『認知症ケアの倫理』第2回読書会レポート③ | 寺田真理子オフィシャルブログ

『認知症ケアの倫理』第2回読書会レポート③

2021年11月11日(木)に開催した『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』の第2回読書会レポートのつづきです。

 

第2回読書会レポート①はこちらをご覧ください。

第2回読書会レポート②はこちらをご覧ください。

 

 

 

「高校生のときに読んだ新聞記事が印象に残っている。夫が交通事故で介護が必要になったが、子どもがまだ小さいので、夫を病院において妻がフルタイムで働くようになったという内容だった。今では共働きが多いので、妻のこの対応は常識的だと思うが、当時は姑にすごく批判されたという。夫を病院においておくなんて、という感覚だった。その記事には10年後の様子も書かれており、子育てがきちんとできて、結果的には正解だったし、姑も認めてくれたという。価値観が変化していくことを考えると、その時点での価値観が正しいと判断することは難しい」

 

「医師や医療者の倫理観はかなり変わってきている。自分がケアマネをしていた7年前には、食事をとれなくなったら胃ろうにするのが普通だった。胃ろうをしないという人がいたら、医師が説得するのが当たり前だった。けれども、この頃はしないほうが常識になった。本人が高齢でこれ以上の措置は望まない場合には『ナチュラルに』のひと言で病院が納得するようになった。食べられなくなったらそのままでいいという考えだ。点滴だけはするが、アメリカだと点滴もしない。がんの末期でも、本人が選択するのが普通。自分も病院を受診して変化を感じた。以前だったらコレステロールが高いと医師が薬を出すのが普通だったが、最近は薬を出さずに『君の生き方の問題だよ』と医師から指導を受けるようになった。昔はあんなに薬を出していたのに、本当に同じ医師かと驚いた。変化の理由には、医学教育が患者中心に変わってきたことがあると思う。また、大きいのは収入の単位が変わったことだ。医薬分業になり、薬を出しても収入にならないから変わってきたのだろう。それに、医師も乱立するようになり、競合しているし、患者が医師を選べるようになった。ネットによって患者も自分の病気について調べるようになって賢くなってきた。患者によっては世界中の論文を読んで受診している」

 

「子どもの頭を叩かなくなったという話があったが、自分も大阪出身でお好み焼きを食べながら吉本新喜劇を見るような、面白おかしい文化で育った。東京に嫁いできて文化の違いに戸惑った。順応性を高めることが大事だし、自分の考えの柱を持っていないといけない。その柱が本当に合っているのかと不安になるときには、書物を読んだりすることも大事だと思う」

 

 

 

(つづく)