考えなくても良い枠 | フリースクール『寺子屋ありがとう』 新潟

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諦めさせられないでくださいね。
http://terakoya-arigato.jp/

無意識でいるとついストレスを避けようとします。

今の日本で日常的にあるストレスで
避けても、逃げてもたいして影響のなさそうなもの。
簡単に避けられるもの。
なんだと思われますか?


私が思うに一番は
「考えなければならないこと」
です。


本来考えなければならないのに
考えずにすます。
今の日本人その傾向が強いと思います。



その原因を戦後の教育のせいにしたり
責任丸投げの考えもありますが

その理由の最たるは、考えなくても済む環境に
長年自ら身を置いてきたからだと私は考えています。



考えさせられないではなく、考えなくてもいい環境に身を置いた結果です。
これは考えてもいいということでもあるのですが
あえてストレスを受け入れるには、ある程度の意志が必要です。


今の日本は決して考えられない環境ではない。
むしろ他国と比較すると
考えることも
考えたことを発することも
それを元に行動することも
今はまだ自由です。

考えなくても問題なかったから
むしろ考えると余計大変なことになるから
それで考えない選択をしてきただけではないでしょうか。
そしてその状態は変えようと意識しなければ
これからも続くでしょう。


社会で、会社で、学校で、地域で、家庭で
上に立つ人は自身に都合の悪いことは考えて欲しくない。
ということもあるでしょう。

考えさせないために自身にとって都合の良い
思考の「枠」を作りたがる人もいます。
特定の考えだけを触れさせたり
他の考えに触れることを禁じたり。
これが刷り込みや強制です。


これは策としては下の下。
気持ちに余裕がある人からは
反感を持たれ抵抗され余計考えさせてしまいます。

圧政は覆される。
人から力ずくで思考を奪うことは不可能です。
これは歴史も証明しています。


考えさせない為の上策とは、考えなくても済む環境を与えること。
そんな環境を整えるほうが簡単なのかも知れません。



最近私があちらこちで言っていること
考える人を育てる為の改革
「教育の2020年問題」
このままでは失敗するでしょう。

なぜか。
教育で子ども達だけを変えようとしているからです。
「ゆとり教育」の失敗と同じです。

仮に新制度の教育を受け考えられる人が育っても
社会に出た瞬間考えられない人達が作る環境が
考える人を叩くから。
自分たちの安住の地を脅かすからです。


考えられる人を育てる教育の前に
日本に考える文化を根付かすことからです。



では具体的にはどうやって?
子ども達ではなく
社会環境を創る大人から考えることを取り戻すこと。

考えることを取り戻すとは
「考える」という言葉の定義を明確にし
その「考える」という実践を繰り返し
なんらかの「考える」ことによる結果に繋げること。
そこからだと思います。


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