“1年前、妻が庭にトマトを植えると言い出した。肥料も自前でまかなうという。ホームセンターに行き、コンポストという大きなふた付きのバケツを買ってきた。料理で出た野菜や魚などの切りくずを入れ、ねかせて堆肥を作るのだ。それを畑に入れる。
 生ごみを毎回、外に置いたバケツに入れるのは面倒な作業だが、収集日のごみが2分の1、週によっては3分の1に減った。こうなるともっと減らしたくなる。生ごみは焼却場行きを免れて肥料に生まれ変わり、野菜を育て、それを私たちはおいしくいただく。環境に優しいリサイクルとは、こんなささやかな取り組みのことかもしれない。”(8月29日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の山本さん(男・75)の投稿文です。生ゴミを処理するコンポストの話です。山本さんの奥さんはどこでこの知識を得られてこれたのでしょう。このように少しの場所があれば使える道具です。処理するごみが減り、野菜作りに役立つ、いいことばかりです。ボクはもう何十年と使っています。今はどうか知りませんが、そのころは役所から購入補助が出ていたと思います。大型のコンポスト2基設置し、1基がいっぱいになるともう一つを使います。そして2基ともいっぱいになると古い方のごみを畑に蒔きます。そのころにはもう十分肥料になっています。この繰り返しで、生ゴミの処理は大助かりです。まだの方はご検討ください。
 

 “老人会の総会で隣に座った先輩から、早朝のグラウンドゴルフ(GG)をしているという話を聞いた。近くでその会話を小耳に挟んだ別の大先輩が総会の後、私の家に道具一式を抱えてきて「自分はやれなくなったので、これを使って始めてみたら」と言って、やるとは決めていない私に預けて帰ってしまった。やるしかないかと腹を決め、先輩の早朝GGの仲間に入れてもらった。
 ひょんなことから始めたGGだが3千歩程度の適度な運動に汗を流せる。打ち方の工夫や相手打数の計算などで頭も使う。そして早朝に始まる規則正しい生活。早起きは三文の徳というが、三文を超える徳を手にすることができたと思っている。”(8月25日付け中日新聞)

 名古屋市の各務さん(男・81)の投稿文です。老人会の早朝グラウンドゴルフに参加する機会を得られた各務さん、その魅力にすっかりはまられたようです。ボクとしては良かったと申し上げたい。早朝に軽い運動をする、これはどんなことでもいいでしょう。ラジオ体操でもウォーキングでもいいでしょう。この話もよくあり、この「話・話」 でも取り上げてきました。
 そしてグラウンドゴルフの用具を一式もらいうける話、この話はボクの仲間でもよく聞きます。もうできなくなって不要になれば誰かにあげたい、自然な気持ちでしょう。使ってもらえば嬉しく思います。ボクもそうなればあげます。と言ってもボクができなくなるのはいつでしょう。1年でも1ヶ月でも長くやりたく思っています。
 

 “「緊張せず、リラックスしてくださいね。では、カットします」。夫の薬指に食い込んだ結婚指輪にハサミが入り、切り離された。無残な形になった指輪の裏を見ると、彫られた私たちのイニシャルが、きれいに分断されていた。「あっ、イニシャルが真っ二つ。私たちもいよいよ、さよならか?」と私。「あーI、やっと自由の身になった」と夫。カットしてくださったジュエリーショップの店員さんと3人で声を上げて笑った。
 結婚43年の間に、夫は体重も少しずつ重ね、10キロほど太った。元々やせすぎだったので、ちょうど良くなったと思っていたが、指はそんなわけにはいかなかった。指輪が食い込んで痛々しい姿に変わってしまい、カットをお願いすることにした。私の方は、体重の変化はさはどないが、いつからか金属アレルギーが出るようになり、指輪はタンスの奥へしまい込んだまま。どうせ使わない物なら二つとも処分しようと後日、買い取りショップヘ出向いた。プラチナの指輪は予想以上の買い取り額が付いて嬉しくなった。
 そのお金を携え、2人で焼き肉店へ。「これからもよろしく」と乾杯し、結婚指輪が化けたお肉を頬張り笑った。令和7年7月7日、七夕の出来事でした。”(8月24日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(67)の投稿文です。何の話かと読み返しました。指輪などしたことがないボクにはびっくりな話です。指輪が指に食い込んで外せなくなった、こんなこともあるのですね。ということは指輪は、どんな時も嵌めたままであった、ということですね。これはそれ程に奥さんを愛し、愛しく思っていた証しということです。夫婦も全くいろいろだということでしょう。
 ボクは指輪をしたこともないし、妻も結婚指輪を当初していましたが、そのうちにしなくなりました。お互いあまり指輪には興味がなかったと言うことでしょう。でも55年が過ぎました。結婚55年はエメラルド婚式と言うようです。妻が最近この言葉を言い出しました。まもなく結婚記念日です。何かするのだろうか。
 

 “灯のともった巨大なちょうちんが夜空を彩る「三河一色大提灯まつり」が23日、愛知県西尾市一色町の諏訪神社で始まった。時代絵巻をあしらった12張りが連なる幻想的な雰囲気の中、大勢の見物客でにぎわった。
 450年ほど前、地域の田畑を荒らす海の魔物を鎮めるため、村人がかがり火をたいて祈ったのが起源とされる。江戸時代以降、かがり火に代わりちょうちんを掲げ、氏子らが大きさを競うようになったという。高さ約6~10メートル、直径3.6~5.6メートルのちょうちんが境内に掲げられ、日没後に灯がともされた。古代伝説上の英雄・日本武尊や武将の絵巻が浮かぶと、境内を埋め尽くす人たちからは歓声が。友人らと観賞していたフランス出身で名古屋市在住の語学教師シモンさん(29)は「インターネットで愛知の有名な夏祭りを検索し、この祭りを知った。ちょうちんは大きくて印象的」と話した。ちょうちんは24日午後5時まで掲げられる。”(8月24日付け中日新聞)

 記事からの掲載が続きます。ボクはこの「三河一色大提灯まつり」を、23日の夜見てきました。こんなツアーを見つけて申し込んでおいたのです。そして翌日朝刊の記事です。思い出しながら読みました。実はこの提灯祭り、20代の時に見て以来だと思います。その時の上司が一色の人で、上司の招きで行きました。大きな提灯と人出の多さが記憶にあります。今回も素晴らしさを覚えましたが、少し残念に思ったのは、提灯に火が入ったのがいつかよく分からなかったのです。周りが明るすぎるのです。いくら大きいと行ってもろうそくの火は小さいのです。一時的にも周りの灯を消すとか、一工夫ほしいと思いました。昔はもっと幻想的に感じたと思いますが、今は露天等の灯が強すぎる、と思いました。
 でも地元のこうした祭を最近はいろいろ味わっています。昨年は東栄町の花祭りを見に行きました。地元再発見、こんなツアーが多くなることを期待したいです。
 

 “地域で働く人の話を聞いて将来の職業選択の参考にしようと、一宮市の南部中学校で21日、「働く人から話を聞く会」があった。会を企画し、地元企業に講師を頼んで回ったのは、生徒会長の3年、岩田圭人さん(14)。さまざまな業種の9社が応じ、3年生約300人が耳を煩けた。岩田さんの父・周作さんは、稲沢市稲沢町で不動産管理業「スターフィッシュクリエーション」を経営。父の背中を見て育った岩田さんは、地域を支える企業で活躍する人がいることを同級生にも知ってほしいと考え、会を発案したという。
 協力してくれたのは、建設業や繊維業、美容職などの9社の人たち。岩田さんの父の周作さんも講師を務めた。生徒がどの講師から話を聞くかは希望に添って振り分け、それぞれ仕事の内容ややりがいについて説明を聞き、真剣にメモを取っていた。(後略)”(8月22日付け中日)

 今回も記事からです。生徒会長が企画し、講師を頼んで回る。外部に向かってこの様な活動ができるのは時代なのでしょうか、素晴らしいと思います。よくは思い出せないがボクらの時代には、いろいろなことが学校内で終わっていた。あったとしても先生の指導があってだと思う。生徒が自ら考え、行動に移す。こういう自発的、積極的なことができるのは羨ましいと思う。そして「地域を支える企業で活躍する人」という発案も良い。中学から仕事について興味を持つ、この話を聞いた人には今後の進み方に影響を覚えた人も多いでしょう。良い高校へ行き、良い大学へ行きよい会社に就職する。何となく、良い良いだけを追求していく。具体的に仕事の内容を意識していない、そんな人も多いでしょう。若い人の力を感じます。
 

 “一宮市千秋地区で盆踊り曲として親しまれてきた「千秋音頭」の原曲を収録したレコーード盤が、千秋町老人クラブ連合会の平子昌三会長(79)の自宅で保管されていた。近年は、歌詞や楽器を変えた「平成版『千秋音頭』」が流されてきたが、この発見を機に、来夏には原曲による盆踊りを復活させようという動きもある。
 千秋音頭が誕生したのは、旧千秋村が一宮市と合併した1955(昭和30)年前後。千秋公民館の職員によると公民館には、原曲をコピーしたとみられるCDは残っているが、原曲を収録したレコードは見当たらないという。ここ最近の千秋公民館の盆踊りでは、現代版にアレンジした平成版「千秋音頭」が流されるように。原曲に慣れ親しんだ住民の一部には「浮き浮きしてこんがな」と感じる人もいたという。(後略)”(8月20日付け中日新聞)

 記事からです。昔はご当地盆踊りが数多く作られ、踊られたようです。この話もその一つです。この千秋音頭はまさにボクのご当地である。そしてボクも昔はよく歌い、踊ったものです。記事には書かれていたのですが、この話のきっかけになったのは、8月8日に千秋公民館で開かれた末広大学にあります。この時、蓄音機で千秋音頭が流されたのです。ボクもこの末広大学に参加していました。この話はその後の話です。いきさつが分かっているだけにボクにはよく理解できます。原曲のレコード盤が連合会長の自宅にあったというのも、何か縁があったのでしょう。平子連合会長は、ボクの後任の連合会長であり、ボクの小・中学の同級生です。彼の思いがこうした縁に繋がったのでしょう。人生の妙味を感じます。
 

 

 “木曽川に残る最後の渡船場「県営西中野渡船(中野の渡し)」(一宮市西中野)で17日、乗船体験会があった。家族連れなど約20人が参加。400年以上続く渡し船の歴史に思いをはせた。中野の渡しは県道羽島稲沢綿の一部で、一宮市西中野一岐阜県羽島市下中町の約1キロを片道約7分でつなぐ。歴史は戦国時代にさかのぽるといい、長く生活の足として親しまれてきた。付近の新濃尾大橋の開通を機に来年3月に県道としての役目を終える。
 乗船会は、一宮市尾西歴史民俗資料館で31日まで開催中の企画展「中野の渡し~木曽川最後の渡し船~」に合わせた。申し込みが殺到したといい、担当者は「渡船への関心の高さがうかがえる。連綿と続いてきた渡船の歴史を知ってもらえたら」と話す。参加者は船頭から説明を受けてライフジャケットを着て乗船、短い船旅を楽しんでいた。家族と乗った市内の加藤幸男さん(71)は「川を渡る機会はなかなかない。波も静かで風情があった」と笑顔を見せた。”(8月18日付け中日新聞)

 記事からです。新濃尾大橋が開通し、西中野渡船は今年度で廃止である。こんな記念の年となり、西中野渡船についていろいろ話題になり、企画もされている。そして渡船存続の要望も出ている。この企画もその一つである。一宮友歩会でも、昨年12月の例会でこの渡船乗船の機会を作った。多くの人に乗ってもらい、楽しんでもらった。
 橋に比べれば何かと不便な渡船は、橋に替わられるのは自然、地元の発展に繋がる。新濃尾大橋の完成は大きな喜びで迎えられた。そして渡船をなくす目的の橋である。完成すればなくすのが管理者としての県の姿勢である。残すには当然経費がかかる。一時の人気や感傷では残せない。民間事業として成り立つのか、また税金を使うとすれば多くの人が納得するだけの価値はあるのか、存続要望もあって今後いろいろ検討されるだろう。ボクは地元である。関心を持ってみていきたい。
 

 “私は地域の区長として毎朝、地元小学校の通学路で登校する子どもたちを見守る活動を担っています。古い言葉を使えば立哨です。今は夏休みですが、―年限りの役目とはいえ毎日の立哨は気が重い日もあります。
 4月当初は「知らないおじさんがいつもいるな」ぐらいに思われているのか、「おはよう」と声をかけても顔を背けて行ってしまう子も。それが、雨の日も暑い日も毎日黄色い旗を持って立っていると、子どもたちからあいさつをしてくれるようになりました。いつも見る子がいないと心配になるし、暑さで足取りがおぼつかない子に学校まで付き添ったこともあります。
 私はまだ少し仕事もしていて、出勤の日は見守りの後、職場に向かいます。子どもたちに活力をもらって出かけます。2学期にまた、元気に登校する子どもたちと朝のあいさつができるのを楽しみにしています。”(8月18日付け中日新聞)

 愛知県知多市のパート・仁木さん(男・68)の投稿文です。地域の区長として毎朝、通学路に立つ、と言われる。そして1年限りであるが、毎日の立哨は辛いと言われる。しかし、今では楽しみになっているとも言われる。ボクも老人会の役目で、立哨したり、一緒に歩いたりしている。状況は分かっているつもりである。そこで少し意見を述べたい。
 地区には地区のしきたり、決め事がある。でもこの文には少し疑問を持つ。まず区長が毎日立哨すると言うことである。区長はそんなことがなくても忙しい。どうして区長の役目になっているのだろうか。今やどこの地区でも区長のやり手がなくて困っているだろう。そんな区長に立哨まで負わせるというのがまず疑問である。そして毎日と言うことである。ある月だけとか、ある曜日だけとか、それならまだ分かるが、毎日というのはとんでもない負担である。個人の自主性や見守りのボランティア団体ならそれもあるかも知れないが、区長である。ボクの村でも登下校の見守りはしている。ボクは老人会会長として、年に10数日、この役目を果たしている。年に十数日である。町内会役員もしてると思うが、多分区長はしていないと思う。ボクには区長負担軽減の方策を図るべき、と思われる。
 

 

 “75歳、後期高齢者になった祝いに今は亡き妻とハーフサイズのうな重を食べたのがつい昨日のようだ。退職後、ほぼ毎日30分ほどのウオーキングを続けてきたので、82識になった今も足腰には自信があった。近場の小旅行なら不安なく楽しめるという御利益を得ていると思っていた。
 その自信があだになったのか、4月に京都へ旅行に行った際、不覚にも転んでしまった。幸い骨折などという大事には至らなかったが、転倒、骨折を経て寝たきりという高齢者のリスクをあらためて自覚した。以来、日々の生活の中で、できるだけつえを使って歩くようにしている。「転ばぬ先のつえ」とはよく言われるが、私の場合「一度転んだ後のつえ」だ。この経験を教訓に、今後は安全第一に生きていきたい。”(8月14日付け中日新聞)

 愛知県津島市の横井さん(男・82)の投稿文です。高齢者の転倒の可能性は誰にも、どこにもあります。そして、起こせば大事になりかねません。横井さんは転倒された。幸いに骨折など大事にならなかった。この機会に杖を使うようにされた。転んだ後の杖、良い教訓になったようです。誰にも失敗はあります。そのことが大事になるか、大事にならずにその後の教訓になるか、これは紙一重です。ボクの近所で今年1月に転倒され、それが始まりで今年7月に亡くなった人があります。転倒はこれほどに危険です。ボクはまだいろいろやらねばならないことがあります。絶対に倒れられない、そんな思いで過ごしています。
 

 “三重県で誕生したSSピンポンは今年で10年を迎えました。私は日本SSピンポン協会の会長を務めています。SSは生涯、スポーツの頭文字。音の出る球を使い、卓球台に張ったネットの下を通すように打ち合います。高齢者や視覚・聴覚障害のある人、車いすの方など誰でもプレーできます。多くの人と一緒に楽しんでいます。勝ち負けを超えたつながりや思いやりが生まれ競技を通して笑顔と温かい交流が広がっています。
 私たちは今、全国へ、そして世界へとこの競技の輪を広げたいと願っています。誰もが安心して共に楽しめる平和な世界を夢見ながら、ラリーをつないでいます。あなたもぜひ、ラケットを手にSSピンポンの世界に触れてみてください。”(8月9日付け中日新聞)

 三重県伊勢市のNPO理事長・村井さん(男・79)の投稿文です。SSピンポン、知りませんでした。視覚・聴覚障害者でもできることにこのスポーツの特色があるのでしょう。最近はニュースポーツと言われるスポーツが多くなりました。今までできなかった人でもできるスポーツ、良いことだと思います。世の中は良くなったのか、よく分かりませんが、こうした面は本当によくなった気がします。村井さんはこのスポーツの会長さん、意欲を持ってやって来られたでしょう。村井さんにも大きな生きがいでしょう。ボクと同じ年令、これからも頑張ってください。
 ボクはグラウンドゴルフをやっていますが、これも高齢者向けに開発されたニュースポーツでしょう。そしてサロンでは時折ボッチャをやります。ボッチャは障害者向けのスポーツだったでしょうが、ボクはやる場に応じたルールにして行っています。体を動かすことは誰にも必要です。老若男女は関係ありません。