統制がきびしい。


世界のことを、日本みたいには、
かんたんに知ることはできない。


子どもたちは、日本に興味しんしん。


辻友子さんの歌った歌は、
ビルマ語に訳されて、子どもたちにも
伝わった。


さいごに、お別れを言って、
施設を出ようとすると、男の子が
辻さんを追いかけてきた。


そして、覚えたての英語で、


「ぼくは、あなたの歌が、とっても好きです」
といった。


$のびのびボランティア紀行


その男の子にとっては、
日本文化にふれた、さいしょの経験だったのだろう。



いつかこの子どもたちも、何かの縁で
日本に来るかもしれない。


そんな未来に、ふと私たちのことを、
思い出してくれたら、それほど嬉しいことはない。


まだまだ全てははじまったばかりの、
ビルマだけれど、いい方向に向かって
いけばいいな、と思う。


(つづく)