のびのびボランティア紀行
ビルマの24の瞳か。若い女の先生。手前は、テラの会理事。この方も日本人の先生だったり。




メーソートには、ざっと数えるだけでも、

50以上のビルマ難民系施設があるそうだ。



そのほとんどを把握している、

超・事情通のビルマ女性と、

とある縁からお知り合いで。



そのおかげで、この学校にも訪問できた。



上の写真の立っている女性は、

ビルマ人の教員。



メーソートで働いている、ビルマ系労働者の

子どもや、児童労働者に、英語や算数など

基礎的な教育を、施している。



子どもは、ほとんどが働いている。

ゴミ捨て場で、お金にかわるものを

拾うのが、おもな仕事だという。



学校は、土日しかひらいていない。

平日は、みんな働いているからだ。

もちろん、上の写真の教員女性も、

ふだんは他の仕事をしている。



もう少し、この施設について、

お話ししたい。



したいのに、もう目が疲れたのか、

キーボードをたたけません!



たぶん、昨日女子卓球の

福原愛選手の試合に夢中になって、

夜更かししたせいだ。



そんな個人的な理由で、ごめんなさい。

くわしくは、また明日ということで・・・



(ぜったい、つづける)



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足元は泥だらけ。くつやサンダルも持ってない子も多い。感染症が心配だ。




もいっちょメーソート。

メーソートってったら、テラの会では、もう

とっても身近な地名で。



それでも大多数の日本人にとっては、

???

でございましょう。



テラの会の身内では、



「今朝、メーソートに、あれ、送ったから」



「あ、そう」



これだけで話しは通じる。

つまりメーソートというビルマ難民の多いタイの街に、

支援物資を送った、という意味。



わからんよなー普通。



だからしつこくメーソート紹介を、

させていただいてます。



上の写真は、森の寄宿舎、”ノーンボデーン”。

おもに、カレン族の子たちが、森の中で生活しています。

山や森で泊まるなんて、いまの日本では、

夏休みのキャンプくらいだ。



あるいは小野田少尉の自然塾か。



しっかし、この子らは、日常的に山の中で

暮らしてるんですね。



はだしで、穴ぼこだらけ、草だらけのやぶを

走りまわる。



身体中ひっかき傷だらけだけど、むしろ

そうやって抵抗力がついていく。



よけいなものを食べてないから、

とっても見た目がきれい。



本当ですよ。



男の子も、女の子も、ひとりくらい

かっさらいたいくらい、可愛い。



そしておとなしいんだな~。



森の学校、”ノーンボデーン”はフランスの

慈善団体が、食料や水、また教員の給料

などを出しています。



ほらっ!

フランスのブランドとか、そういうのが

好きな人!



ファッションばかりではなくて、彼らの

世界の難民などへの関心の高さをば、

見習いなせ。



フランスでは、学生が、休みを利用して

アジアやアフリカで、ボランティアをしてくるのが

かなり浸透している。



そういうところは、見習った方がいいよ。

たとえフランスパンが嫌いでも。



ここの子どもたちは、タイにもビルマにも

身の置き所がないので、もしかしたら、

未来に難民認定を受けて、欧米に行くかも

しれない。



そのときのためにか、いまからフランス語や

英語を学んでいる。



木の葉でふいた教室だけどね・・・



じっさいたとえばオーストラリアでは、

ベトナム戦争の前後に保護された、

モン族の子どもなどが、大きくなっている。



そして社会福祉系の仕事についている。

ヘルパーなどだ。



高齢化するオーストラリア社会を、彼らで

支えようということかも。



ともかく、おれっちが、ここで伝えたいことってのは。



もう日本もアジアもヨーロッパも、

つながっちまっているよ、ということ。



昔みたいに、自分の家族や、近所の人や、

友人だけ大切にしているわけには、いかない。



げんに、ぼくの家の周りにも、ナイジェリア人や、

タイ人や中国人や韓国人や、フィリピン人や、ペルー人や、

ブラジル人が、わんさと住んでいる。



もちろんイギリス人やアメリカ人、おまけにインド人もね。



横浜はフィバってる。

とくに今は暑いし、夏だし。



いつかこの日本にも、メーソートの難民の子どもたちが、

移り住んでくるかもしれない。



彼らは先祖伝来の土地を追われた、

一生治らないかもしれない、傷を負ってくる。

それでも外国へ来ることをきめた、

心のかっとうを、私たちも、受け止めなくてはね。



五輪の楽しいけど、

ぴかぴか光る人と場所の裏には、

ずっと日のささないようなところに

暮らす人々がいることを、

忘れないでほしい。



んなんて、説教くさいことゆうて。

ぼくだって、卓球の愛ちゃんたちチームが、

どれくらい中国チームを攻められるか、

めっちゃ楽しみにしてる。



ゴーゴー!

卓球女子!



(つづく)








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メーソートという街は、ビルマのミャワディーと

接している。



その国境は、小さな川しかない。



だからタイ人とビルマ人は、正規の国境の

ではなく、川をこえて自由に行き来していたりする。



何しろそんなお土地柄なので、お父さんがタイ人、

お母さんがビルマの少数民、というのも

珍しくも何ともない。



このへんが、いわゆる単一民族の、私たち

日本人には、ちょっと想像つかないところ。



少数民族といっても、固有の言語もあるし、

それぞれ神話があって、まさしく一つの

”民族”なわけです。



だから、国境とかは、じつは彼らには

そこまで関係ない。



だからって、

「イエーイ! おれ国境ないもんね 自由!」

てなわけにはいかない。



むしろ、国籍があいまいなために、

相当な苦労をさせられたりする。



そんな少数民族とビルマ正規軍は、

独立いらい、ずーっと戦争状態にある。



とても難しい状況なのです。



そして、私たちが訪れたのは、

タイ領内の住宅地(?)にある、

孤児の家なのでしあた。



その名も”バーンメーパ”

なんだか明るい名前でしょう。



雰囲気もとても明るい。



グループホームみたいな感じかなぁ。

子どもたちは、メラキャンプのような

巨大難民キャンプなどから、保護されてくる。



ある女の子は、親を交通事故で亡くし、

その日から、バーンメーパの仲間に

なった。



子どもたちは、自立するため、食事は

年上の子たちが、自炊して用意し、

学校にも通う。



また、知的障害のある子も一緒にいる。



小規模な、しかもさまざまな機能を備えた

施設、というより”家”。




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ごたぶんにもれず、ここも資金が、あんまりない。

代表のご夫婦が、さまざまに工面して、もたせている。



ご夫婦もビルマ人で、英語がたん能であり、

奥さんの方は、スーチーさんをほうふつとさせる、

利発なビルマ女性、という感じだ。



ビルマの女性は、独立心がおうせいで、

向学心が高い。



それから・・・と語りだすと、とまらなそうなので、

やめとこう。



”バーンメーパ”には、3回ほど行った。

やはり行くたびに、子どもは増えていた。



先のことは分からないけど、さいきんの

ビルマの民主化の動きは、きっと、この子どもたちの

未来にも、いい流れを与えるに、違いない。



そんなふうに思い出しては、

元気かなー、とか、ふつふつと

考える・・・




(つづけさせて下さいまし)

お昼ねの時間にお邪魔したら、このとおり。パッと見たら、昭和30年くらいの日本の夏だ



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ビルマ難民のおばあさん。無料医療施設の一画にいた。病室とは呼べないほど粗末でも、いられるだけいいのだ。





ビルマとタイの国境に、メーソートという街がある。

そこには、ビルマから少数民族の難民が、何十万人という

単位で、押し寄せてきている。



戦災から逃れてきたのだ。



彼らは、ビルマ国民でありながら、ビルマ語が話せない

こともある。



むしろ、タイ語の方が話せたりするのだ。



そのくらいビルマは、多種多様な民族が入り交じって

暮らしている。



メーソートで、近年とみに注目を集めているのは、

メータオクリニックという、無償医療施設。



メータオについては、公式サイトがあるので、

興味があったら、見てみてほしい。

ぜんぶ英文だけれど。



メータオのサービスは、年々拡充しており、

また利用者も増えつづけている。



医療行為だけではなく、お金の無い人に、

最低限の食料を提供もしているので、

人が集まる。



メディア、とくに欧米系から、世界的な注目を

集めているので、さいきんは、かなりメディアに

に慎重になっている。



つい先だって、アウンサンスーチー氏が

メーソートを訪れ、無料診療所を訪れた。



おそらくは、メータオなのじゃないかな、

と私は勝手に思っている。他にそんな場所は

ないと思うから。



テラの会は、メータオにも、何回も訪れた。



訪れるたびに難民が増えている。

ビルマの安定は、まだはじまったばかりだな、

と思う。



今日も、現地で協力して下さっている、

Hさんのもとへ、衣類を送らせていただいた。



また行けるのは、いつになるかは未定だけど、

Hさんの寛大さに、甘えさせてもらっている。



メーソートには、ビルマ難民を支援する、

いろんな施設がある。



次回は、そのひとつを紹介しようかな。



(つづいてる)






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パプアのポートモレスビー。危険地帯で、子どもたちは昼間でも、できるだけ網の中から出ない




今まで活動してきたところには、

言葉が全く通じないところもあった。



そんなとき、どうやって私たちは、無事に

活動を成功させてきたか。



知らないところで、やりたいことをするには。

どうすればいいか?



わたくしことコータと、テラの会代表のセンセイとは、

アプローチの仕方が全然違う。


コータの場合、石橋を、基礎工事から参加して、

完成を見届けたあと、それでも足りずに、

ニホンザルを一匹渡らせて、大丈夫だったら、

自分も渡る。



それくらいに、現地情報を仕入れたり、

日常会話をいくつか覚えたり、事前調査は

できるかぎりやる。



センセイの場合、そこに石橋があったとしても、

叩き壊して、自分で丸太んぼうをわたし、

その上を渡るタイプ。



つまり、外国で強盗にあおうが、気にしない

タイプだろう。



わたくしコータは気にするする。



ちょうど全く正反対だから、

活動がうまく行ったのだと思う。



やれ行け! というセンセイのブルドーザー

みたいなパワーがなければ、

言葉の通じない国で活動なんか、

こわくてできない。



また、おそるおそる、さきざきの不測の事態に

気をつかう、私の注意深さが、ところどころで、

危険をさけたことも。



でも、基本的には、

「この活動の途中で、Maybe go to Heaven!!」

というテンションがなければ、

やってこれなかった。



そうはいっても。

私は主張します。



基本的には、「郷に入らば郷に従え」だと。



うんちくを言えば、タイのことわざでは、

「みんな片目をつぶってる村に入ったら、

お前も片目をつぶれ」



というらしいです。



やわらかく、やわらかく頭をマッサージして、

人殺しや、盗みや、悪意のある嘘をつくことの

他は、何でもやる、つもりで。



外国では、とにかく俳優になりきること。



「Hi darling! Chu!」



と初対面の中年男性のほおにキスする

くらいの気持ちでいいのです。



ふつうはみんな嫌ですが。



私たちの活動は、前時代的な、がむしゃら、

根性ひとすじ路線だったので、参考には

ならないでしょう。



でも、もし知らない外国で、

何かを達成しなくてはならないなら、

自分を信じることです。



強い気持ちをもって接すれば、

どんなことでも、だいたいは、

何とかなります。



五輪で金メダル取る、とかそういうこと

でなければ、ね。



(つづけませんから)




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イスラム教徒が9割を占めるインドネシアの、キリスト教系孤児院で。センセイ、背中がすごすぎ・・・




スラバヤっていうところは、バリ島と、わりに近いです。

かなりの大都市で、貧富の差も歴然としています。



線路沿いには、ずーーーーーっと、

えんえんと、スラムがつづいています。

あれには圧倒されました。



少々のことには驚かなくなった、ぼくでさえ。



そんなスラバヤの都市部に、その施設はありました。

支援するときに、できるだけ現地のナマの情報を

たよりにする私たちは、タクシーの運転手さんに、



「孤児院ありませんか?」



ときくこともある。



それで教えてもらったのが、そこでした



写真を見ても、わかるかもしれませんが、

とてもゆたかな施設です。



さまざまな意味で。

おそらく、というか確実に、バックの団体は、

欧米系です。



入居している孤児の子たちも、中華系だったり

します。



キリスト教系施設は、必ずどこかの派閥に

属しており、その活動目的も、わりにはっきりしています。



現地への布教と、それを成功ととらえて、

欧米の信者から寄付を集めることです。



そのことを批判するような、立派な意見は

ぼくにはありません。



なので、スルーします。



さてぼくの言えるのは、見たものについて、だけ。

その施設は、部外者に対してのきまりが厳しく、

きっと本当は写真撮影も禁止だと思います。



そして、なにせ裕福です。

資金がたっぷりあるのが、外観からも分かります。

逆に、イスラム系の施設は、まず貧しいです。



どうしてそんな差が出るのか。

考えても分かりませんが、ともかくスラバヤでは

そうでした。



とつぜん訪問した私たちを、かなり面食らいながら、

いちおう対応してくれました。



手続き系の紙は、いくつか書かされましたけど。

子どもたちは、きっとティモールとかから、きてるんだろうなー。

と思う。



ティモールではキリスト教徒が迫害されたり、

いろいろあったから・・・



子どもたちは、日本からきた珍客を、

興味津々で見てました。とくにセンセイの着物を。



さいごには、みんなで見送ってくれました。

しかし、どこかしら、「あんまり、来なくていいよ」

といった雰囲気はありました。



衣服なんか足りてるよ、みたいな。



そうだろうな、

そうでしょうよ。



だって、欧米の信者さんたちから、物資の支援なんて、

いくらでも行くでしょうから。

むしろ支援されすぎて、あっぷあっぷかもしれません。



たぶん、ぼくが入居している子どもだとしたら、

あまりに恵まれた環境で、その反面、それを享受するには

熱心な信仰の態度をとらなくてはダメだから、

逃げ出してると思う。



たとえキリスト教徒だったとしても、

路上生活の方が気が楽、と思うだろうな。

スラバヤは年中暑くて、外で寝てても

死なないしさ。



なんだかまとまらない感じですが、

今日はこのへんにしておきます。



インドネシアの孤児院と一口にいっても、

いろんな違いがある、と思ってくだされば、

さいわいです。



(つづけたい)



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これだけの笑顔を引き出すのに、ややしばらくかかった。スラバヤの教育施設にて支援のおり




平成23年の2月ごろだった。

インドネシアのスラバヤに向かったのは。



そこはインドネシア独立戦争の、火の手が上がった

ところで、戦争に負けて武装解除される寸前に、

日本軍から脱走する形で、独立戦争にくわわった、

日本兵もいた。



そんな経緯もあり、センセイが慰霊を熱望していた

ところでもあった。



そこで衣服支援をするのに、ぼくがロケハン(ロケーション・

ハンティング、要するにうろうろして、支援できそうなところを

見つける)して、発見したのが、この施設。



慈善施設を、インドネシアでは、その種類にかかわらず

”ヤヤサン”と呼ぶようだ。



はじめ、ヤヤサンという意味が分からなかった私たちは、

ほうぼうで



「ややさんか?」



ときかれて、答えに困った。

”やや”という日本人女性が、インドネシアの慈善活動で

有名なんだろう、と勝手に勘違い。



YAYASAN といえば、インドネシア語で非営利目的の

慈善施設のことなのだった!



さて写真のヤヤサンは、グンテンブサール、つまり大きな

市場の、裏手にあった。



なかはうなぎの寝床。

入り口はせまく、ずーっと奥までつづいている。

イスラム教徒のヤヤサンで、貧しさから学校に

通えない子どもたちなどに、無料で勉強を教えている。



つまりは、一種の託児所というか、

親が貧しい子どもたちの家なのだ。



宿泊サービスは、ない。



それで本題に入ると、ここの施設はイスラムの教えが

厳格で、子どもたちが、ちょっときつそうなのだ。



無料の施設だから、いけるだけ幸せで、子どもたちには

文句をいう権利なんてない。



スカーフをかぶった、頭でっかち(といっちゃ悪いが)の

がちがちムスリム女教師が、子どもたちを大声で

叱っているのをみた。



外部の人間の私たちからすれば、そんなに子どもを

おさえつけても、効果ないだろうに、と思う。



おそらくその職員は、何かというとイスラムの戒律を

持ち出し、子どもを叱っているのだ。



あんまり子どもに笑顔がなく、ふてくされたような、

顔をしていた。



そのヤヤサンの設立者は”マザー●●”で、

地元じゃ有名な人らしい。



そういう固さが目につく施設だった。

それでも無いよりは、ぜったいあった方がいい。

もうちょっとイスラムの戒律をゆるくしてもいいけど。




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子どもには、いつの日か、宗教の選択の自由が

完全に許されるといいのに、とか思う。

インドネシアは、イスラム教の国で、一神教しか

宗教として認めない。



だからバリ島のバリヒンドゥーは多神教なので、

なんとか最高神をでっちあげて、がんばっているが、

あまり浸透してない。



こうしてみると、日本の神道がとくべつだと、

分かるでしょう。



日本の神道のようなのは、キリスト教徒の、とくに

プロテスタントからすると、「魔術的」ということになる。

もしも日本がキリスト教国になっていたら、神道や、

それに関係する祭り、伝統行事、すべては、

禁止か、キリスト教との融合を強要されるか、していた。



ブラジルやフィリピンを見て下さい。

地場の信仰が破壊されて、目も当てられない。



そんな中で、一神教の破壊力をまぬかれたのが、

日本の神道です。



ぐうぜんというか、必然というかは、それぞれの解釈に

まかせます。



あ、話しがそれた。



スラバヤの、そのヤヤサンは、そんなに資金も

うるおってなくて、それでも常駐の職員はいた。



ま、アジアのスラバヤに、そんな施設があるんだ、

くらいに思ってくれれば、いいです。



サー次は、どこのことを、お話しましょうか。



(つづく)





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イサーンの都市ウボン、障害者施設で支援。平成23年7月ごろ




イサーンのウボン、その街中にある、障害者の施設。

(イサーンって何よ? という方は、前回からみてちょうだい)



入居型の施設で、敷地は広く、建物もなかなか立派だった。

タイに限らず、東南アジアの田舎では、障害者は生きにくい。

バリアフリーなんて夢のまた夢。



今までは、ほとんど家の中から出ることは、なかったとか。

こういった施設ができたのは、そんなに古い話しじゃないらしい。



さて前置きは置いといて。

私たちがその施設を見つけたのは、地元の人へのききこみ

からだった。



ぼくが現地語が多少できたので、その施設の場所をきけた。



アポなしの、とつぜんの訪問だったけれど、

そこはタイの良さで、まったく問題なく、受け入れてくれた。



あわただしい支援だったので、くわしい話しはきけなかった

けれど、この施設のおかげで、障害者の方たち、またその家族は、

相当助かっただろうと思う。



施設は、知的障害者と、身体障害者の方が、

どちらも入居して、共同生活を送っていた。



私たちが衣服をさしだすと、みんなではしゃぎながら、

手にとってくれた。



とてもいい雰囲気だった。

私たちのような、いわば突然の訪問者は、いつもながら、

「受け入れてくれるかな」「信用してもらえるかしら」

などと、かなりどきどきしている。



相手に失礼に当たらないか。

上から目線に感じられないか。

プライドを傷つけないだろうか・・・?



その施設では私たちを、よろこんで受け入れてくれた。

それは入居者やスタッフの表情や、空気で伝わってくる。

もしも、何となく歓迎されてなかったり、「別に必要ない」

と思われていたら、たとえ言葉に出さずとも、こちらには

分かるもの。



とくにぼくにとって印象的だったのは、ひとりの身体障害者の

女性の笑顔だった。




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その方は、下半身麻痺で車椅子生活。

知的障害はなかった。



なかなか説明はむずかしいけれど、

久しぶりに、「タイ・スマイル」に出会った、

と感じたのだ。



タイ人の笑顔は世界的に有名。

その誰の心もひらくような笑い方は、

どこの国のどんな人でも、心が暑い日の氷みたいに、

とける。



しかし最近は、拝金主義がはびこったせいなのか、

タイの人の心の余裕もなくなってきて、そんな笑顔に

であうことが、少なくなってきた。



そんな中で、ウボンの障害者施設で、久しぶりに

これこそタイの笑顔だなぁ、と思う笑顔に出会えたのだ。



こういうことは、言えば言うほど「クサい」ので、

あんまりしつこくは、言わないでおこう。



その方の笑顔は、遠い国から来た私たちを、

心から歓迎してくれる笑顔だった。



そういう瞬間に出会えると、ああ遠く長い道を

はるばる来てよかったなーと思えるのだ。



いろいろな大変さがふきとぶ。



そうして、皆さんにお別れして、施設を出るとき、

ふと思うのだ。



自分は善いことをしているのやら、

されているのやら、分からないなー、と。



たぶんあそこの障害者の方たちは、一日中

施設にいて、なかなか外部の人に接する機会が

ないのだと思う。



日本からの来客なんて、

まずないだろう。



だから、あんなに歓迎してくれたのだ、きっと。



またあの施設を訪れる日が来るかどうか、

わからないけれど、ぼくのなかでは、

かけがえのない思い出となっている。



(つづく)










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タイ東北部イサーンの奥地、ウボン。街中には福祉施設がいくつかある。ここは孤児院。




イサーンときいて分かる人、どれくらいいますか。

多分、分かる人はある程度タイが好きな人だ。

イサーンとはタイ東北部の、ラオスやカンボジアとも

接するあたりのこと。



貧しい農村が多く、いまのタイ政権を支える大票田

でもある。



われわれが訪れたときは、まさしくその選挙の日だった。

イサーンのウボンはそのあたりでは一番の都会。

一通り、都会的なものがそろっている。



銀行、お役所、ペット心療所、某ア●ウェイの支店まであった。



そんな中に、孤児院があった。

私たちの訪れたときは、子どもたちは、それぞれ小学校や、

高校、大学などに行っていて、いなかった。

お手伝いの女性が接してくれた。




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これが看板。タイ語を読める人ならすぐ分かるだろうけど、

”ムゥニティ デックガンプラー イサーン”

とある。



つまり、イサーン孤児施設、くらいの意味。そのまんまだ。

名前というより、どんなところか、表示しているような感じ。



で、これはタイ特有のことなのかもしれないけど、

こういった施設の出費者は、じっさいにここの卒業生

だったりする。



一生懸命勉強して、政府筋の要職についた人が、

この施設の出資者にして代表者のようだ。




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上の金縁の女性が、施設の代表にして出資者。この施設出身である。




写真を見てもらえばわかるけど、女性なのだ。

つまりスーパーウーマンなわけです。

孤児として施設で育ち、優秀な成績で有名大学を卒業された。



その方が、後輩たちを保護し、同じように社会で生きる力を

つけさせよう、という施設のようだ。



国によって、施設や福祉のあり方も多様なのだ。

この施設は私立で政府からの支援は受けていない。



タイについて、一般的に言われるのは、中所得者層は

育ってきているけれど、社会福祉には関心が薄いとされる。



みんなで税金を出して、社会的弱者の生活を底上げする、

という考えになかなか至らない。



というのはタイ人の特徴として、上座部仏教徒が

圧倒的多数を、占める、というのがある。



上座部仏教は、救いはあくまで個人的な問題。

来世にいい生まれ変わりをすることや、瞑想によって

悟りを得ようというような、考え方が強いらしい。



日本でも同じではあるのだけど、やはり社会福祉を

さいしょにはじめるのは、キリスト教関係みたい。



宗教からはじまった福祉が、やがて社会的にその

必要性をみなが認識して、国としての事業になっていく、

というのはだいたいどこでも一緒みたい。



この施設みたいに、タイでは、自分にとって

関係が深いところにお金やチャンスをまわす、といった

傾向にあると、いってもいいかもしれない。



職員の方も、「いい人がやる」といった意識であり、

給料はもちろん非常に安いし、労働環境も決して

よくない。



その代わり、高所得者用の、病院やいわゆる老人ホームの

ようなところは・・・ 



あんまりいっていいことじゃないけど、まるでタージマハールの

ような、いわば宮殿というか・・・



遺産相続税とか固定資産税がないから、こうなるのかな???

イサーンは、その中でも、貧困層としてもはや固定された

ような位置にあって。



近年続発する、タイの反政府デモなんかも、その構造と

無関係じゃないわけ。



自分もタイの全てを見たわけじゃないし、目にすることが

できたのは、ほんの一部だけだから、あんまり

やたらなことは、言わないことにしとこ。



次は、同じウボンの街中にあった、障害者の施設のことでも

お話しさせていただこうかな。



(つづく)

(最近PCのハードディスクが、ねずみみたいにキュキュキュと鳴くようになりました。いきなりシャットダウンしたりもします。そろそろ、このPCも恍惚の世界へいくのかもしれない)





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ラオス・ルアンパバーン近くで支援




ラオスの子どもの顔を見てると、

自分の子どものころの写真とそっくりなーと、思う。

けっきょく子どもは世界どこでも、かわらないのかも。



かわいいところも、ちょいムカつかせて来るところも。



私たちも、子ども服支援中心ではあるけど、

他にも大人にもたくさん渡してきたし、

障害者のホームや、エイズの子どもたちの家に

行ったこともある。



アジアの福祉施設には、種類だけでいえば

ひととおりまわったと思う。



難民のための病院とか。



それらはやはりタイにあった。

ビルマ難民の支援団体も、タイに拠点を

もっていることが、たいへん多い。



それはタイが自由貿易を認めていて、

治安もわりにいいし、NPO、NGOの活動も

まあやりやすいからでしょう。



とってもやりやすい、とまでは言えませんが・・・



こんごしばらくは、そういうような、

アジアの福祉施設のことを、種類別に

お話しさせていただきやしょうか(急にアニキ)。



そうすることで、自分の中の記憶を、

すじみち立てることもできようもの、

なので・・・。



面白い話しになるかは、話してみなければ、

わからないけど、どうかお付き合い下さいまし。



(つづくとよ)