“私の趣味の一つが御菓印集めだ。御菓印とは全国の和菓子店がデザインした御朱印のようなもので、原則本店でしか手に入らないため、現地へ足を運び、少しずつ集めている。例えば、三重県には四つの御菓印がある。集め始めるまでは同県の和菓子といえば赤福餅ぐらいしか思い浮かばなかった。だが、全て集めたことで、開業当時のエピソードやこだわりの材料といった、それぞれの店や和菓子の軌跡を知った。だから、以前より和菓子を味わって食べる楽しさを感じるようになった。
 和菓子は優しい味わいや繊細な造形、季節ごとに変わる商品など、多くの魅力がある。そんな和菓子だけでなく、その背景にある歴史や文化にも触れられる御菓印集め。これからもこの趣味を大切にしていこう。”(7月29日付け中日新聞)

 三重県亀山市の公務員・那須さん(女・37)の投稿文です。寺社の御朱印の発展であろうが、今や到るところでこうした種類の印が作られている。そのことは感じていたが、御菓印は知らなかった。日本の代表的な和菓子が対象になっているようである。この印を通じて和菓子の背景や歴史を知る、面白い企画と思う。
 あまりに印を氾濫させると、お金儲けかと思いその魅力を失う。その点御菓印は印が出せる場所を本店と絞っているようである。ボクは西国33ヵ寺の御朱印をもらったくらいで、他にはほとんどなく、興味もあまりない。蒐集趣味は人様々で、あまり何も言うつもりはない。でもいろいろな蒐集もいいが、その後の処置も考えておかねばならない。高齢者で悩んでいる人は多い。でも那須さんは若い。今から悩むことではない。これが元でどんな発展があるか、楽しんだ方がいい。
 

 “平和の尊さを考えてもらおうと8月8、9の両日、一宮市民有志が「一宮平和のつどい」を一宮市真清田の一宮スポーツ文化センターで開く。9日には一宮市出身で、中日新聞の木原育子記者(45)を招き「戦争させない社会にー市民の声を紡ぐ新聞記者たち-」と題した講演会がある。参加無料で入場自由。
 つどいは戦後80年の節目だった昨年、初めて開催し2回目。8日は午後1~5時で、午後3時からは実行委のメンバーが一宮空襲について調査した内容を発表する。9日は午前10時~午後4時で、木原記者の講演会は午後1時半から。会場では広島の高校生が原爆について描いた絵や、第2次世界大戦中の軍服や戦時中の日用品も展示する。
 実行委員長の柴田伸治さん(83)は「防衛費はふくらむ一方で、戦争へと近づいているような気がする。80年続いてきた平和な時代を守るため、今の社会を考え直すきかっけにしてほしい」と話す。”(7月25日付け中日新聞)

 記事からです。平和は尊いものであり、戦争はしてはならない、このことを否定する人はほとんどいないだろう。でも世界到るところで戦争である。そしてお互い正義を振りかざしている。そして日本も戦争ができる国にまっしぐらである。ここのところ勢いを増している。理屈などいくらでも付けられる。為政者は戦争ができる国になればしたくなるものである、そう心得ていた方がいい、とボクは思っている。そういうときにこの催しものは開催された。今や戦争はもちろん、戦後の惨めさも知らない人がほとんどである。そういう人に向かって戦争の悲惨さ、愚かさを叫びすぎることはない。最後は国民の声が砦である。
 実行委員長の柴田伸治さんは老人会の役員仲間である。彼も地元会長を長く続けている。こうした話を彼と特にしたことはないが、何となくあうんの呼吸で理解し合っている気がしている。
 

 “医師の指示で毎日使っている鼻洗浄器が突然壊れてしまった。購入できる場所が限られており、最寄りはある総合病院だ。ただ、そこまで行くバスは1日に数本しかない。また、運賃だけで鼻洗浄器の値段の3分の1ほどになる。私が使っている製品は1個5千円近くもする。
 そんなことを友人でもある隣人男性に話すと「ええょ。行ってあげる。困った時はお互いさま」と、快く自分の車に乗せていってくれた。助かった。持病は難病指定されている病気で、10年前に大学病院で手術を受けた。朝と夕方に鼻洗浄をしないと鼻が詰まって息がしづらくなる。
 私の住んでいる地域は、何かと不便なことも多いが、周りには、こうした思いやりのある友が何人かはいる。ほんまにありがとう!”(7月22日付け中日新聞)

 三重県松阪市の佐波さん(男・75)の投稿文です。鼻洗浄器、ボクはこんなものがあることは全く知らなかった。生きていくためにいろいろな器具がある、それは心得ているが、どんなものがあるかまであまり知らない。ボクのまわりにそう行く器具を使っている人があまりないからだろう。使っている人は大変だろうが、でもそれで生かされている。いろいろな医療技術が発達して、その恩恵を受けている人は多い。それで長寿が達成される。感謝されていることだろう。
 でもまずは自分自身の体で長寿を果たしていきたい。そい言うボクも器具に頼っている部分がある。人口尿道括約筋が埋め込まれている。これぞ知っている人は少なかろう。これで普通の生活が保たれている。そうであるからには、より健康を保って世の中の役に立っていきたい。それが恩に報いることである。
 

 “京都で大学生活を送っていた約18年前の初夏、友人のI君が京都・三条大橋から大阪・ミナミの地下街「なんぱウォーク」まで歩く企画を発案し、仲間3人と実行した。数十キロの道のりを12時間かけて疲労困憊になりながらも何とか歩き切った。
 先日、I君が同様の企画を提案した。今回の発着地は、前回と逆で大阪から京都を目指し、大学時代の友人6人で歩みを進めた。最初は互いの近況報告をするなど和気あいあいだったものの、暑さと直射日光の影響で約30キロ歩いた所で力尽きた。
 目標こそ達成しなかったが、久々に会う友人たちとコスパ・タイパとは正反対の遊びができて幸せだった。次回は来年開く予定で、初めて東海地方を歩く企画立案を任された。今回の反省を生かし秋か冬に開催するつもりだ。”(7月19日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の公務員・吉村さん(男・39)の投稿文です。京都・三条大橋から大阪・ミナミの地下街「なんぱウォーク」までは何キロあるのであろう。若い大学生が12時間歩かれたと言われるので50~60キロくらいであろうか。若いと言ってもいつも歩かれているならできるだろうが、そうでなければかなりキツかっただろう。それが40歳前では挫折であった。これは長距離ウォークを何回となくやってきたるボクだから言えることである。ボクは50代の頃、何十回となく40キロ以上のウォークをしている。50キロ、60キロも歩いたことがある。それが今も生きていると思う。吉村さんの今回の挫折は、少し情けない。多分ウォーキングが生活になっていないし、準備不足であろう。この機会に再度挑戦を誓って欲しいものである。来年は東海地方を計画されると言われるので、意欲は十分のようである。まずは意欲である。そこから何が生まれるか、楽しみである。
 

 “40年以上前のことだ。当時20代半ばすぎの私は岐阜県内で両親と暮らしていた。ある日、所用で車で出かけたところ、出先近くで止めた駐車場が偶然にも父の仕事先だった。
 父親は当時、土木作業員でその駐車場で工事をしていたようだ。父は私を見ると「これ、わしの娘や!」と周りの人たちに話していた。私は気恥ずかしさからその場から逃げるように走り去った。今思えば、父は外で娘に出くわしたことがうれしくて、周囲に私を紹介したかったのだろう。父の思いに応えず、つい背を向けてしまったのを侮やんでいる。
 そんな父はもういない。だが、あの時の父の誇らしげな言葉は温かくも少し切なく私の心に残っている。そして当時に戻れるなら、胸を張って「そうだよ!!」と答えたい。”(7月12日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の主婦・土田さん(68)の投稿文です。父親の仕事仲間に紹介される、20代の娘さんには恥ずかしかった、と言う気持ちも分かる気がする。それも突然である、心の準備もできていない。しかし、お父さんには嬉しかったのである。自慢したい娘さんでもあったのだろう。人生にはこうした一瞬が時折訪れる。その時どう対応するか、その違いによってその後が大きく違ってくる場合もある。例えば、その時のお父さんの仕事仲間に年頃の青年がいて、土田さんの態度に惚れ込まれる場合もあろう。人生何が起こるか分からない、これなどは十分ありうることである。一瞬が人生を変える、出会いなどの多くはそんな時である。ボクと妻の出会いもそんなものだったかもしれない。
 

 “本紙に目を通すのが日課で、特に発言欄が大きな楽しみだ。コーヒーを飲みながら脳括と発言にかける時間は大切なひとときになっている。まずは脳括をこなす。数独は毎日取り組み初級はまあまあ。だが、中級ともなると休憩を入れながら解くことを繰り返して完成させる。その後、読者の投稿文を読む。いろんな人の普段の営みがすてきな言葉でつづられている。読み進めると投稿者の人生を共有し疑似体験できるのがうれしい。そして「このフレーズが好きだな」「覚えておきたいな」と心の琴線に触れた文章をメモ。例えば「自由気ままさは寂しさと背中合・・・」。そんな言葉を見返すと私も高まり心も満たされる。
 表現力と精神を充実させてくれる発言欄。この先も愛読していこう。”(7月15日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・竹内さん(63)の投稿文です。この投稿文はボクが書いたのか、と間違うほどである。少しの違いはあるが、姿勢は同じである。ボクは毎朝5時に起きる。ポットのスイッチを入れて新聞を取りに行く。そしてコーヒを入れて新聞を読む。竹内さんはまず数独と言われる。ボクは数独はしない。妻のために残しておく。投稿欄はしかり読む。竹内さんは、気の利いたフレーズはメモをしておくと言われる。ここの違いは、ボクは後ほどまとめて再度新聞を読む、そして心の残った文を切り抜く。そしてこの「話・話」 になるのである。この生活がもう20年以上続いている。そして4030話である。やっているボクでもこうなるとは信じられない。続けると言うことはこういうことである。継続の効果の大きさである。
 竹内さんはこういう生活をいつから始められたのであろう。ともかくいいことは続けて欲しい。続ければ何かが生まれる。トンでもなことを生むかもしれない。継続というのはそう言うものである。
 

 “5年前、病気が見つかり入院治療することになりました。退院して10カ月ほど過ぎた頃、手術を受けることになり、私は不安で気持ちが沈んでいました。そんな時、10人の孫たちから1通ずつ手紙が届きました。「つらい時はみんなに甘えてね」と優しく励ましてくれる手紙、「手術は大丈夫だから頑張って」と力強く応援してくれる手紙、折り鶴の入った手紙・・・。小さな孫の手紙は、色鉛筆でぐるぐる丸がかいてありました。
 しばらくして、孫の一人から電話がありました。「封筒にひらがなが1文字書いてあるでしょう。その字を並べると、一つの言葉になるよ。みんなからのメッセージだよ」と。私は10枚の封筒を何度も並べ替えながら考えました。そして「みんながついてるよ!」という言葉が現れたのです。その文字がつながった瞬間、胸が熱くなり、涙があふれました。手術の時、この手紙は私にとって大切なお守りになりました。その後も入院のたびに、私を元気づけてくれる心のお守りです。
 家族や孫、友人たちに励まされながら、今も治療を続けています。支えてくれる皆への感謝の気持ちを忘れず、これからも前向きに頑張っていきたいと思います。”(7月7日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の主婦・村瀬さん(74)の投稿文です。これはまた何と機転のきいた手紙であろう。もらった当人は涙なくしてみられないだろう。孫から何かをもらう、言葉をかけてもらう、それだけでもう涙なのに、この味な手紙は一生の宝、お守りである。これからもいろいろな場面でお守りの役目を果たすであろう。文字を並べると「みんながついてるよ!」と言う文になる、誰の発案であったろうか、この感性も素晴らしい。やはり自慢の孫さんである。
 10人の孫というのも今の時代、至福なことである。せいぜい数人、ない人もある。ボクは幸いにも4人いる。孫の話は人の前ではなかなかできない。羨ましい人がいっぱいあるからである。この少子化時代、この先どうなっていくのであろう。政府はいろいろ対策をしているようだが、その効果は見えない。子ども持つことに、苦労ばかりみえて喜びが感じられないからであろう。いろいろ含めて日本の将来に明るい展望がみえないのは、ボクばかりであろうか。
 

 “わが家の台所のすぐ近くに田んぼがある。田んぼが見せる季節の移ろいの風景を台所の窓越しにめでるのが大きな楽しみになっている。例えば、初夏に田植えが行われると、一面には水が張られる。水面に木、家、雲などの風景を鏡のように映す。また田植えの後、日ごとに苗の緑が濃くなってくると、カモ、シギなど多くの水鳥が訪れる。そんな鳥たちが田んぼで餌をついばむ場面が一日中見られ、コーヒーを飲みながら眺めるのが至福の時。だが、梅雨明けには鳥も訪れなくなる。そして秋。一面黄金色に輝く田園風景に心奪われる。この絶景が最も好きで50年余り飽きずに見入ってきた。
 四季折々で違う顔を見せる田んぼの風景。それをこんなに近くで満喫できるのは何とぜいたくなことか。”(7月6日付け中日新聞)

 岐阜県輪之内町の浅野さん(男・75)の投稿文です。田の四季、日本なら多くの地域で見られる風景である。この投稿文の内容は改めて言われることでもない。でも浅野さんは、この風景を何よりぜいたく、かけがえのないもののように捉えられている。そんな風景に魅入られながら50年過ごされた。これは多くの人の前にありながら、こんな感想を持たれる人は少なかろう。これは浅野さんの人柄なのだから持たれることである。まさに豊かな人柄と言ってよかろう。同じものを見ても何も感じないない人もある。人間の豊かさとは、感動の多少ではなかろうか、この投稿文からそんなことを思う。
 ボクの家は、最近さえぎる物が多くなって田が直接見られなくなった。娘の家はまさに田の中にある。どんな感想を持っているのだろうか。一度聞いて見たい。
 

 “早朝、自宅の庭で育てているブラックベリーとラズベリーを摘む。元々は二十数年前、小鳥についぱみに来てもらおうと植えたもので、程よく色づいた柔らかな実を崩さないよう、1粒ずつ慎重に収穫していく。
 毎年、実が食べ頃になると小鳥たちが訪れるが、今年は実りが良く小鳥たちの分を残しても十分な量が採れた。そして午前と午後のコーヒータイムには皿に盛ったベリーを妻とつまむ。口に含むと甘酸っぱい果汁と種子の食感が広がり、自然の恵みを満喫できる。至福のひとときだ。小鳥を呼ぶ目的で植えた果樹が、今ではたわわに実をつけて、私たち夫婦にも食べる楽しみを運んでくれる。来年もまた小鳥と実りを分かち合えるよう、枝の剪定や株の間引きといった手入れを続けていきたい。”(7月3日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の後藤さん(男・78)の投稿文です。ブラックベリーやラズベリーを小鳥についばみに来てもらうために植えたと言われる後藤さん。こんなことをする人もあるのかと、感心する。小鳥がついばんでいる様子を見るのも悪くない。そんな触れ合いも楽しみである。ゆとりである。そして後藤さんは、今年はたくさん採れたので自分達も食を楽しんだと言われる。まさに至福の時間であったろう。
 実はボクはつい先日までブラックベリーというものを知らなかった。娘の家で作っていたのだ。そしてたくさんくれた。そのまま食べたし、妻はジャムした。そして早速写真を撮って来て、川柳連れ連れ草の7月号の花にした。この偶然がなかったら、この「話・話」 でベリーを取り上げることはなかったかもしれない。
 

 “障害や病気のある人が付けるヘルプマークについて取材した時のこと。周囲の批判的な目を気にして着用をためらう当事者がいると聞き、専門家に話を聞くとこう返ってきた。「実際には助けてくれる人は想像以上に多い。社会はそんなに捨てたもんじゃない」
 本当にそうかしら。その時は何となく素直に受け取れなかった。記者自身、妊娠がわかった後もしぱらくマタニティマークを付けなかった。マークを配慮の強要のように捉え「妊婦様」とやゆする声を見かけるからだ。着用は周囲を不快にさせるのか・・・と悩んだ。だがいつもと同じ体調ではない。不安もあり、専門家の話を聞いてからマークを付けることに。
 「あら、体調大丈夫?」 「全然気付かなかった、おめでとう」。取材先で気付いた人たちから、数知れない温かな声がけをいただいた。電車で席を譲ってもらえた時は、ありがたみで胸がいっぱいに。「そんなに捨てたもんじゃない」。その言葉の正しさを今、確かに感じている。”(7月2日付け中日新聞)

 「モーニング」という記事欄からです。ヘルプマ‐クについて、ボクは好意的な人の方が多いと思う。と言うよりほとんどは好意的であると思う。例えば電車の中で、我先に座ろうと思う人はある。ドアーが開くと真っ先に駆け込む人もある。早く並んで自分に優先権があると思っているのである。でもヘルプマークを見れば譲る人は多いだろう。自分より弱者だと言うことがすぐ分かる。ただ気づかない人も多いと思う。ヘルプマークやマタニティマークは堂々と付けてもらった方がいい。気づいた時には遅かりし、と言うこともある。
 ボクは80歳を越えているから高齢者の類いであろう。優先席に座る対象である。空いていれば座るし、譲ってもらえば座る。そうでなければ立っている。ボクは絵にあるような杖はついていない。