『認知症ケアの倫理』第2回読書会レポート④ | 寺田真理子オフィシャルブログ

『認知症ケアの倫理』第2回読書会レポート④

2021年11月11日(木)に開催した『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』の第2回読書会レポートのつづきです。

 

第2回読書会レポート①はこちらをご覧ください。

第2回読書会レポート②はこちらをご覧ください。

第2回読書会レポート③はこちらをご覧ください。

 

 

 

 

「夫が先日がん告知を受けた。そういう告知をする際には家族が呼ばれるのかと思っていたら、そうではなかった。「ここの部位のがんで、転移はない」と本人にのみ告知があった。医師が本人にあまりにストレートに伝えることに驚いた。この話を人にしたところ、その人は中学の頃に父親をがんで亡くしていたが、父親は病名を知らず、本人には教えないように言われていたという。告知も変わったものだと思った」

 

「がんの告知が変わった背景には、最高裁の裁判で医師が敗訴したことがある。70年代か80年代だったと思うが、その医師は告知しなかった。患者は治療しないことを選び、結果的に死亡した。患者にわかるように告げなかったとして、医師が敗訴した。それ以降、『敗訴するんだよ』『説明をちゃんとしなさい』『本人に告げなさい』と医師を教育するようになった。また、家族のあり方も変化したと思う。家族でも利益相反があり、『夫の利益』=『妻の利益』というわけではない。本人が家族にも言ってほしいと希望すれば伝えるというように、告知が変わってきた」

 

「昔は告知をしないのが当たり前だった。たいていはそれでも察しがついたのだろうが、察しがついていなかった人もいたと思う。自分だったら、残りの人生で何をするか考えたいから、言ってほしいと思う。言ってほしくない人と言ってほしい人がいるだろう。『こうに違いない』と、何かを絶対視したり、ひとつの価値観に押し込めたりするような考え方は怖い」

 

「8年前に夫が動脈硬化で手術を受けたとき、手術の3日前になって『手術をするので予約をした』と告げられた。それまでは何も知らなかった。家族なのだから告げて欲しかったし、そのときに言ってくれなかったことで信頼関係が薄れたように感じている」

 

「何をどこまで相手に伝えるかは、人によって異なると思う。夫婦だとまた違うのかもしれないが、自分の場合は、たとえば相手が親友でも、自分のことをそれほど話さない。基本的に、相手が元気で暮らしていてくれればいいというスタンスなので、相手にとって大事なことであっても、それを把握しておきたいとは考えない。相手が話したいのなら聞くことに抵抗はないが、自分にも同じようにしてほしいと求められても応えられない」

 

 

(つづく)