“先日、町内会の資源ごみ回収に参加した。約2年半ごとに世話役の当番が回ってくる。平日だが私の休みと重なり、久々に妻に代わって参加して感じたことがある。資源ごみの量が激減したことだ。回収した資源ごみの代金は町内会の運営に生かされると聞いている。だが古新聞をはじめ、段ボール、雑誌、古着、ガラス瓶など、とにかく絶対量が少ないのだ。私は各家庭から出る資源ごみ自体が減ったとは考えない。近年、飲み終えた牛乳のパックは、買い物の際にスーパーマーケットの出入り口の回収場所に出せるし、飲料の空きペットボトルも回収してくれる。
 時代の流れといえるかもしれないが、町内会の人たちとふれあえる場所が閑散とするのは寂しくもある。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の病院職員・山下さん(男・59)の投稿文です。山下さんは町内会などで行う資源ごみ回収の量が減たことを嘆かれている。資源ごみについて、自治体によって扱いはかなり違っているだろう。山下さんはボクと同じ一宮市である。得られた資金は回収した団体に付与される。この資金が運営に大きく寄与している団体もあろう。減ればそれだけ資金不足になる。そして皆で協力し合ってする資源ごみ回収作業が減ることも嘆かれている。交流の減少である。同じ市内だけに山下さんの気持ちはよく分かるし、同じである。
 資源ごみ回収は町内会、子ども会、女性部などが負っている。そしてボクの村では、町内会の月に、老人会が替わって行っている。そして、老人会の大きな資金になっている。9月2月、年2回老人会役員が全員参加して行う。ボクの記憶では昔の3分の1である。減った大きな原因は、民間事業者が村内に数カ所、資源ごみ回収の場所を常時設置していることである。いつでもここに持っていって置いてくればいい。家庭に一時保管しておかなくていいから都合がいい。利用するわけである。でもこれを資金としている団体は困る。ボクは老人会の月は、数ヶ月前から、この月に出してください、とお願いの回覧文を回すことにしている。そして、この効果は大である。
 

 “私の相棒は、よっちゃんとお亀婆さん。2人は、私が50歳の時に我が家へやってきた腹話術人形で、35年以上の付き合いになる。よっちゃんは6歳のやんちゃ坊主で、私が「あいうえお」と言えば『あいしてる』と、「かきくけこ」には『かきくいたい』と返して、子どもたちを楽しませる。保育園での人気者。お亀さんは90歳。私より年上だが元気印。「今日はお亀さんの遺産の話」と言うと『先祖伝来の車』と答える。「すごいね、御所車?それともロールスロイス?」。観客からは「大八車」「乳母車」などとやじが飛ぶ。『ちやうちやう。先祖伝来火の車!』。さらに「他の遺産は?」『おおたいさん。よく効くわなも・・・:』。
 地域の芸能祭には毎年参加、年金者組合の紹介で愛知県豊橋市、友人の依頼で静岡県三島市の老人ホームに出かけたこともある。お亀さんはデイサービスなどでは男性にモテモテだ。
 人生100年時代。老人には笑いが一番。まだまだ10年以上ある私は、落語の番組なども逃さず視る。『どなたさんも、病気せず骨折に気をつけて、元気で死ぬまで生きとってちょうよ!』と、お亀さんは結ぶ。”(5月17日付け中日新聞))

 愛知県大府市の北島さん(女・87)の投稿文です。腹話術、お巡りさんの交通安全教室などで数回見た記憶があるが、それ以外ではあまり覚えがない。1人で2人、また数人の声を随時使い分けるのであるから、かなりの技術がいるであろう。どうやっているのだろうと、不思議に思っていた。87歳の福田さんは、その腹話術を35年以上やってみえると言われる。そしてここに書かれているとおり、かなりのユーモアを駆使される。「老人には笑いが一番」とも言われる。そして100歳までには10年以上あると言われる。やったおられること、言われること、まさに感嘆である。
 実はこの腹話術、今年1月のサロン羽根邨でやってもらったのである。知人から、あの方は腹話術をされている、と教えてもらった。ボクと同じように、昨年の老人会の役員をされていた。早速に頼み込んだ。そして、今年の1月に出演してもらった。人を引きつけるにもう慣れたものである。皆さんで楽しんだ。そして、ボクはまた次を目論んでいる。
 

 “今春53年間の勤め人生活を終え気分一新で第二の人生を送っている。サラリーマンとして苦労の連続だった自分への褒美のつもりで兵庫県姫路市の姫路城と香川県小豆島町の小豆島を巡る1泊2日の旅をした。姫路城は姫路市以外からの人の入城料が来年3月に2.5倍に値上がりする。その前にという思いもあったが、どうせならと有料ガイドも頼んだ。丁寧な説明で城の全容や堅固な守りが理解できた。小豆島の「二十四の瞳映画村」で木造の小学校校舎や昭和をほうふっとさせる建物が、自分の子ども時代を思い起こさせた。瀬戸内海の青さやオリーブの木々の緑も疲れた私の心を癒やした。
 旅を終えた今、自分も地元の観光ボランティアに精を出してみようかと考えている。”(5月17日付け中日新聞))

 愛知県あま市の横井さん(男・71)の投稿文です。勤めを無事終え、そのご褒美に旅行をする。誰もが考えることです。旅行はご褒美の代表的なことでしょう。姫路城で有料ガイドを頼まれた。説明をしてもらうかしないかは、見方に大きな違いがあります。今はQRコードやそこに音声ガイドのボタンがあったります。でも人に頼む有料ガイドはまた違います。やり取りできます、質問もできます。これがやはり最高でしょう。
 横井さんはこの体験から観光ボランティアに精を出してみようと言われる。もうやっておられるのでしょうか。ボクは、こうしたボランティアは高齢者に最適と思っている。自分の勉強になり、また人の役に立つ。ボクもやってみたかった。でもボクは一宮友歩会をやていることから利用させてもらう立場になってしまった。でもこちらの立場も重要である。いろいろ聞いてみると、ガイドさんの出番は意外にないようである。ですから頼むと全く驚くほどの熱心さである。持ちつ持たれつの気がする。
 

 “萩阜県可児市の世界最大級のバラ園「ぎふワールド・ローズガーデン」で、春バラが見頃を迎えている。世界各地の品種が集まる園内は、さながら「バラの万博」。ピークは20日ごろで、その後も遅咲きの品種が楽しめる。春は1年で最も多くの品種が観賞できる季節。バンテリンドームナゴヤ17個分の広さを誇る園内には6千品種、2万株が植えられている。
 16日は多くの人が深紅やピンクの花が咲く「ウェルカムガーデン」やバラのトンネル、香りがテーマの庭園を行き交い、色鮮やかな花に目を細めていた。同県関市の主婦小森みゆきさん(67)は「バラの香りに包まれ、楽園に来たみたい。心が癒やされます」と笑顔だった。”(5月17日付け中日新聞))

 記事からです。この記事を見た後、20日にこのローズガーデンにツアーで行きました。この記事でより楽しみになりました。そして世界最大級という記事通りでした。広い区域に満開のバラ、絶好の訪問になりました。花のツアーは、大分早い時期に申し込みますので、当日の開花状況は運頼りです。今年は花の鑑賞にたくさんのツアーに申し込みをしました。大当たりもあり外れもあり、まさに人生みたいでした。でも外れは外れなりに楽しみました。出かけられる幸せを覚えました。
 バラはいいです。ボクの家にも2本のつるバラがあり、今年も道行く人に楽しんで貰えたでしょう。
 

 

 “80歳で20本の歯を保つ「8020」を達成し、毎月1度診てもらう歯科医院の推薦で県の歯科医師会や市から賞状と記念品を頂きました。コロナ禍の前は、舞台のある大きなホールで式典がにぎやかに行われていたそうですが、私は歯科医院の待合室で、院長に賞状を読み上げてもらいました。若い歯科助手さんたちに囲まれてちょっと照れました。
 小さいころから歯磨きは習慣で、小学校で先生に指導してもらった記憶もあります。昔は目覚めた時に、今は毎食後に磨くよう心がけています。入れ歯や差し歯になったという同年代の知り合いも多く、硬い食べ物は控え、味覚が落ちたという人もいます。歯磨きで健康維持、これからも頑張ります。”(5月13日付け中日新聞)

 愛知県蒲郡市の理容師・伊藤さん(男・80)の投稿文です。80祭で20本の自分の歯、こんな人を80歳になる年に表彰をしてくれるという。ボクも先日、行きつけの歯科医に定期検診を受けに行った時、この話が出て、申請してもらうことになった。今年4月から来年3月までに80歳になる人が対象という。申請書類には、歯の本数26本とある。ところが健全な歯11本、治療済みの歯15本、むし歯0本とあった。健全な歯11本しかないのか、少しがっかりである。でも食べるのに何の支障もない、よく持ちこたえてきたと思う。
 ボクは伊藤さんのように歯の健康に気を付けてきたわけではない。歯磨きなど何歳から始めたのであろう、小中学生の頃とは思えない。多分高校生になってからではなかろうか。母は早くから悪かった。早くから総入れ歯であった。父もあまり良くなかったと思う。歯は血を引くと聞いたことがある。それにしてはボクは上出来であろう。
 ボクは平成16年の時に2本インプラント処理をしている。その時以来、歯の定期検診を受けるようになった。ボクにはこれが良かったと思っている。そのころは歯周病の言われる部分もあったが、今はそれはない。そしてむし歯も早め早めの処置となる。それで抜くこともなくなった。それで26本が保てたと思う。歯の定期検診は大切と思う。
 

 “4月、かかりつけ医の整形外科で骨密度を測定したら、昨年よりアップしていた。20年ほど前、リウマチと診断されたが治療の結果、寛解状態が続き、週2回の卓球を楽しんでいた。ところが、今から数年ほど前に再び体調を崩して、大好きな卓球をやめる羽目になった。代わる運動を見つけられないままの日が続いた。脚力、筋力は瞬く間に落ち、腰痛も加わり、散歩さえ億劫になった。
 そんな中、測定した骨密度は同年代より低く、ショックを受けた。医師から歩くことを勧められ、かかと落としやアザラシ体操などの筋力トレーニングを教わり励んだ。翌年、骨密度は同年代との比較で上回り、医師からの「これは自慢していいことです」のひと言に元気づけられた。
 歩数を少し伸ばして1日4千~5千歩を歩き、室内で自分に合った筋トレを続けた。そして、今年の測定結果を医師から聞き、思わずガッツポーズをとった。骨密度は前年をさらに上回り、数値をほめられ、悦に入っている。85歳に近いが、いくつになっても骨密度は上がるものと実感した。骨粗しょう症と転倒予防を念頭に置きつつ、結果を励みに日々、コツコツと努力を重ね、さらなる骨密度アップにつなげたいと思っている。”(5月13日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の主婦・広林さん(84)の投稿文です。骨密度、ボクは気になっていたが、計る機会がなかなかなかった。昨年5月新聞のチラシで、近くの店で骨密度を計ってくれることを知った。そしてその日に出かけた。その後都合がつけば計ってもらいに出かけた。今年の6月までに8回計った。数値は歳相応である。そして微々たるものながら少しずつ上がっている。
 この店は「ママン’sカフェ」という中日新聞販売店の運営する店であった。その後、いろいろな機会で訪れている。一宮友歩会の案内も置かせてもらうことになった。老人会の手芸クラブの作品も置かせてもらっている。更にこの店で数独も始めた。そして夏休みラジオ体操にも協賛してもらった。そして今年10月のサロン羽根邨で骨密度を計ってもらうことにした。これで皆さん、更に健康に気を使ってもらうことになれば万々歳である。骨密度を計りに行ったことからこれほどの発展になろうとは、何とも愉快である。
 

 “私は自分の名前が好きじゃなかった。中学のクラスで、出席番号の1~5番に「美」の付く名前が並んだが、それに比べ自分の名前が古くさく地味に思えた。そのため高校時代、「あき」の漢字も置き換えた「彰美」というペンネームまで作り、友人との手紙のやりとりに使った。
 勤務先の保育園では、大人も子どもも下の名前で呼ぶ。私の体調面の理由と家族の介護のため休職中なのだが、たまに園に行くと「あっ、あきえだ!」「あーきーえー!!」と小さな天使たちが私の名を呼ぶ。何度も何度も。だから今はこの名前が大好きだ。亡き両親からもらった最初の贈り物。ありがたく頂戴し大切にしていきたい。昔はやったゴダイゴの歌「ビューティフル・ネーム」のようだ。美しい名前をありがとう。”(5月13日付け中日新聞)

 愛知県江南市の保育士・青山さん(女・57)の投稿文です。名前、一生毎日のようについて回る。非常に大切なものである。でも自分で付けられない。両親や周りの人が付ける。それが好きなるか、嫌いになるか、多くの人はそれ程こだわりなく過ごしていると思うが、時にはこの青山さんのような話もある。青山さんは、当初嫌いであったが今では大好きである。良かったと思う。
 しかし昨今の名前にボクは戸惑っている。テレビなどを見ていて若い人の名前はほとんどが読めないのである。名前は人が呼んで貰えて価値があるのである。それが読めない、その人は一生にどれほど苦労するであろうか、気になる。あまりに独りよがりになっている気がする。最近、戸籍の登録にふりがなを打つことになった。関係者もそれ程に戸惑っているのである。
 

 “私は、チャレンジすることを大切にして生きている。チャレンジ精神が芽生えたきっかけは、一昨年4月~昨年2月に愛知県が主催する高齢者の学びの場「あいちシルバーカレツジ」を受講したことだった。県内5ヵ所の会場のうち地元の岡崎市で講義を受けた。歴史や伝統文化、川柳、気象学などについて、講師の各分野の大学教授らから幅広く学んだ。受講の延べ日数は30日間で、昨年3月に卒業式があり、講座で知り合った級友だちと巣立ちを喜び合った。級友とは今もよくお茶を飲みに行き、楽しんでいる。80歳を過ぎ、友達ができるとは思ってもみなかった。いくつになっても挑戦する気持ちを忘れたくない。”(5月10日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の石田さん(女・81)の投稿文です。「あいちシルバーカレツジ」に参加してチャレンジ精神が芽生えたと言われる石田さん、この歳にしてチャレンジ精神の芽生えである、良かったと思う。そして今、その級友達といろいろ挑戦し楽しんでおられる。80歳を過ぎてと言われるが、本人はそう思われるであろうが、実は歳は関係ないのである。それなりの健康に恵まれていれば、いくつになっても気持ち次第である。
 実はボクは、石田さんの前年、2022年に一宮教室の「あいちシルバーカレツジ」の受講生であった。このことはもう何度もこの「話・話」 で書いたと思うが、新しいブログになったこともあって再度取り上げた。このシルバカレッジでボクは委員長に推された。いろいろやったが、任期途中で辞任した。結果は、クラスには良かったと思うが、ボク自身には失敗であった。悔いとなっている。あまり思い出したくないことになっている。早計、チャレンジ精神が足りなかったと思う。
 

 

 “この春入学予定だった孫娘が入学式前日、家族ともどもインフルエンザと診断された。その日を楽しみに準備したランドセルや洋服を見て、孫は泣き続け、熱もなかなか下がらなかったという。不運とはこういうことかと、私は地元産の苺を送り、励ますしかなかった。
 そんな孫がやっと登校の日を迎えると、担任の先生が「折を見て入学式をやりましょう」と提案してくださった。先日それが実現したと、娘から喜びの動画が送られてきた。当日、家族で学校に向かうと、入り口に「入学式」の立て看板が出ていた。中に入ると「式次第」により、入場から退場まで保護者も共に祝っていただいたそうだ。
 校長先生は演台をはさんで孫に語りかけてくださった。担任発表では、すでに孫が大好きになっていた先生が、紙飛行機を飛ばして緊張をほぐしてくださった。お忙しい中を参列してくれた先生方は、動画を撮ってくださったり、高らかに校歌斉唱してくださったり。孫1人のために貴いひとときを創り上げ、盛りていた。
 なんとありがたく嬉しい入学式でしょう。私は動画を何回も見て感動を深め、孫の学校生活の話を聞くことを楽しみに待っているところです。”(5月7日付け中日新聞)

 長野県豊丘村の岡庭さん(女・71)の投稿文です。前話は、70年も前の大らかな学校の話であった。今回は今の話である。入学式に病気で参加できなかった児童に対して、後日その児童一人のために入学式を行う。麗しい話である。児童本人は元より周りの人にも思い出になったであろう。
 この実施に疑問の声はなかったであろうか。不公平だという声はなかったであろうか。ボクは全員が諸手を挙げて賛成するよりも、疑問の声があった方がいいと思う。そして、それを乗り越え実施されたら、よりいいと思う。今の時代もこうした大らかさがあってホッとした。今の時代特例を認めない時代でもある。公平平等を言う。自己責任を言う。でも人にはいろいろな事情がある。その事情に寄り添うことが大切であると思う。
 

 “今から72年前の小学4年の時、学級担任の先生が午後から出張となり、体育の授業が自習となった。しばらくすると男子たちが、校庭で遊んでいた女子に「僕たちは利容の家までマラソンをしてきた。女子も行ってこい」と言う。私の家は学校から4kmの村外れにあったので、持久走にはちょうど良い距離だ。私たち女子20人も一斉に走り出した。休まず走り続けてわが家に着くと、母はびっくりしながらも、20人分のサツマイモをふかし、振る舞った。そこへ出張から戻った担任が学校から私の学習用具一式を持ってきてくれて「利容は学校へ戻らんでもいいよ」と言い残し、級友たちと帰って行った。今では考えられないような授業だったが、懐かしい。みんな覚えているかなあ・・・・。”(5月6日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(82)の投稿文です。自習事業で、自分の家まで皆でマラソンをしてきた、本当に今では考えられないような授業であろう。先生もそれを認め、もう学校に戻らなくてもいいという、何という大らかさであろう。母親も人数分のサツマイモをふかして渡したという。皆が認める行動であった。そしていい思い出になった。
 さて今ならどうであろう。どこかから苦情が出て、校長か教育委員会にたれ込むであろう。自習事業と言っても、誰も付き添わないで校外へ出るなどはもっての外である。事故でもあったら誰が責任を取るのだ、そういう言葉がすぐに出そうである。サツマイモをふかして渡すなどと言う行為も許されるだろうか。どこから見ても今では問題だらけである。ボクの娘婿は教頭時代、苦情処理係であった、と言っていた。そして今年校長になった。ますます責任が大きくなり、今はどんな気持ちで臨んでいるだろう、聞いてみたいものである。