“4月から入学・就職などで環境が新しくなる人は多い。かくいう私もその一人。昨年末に40年以上動めた会社を退職し、この春からパートとして新たな出発をした。再就職が決まるまでの約3ヵ月、ハローワークや産業雇用安定センターで助言を受けながら再就職活動。履歴書を書くだけで四苦八苦した。果たして自分の「売り」は何だろう、今までの経験で何を今後に生かせるのだろうと自問自答の日々。自分と向き合う良い機会となった。
幸い内定をいただき、この年でも未経験の分野に挑戦できるワクワク感と、新しいことを覚えられるかという不安な気持ちが入り交じる。でも、これまでの経験がきっと私を支えてくれるはず。新しく一歩を踏み出す皆さん、共に頑張りましょう!” (4月15日付け中日新聞)
愛知県尾張旭市のパ-ト・近藤さん(女・65)の投稿文です。65歳で再就職、今の時代はこれは特別のことではないでしょう。この文で気になったのは「売り」という言葉です。売りになることを持つことは、就職に限らず何をするにも大きいでしょう。そして自分は、と思った。具体的に言えるものは何もないことに気づいた。特別の技能も資格も持っていない。もし人柄とか人間性とかがあっても、それは見方によって様々で「売り」にはならない。経験も売りになら ない。それにしてはよくここまでやって来られたと思う。この歳でパソコンがある程度できることは売りではあるが、それは60歳過ぎて余暇のことである。あまりそう言うことを思わなくてもよかった、時代に生きたものだと思う。
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“先日、奈良県にいる旧友を訪ねた。その際、何十年ぶりに列車を利用した身としては冒険同然で、切符の買い方や車内のあまりの様変わりに昭和は遠くなりにけりの感だ。当日、若者たちは改札口でスマ-トフォンや力ードをかざし、足早にホームヘ。一方、私は券売機で、前の人の購買法を背中越しにのぞき、タッチパネルの操作を把握。購入を選び、運賃や乗車人数を選択するとやっと切符が出た。列車に乗ると、ほとんどの乗客がスマホを見詰めている。横目で見ようとすれば、周囲がいぶかしがるのは明らかだ。昔は読書をしたり、窓の景色をぼんやりと眺めたり。今は全く違う風景だ。
便利なデジタル化の時流はどんどん進む。だが、たまにはアナログ的なことに目を向けるのも一興では。”(4月15日付け中日新聞)
岐阜県坂祝町の兼松さん(男・75)の投稿文です。何十年ぶりの列車利用では驚くことばかりであろう。まさに浦島太郎である。そしてここに書かれているとおりである。デジタルで便利になった分、余裕を持てばいいが、それが逆である。ますます慌ただしくしている。ボクは携帯電話が出てきた頃からこの分が気になっている、不満であった。何のための効率化であろう。
兼松さんは、アナログ的なことに目を向けようと言われる。あまりの変わりように驚かれ、このような気持ちを持たれるのは当然であろう。ボクは電車の中でスマホを見ることはほとんどない。ボンヤリ風景や人の動きを見ている。あまりデジタル化に影響を受けていない我々の年代はこれができるのである。両方を利用できるボクらはありがたい、と思っている。
“マイホームのローン返済に少しでもと思って始めたアルバイト。中日新聞の朝刊配達が今年でちょうど50年になった。昼の職場がすぐ近くで通勤時間がなかったことも幸いであった。オートバイに乗ることが好きで、景色が変わっていくことが快感につながる。仕事でバイクに乗れるというのはありがたいことで、昼の仕事を辞めてからは、夕刊配達もやることにした。
雨の日も雪の日も台風のさなかも、バイクに乗って一日も欠かさず続けた。大雪の日、バイクが前に進まず、あきらめて歩いて何時間もかかって配達したこともあった。台風の一番強い時間に重なり、バイクが倒れそうになり、顔に当たる雨粒がこれほど痛いものとは。初めての体験だった。おまけに雷がピカピカゴロゴロと、生きた心地がしなかった思い出がある。朝起きて体が重いとか、行くのがいやだと思ったことは1度もなく、ポスティングの仕事は性に合っていると思っている。ここ数年、宅配のメール便も引き受けて不定期ではあるが配達している。
健康で仕事ができるのはありがたいことで、体の続く限り、この仕事は続けるつもりだ。待っていてくれる読者に確実にお届けすることを使命とし、今日も元気にレッツゴー!”(4月9日付け中日新聞)
名古屋市のアルバイト・森さん(男・82)の投稿文です。新聞配達員さんの苦労はそれ程考えなくても分かる。今は月1回の休館日もあろうが、年がら年中毎日である。人がまだ寝ている暗いうちに、そしてここに書かれているように全く大変な天気もあろう。森さんはそれを50年である。それを朝起きて体が重いとか、行くのがいやだと思ったことは1度もないと言われる。家が近かったとか、バイクが好きだったとか言われるが、そんなことは50年の苦労に比べれば大きな理由にはならないだろう。病気もほとんどされなかったのだろう。これだけでも凄い。こうした人を見るとボクの人生は実に甘かった、と思える。
ボクは毎朝5時に起きるとすぐ新聞を取りに行く。多分4時半頃に配られると思うので、どんな人か会ったことはない。ボクは今新聞杯販売所の経営する喫茶店によく行く。いつかそんな話も聞くことがあるかも知れない。今個別販売は随分少なくなっているようである。ボクにはいつまでも続いてほしい販売方法である。
“仲良しだった夫をがんで亡くし、落ち込んで3年目の私に「ばあちゃん、新潟ヘー緒に旅行しよう」と孫娘からの誘い。夫との旅行で国内唯一、新潟だけが行けてなく心残りだったのを知って「最後のパズル、はめようよ」との心遣いでした。最初は「ムリムリ」と尻込みしていた私でしたが「おいしい魚を食べて、おいしいお酒も一緒に飲もう」と後押ししてくれました。あれよあれよという間に飛行機、船、ホテル、レンタカーの予約をしてくれました。
弥彦神社で御朱印帳の最後のページに御朱印をもらい、希望する所は全部連れて行ってもらった最後の夜。電話予約で初めて入った店でのことです。孫娘が店主と「おばあちやんの誕生日のお祝いで2人で旅行に来た」と何げなく話をしながら、料理を楽しんでいました。
突然、店の明かりが消え、ハッピーバースデーの音楽が流れ、苺ケーキにろうそくと花火を灯して、私たちの席に持って来てくれたのです。店中の人から「おめでとう」の言葉と拍手をもらい、一気にテンションが上がりました。うれしくて店の心遣いに感謝、連れてきてくれた孫娘にも感謝でした。パズルがピタッとはまった気がして、もう少し残りの人生をがんばってみようと思える旅になりました。”(4月7日付け中日新聞)
津市の主婦・福田さん(78)の投稿文です。なんと素晴らしい話であろうか、本当に嬉しくなる話である。ご主人を亡くされ落ち込んでいる福田さんを見て、孫娘さんが旅行に誘ってくれた。ご主人と唯一行ったことがなかった新潟への旅であった。すべて準備してもらい、2人で旅した最後の夜、ある料理店で「おぱあちやんの誕生日のお祝いで2人で旅行に来た」と何げなく孫娘さんが店主に話された。そして突然店の明かりが消え、ハッピーバースデーの音楽が流れたというのである。そしてその後歓迎の宴、こんな嬉しい心遣いがあるであろうか。孫娘さんの行動に店の人も感激されのであろうか。そして店の人も負けじと歓迎された。こんな感激一生に一度でいいから味わいたいものである。
“昨年末、スマートウオッチを購入した。歩数計を買うのを夫に伝えると薦められたもので、あまり乗り気ではなかったが、いざ手に入れて使い始めると便利で意外に面白い。例えば、睡眠の質をチェックする機能。おかげで毎日の睡眠の煩向からどんな時に体調を崩しやすいのか把握でき、生活習慣改善に役立つ。極め付きは、連動させているスマ-トフォンを捜す機能だ。うっかりスマホを置いた場所を忘れることがある。そんな時、スマートウオッチを活用すれば「I’m here」とスマホが音声で知らせてくれる。
現代の科学技術の進歩に改めてうなった。高齢者も恐れず、電子機器に限らず新しいものに挑む勇気が必要だと痛感した。ただ、機械音痴の私には若者の手助けも必要だが。”(4月3日付け中日新聞)
愛知県蒲郡市の主婦・明石さん(72)の投稿文です。スマートウォッチの利用の話である。歩数計が欲しかったが、ご主人からそれならとスマートウォッチを薦められた。多分はご主人も使っておられて、その効用を知っておられたのであろう。そして明石さんはその薦めに従って購入され、その便利さにびっくりされている。
ボクは使い始めてもう6年になる。もう何個目であろうか。3,000円前後の程度のものしか買っていないので、すぐに壊れるのである。そして何度も返品交換もしている。最初スマートウォッチの商品紹介の文が信じられなかったのである。こんなに効用があるのか、3,000円程度なら騙されても悔いはないだろう、と思って購入したのである。ところがである、実に面白い。血圧などの健康指標など信じがたいものもあるが、概ね信じていい気がしている。機種にも寄ろうが、歩数計はかなり信頼できる。明石さんがいろいろ書かれている。宣伝するつもりはないが、ボクはもうスマートウォッチなくては過ごせない。
“日課である散歩の途中に立ち寄るベーカリー。客の要望を採り入れる独自の手法と努力に感心する。先日、その店のシェフから声をかけられ「どんなパンが好みですか」と聞かれた。私は、高齢者が食べやすいようやわらかく、好物のアーモンドが入っているパンーと答えた。
数日後、そのパンの試作品が出来上がった。商品名は、私の名にちなんで「よっちゃん」。10個買い、帰りがてら知り合いに「こんなパンを作ってくれた。食べてみて」と配った。後日、知り合いたちの感想を聞いて文章にまとめ、シェフに渡した。「これを参考に、第2段階に取り組みます」との返答をもらった。地域密着の店が、こうした工夫で客の心をつかみ、それぞれ繁盛していってくれれぱと願う。”(4月1日付け中日新聞)
パソコンを10日ばかりメンテナンスに出し、この「話・話」 がUPできませんでした。今日からまた掲載します。ご愛読ください。
愛知県岡崎市の広中さん(男・81)の投稿文です。お客の要望を採り入れたパンを作る、こんな店もあるのか、と感心した。同じことをしていればいい時代ではない。いろいろな知恵、工夫が必要である。お客さんの希望を聞いて作ってみる。お客さんは自分だけのパン、と嬉しくなるでしょう。そして広中さんのようにたくさん買って配る人もあるでしょう。自分だけの考えでは範囲は狭い。いろいろの人の知恵を借りるのは理にかなっている。これは何事にも言える。
この例えには入らないかもしれないが、ボクの気まま書がある店のインスタグラムにこの4月から載っている。「店のお客さんの作品」として紹介されている。店の催し物の紹介では頻度が限られている。その中に毎週ボクの作品が紹介されいる。ボクも手間が省けてありがたいが、店もうまく利用したな、そんな感じである。頭は使いようである。
“46歳の時、悪性リンパ腫になりました。首に小指の頭ほどのしこりで痛くも蝉くもありません。でも違和感があります。仕事終わりに病院を受診すると、医師は「大丈夫と思うけど、貴女が心配でしょうから検査しましょうね」。結果は、残念だけど当たっちゃいました。癌。すぐ入院し抗癌剤治療を開始。程なくして副作用の吐き気、脱毛、白血球減少で体力低下に。
当時、仕事しながら通信制高校生の私は、まだ死ねない、高校は卒業する、仕事にもまた戻る。ネガティブにはなっていられないと強い気持ちでした。幸い退院することができ、かつらを被って学校も続け、職場復帰も果たすことができました。その2年後に再発し再入院、抗癌剤治療。新薬ができて副作用は少なかったが、その翌年、翌々年と、3回目、4回目の再発。さすがに心が折れ、家族や職場の誰にも言うことができず、黙って仕事明けに病院へ行き、抗癌剤治療を受けました。長生きはできない、でもせめて60歳くらいまでは生きたいと、切実な願いでした。
その後、定期的受診と検査を続け、そんな私はもう72歳。今は元気で普通に生活。食事もおいしく好きなこともできます。私の命は神様からのおまけ。最高のおまけ。これからも頑張って生きていこう。”(3月30日付け中日新聞)
愛知県岡崎市の家業手伝い・岩井さん(女・72)の投稿文です。46歳で悪性リンパ腫発病、抗がん剤治療を受けられた。その後も再発治療、60歳くらいまでは生きたいと願われたが、それが今や72歳である。人の命というのは本当に分からないものである。
実はボクの妻も8年前にリンパ腫と診断された。そして放射線治療や抗がん剤治療を受けてきた。今は比較的安定しているようで、3ヶ月に1度検診に行っている。それだけにリンパ腫の話は興味を引く。岩井さんの話は凄いと思う。通信制高校生に仕事、この病の中でよく頑張ってこられた。それは何であったろう。神様からのおまけだけだろうか。いろいろな幸運、宿命があったと思うが、自分でできるのは気持ちである。前向きな気持ちであろう。それが良い方に作用した。神様のおまけも呼んだ。ボクはそう思う。今妻は平穏に過ごしている。この気持ちである。ボクはそのために精一杯務めねばならない。こうした話は勇気を与えてくれる。
“今年も桜の花見のシーズンが到来した。毎年4月上旬、かつての職場の同僚だった男友達2人と愛知県岡崎市内で花見をするのが恒例の行事だった。だが、今年はそのうち1人の姿がない。昨年5月29日に79歳で旅立ったからで、命のはかなさをつくづく痛感した。昨年の花見は4月3日に行い、桜を観賞した後に食事をしながら近況報告やとりとめのない話などで楽しい時間を過ごした。その際、1人が病気が進行するも薬が効いている旨を話した。気がかりに思っていると、訃報が届く。
「また来年も会おう」。最後に交わした言葉だった。それだけに寂しさが一層募る。それでも、今年も桜は咲き誇るだろう。だから、この友にある言葉をささぐ。「天国から一緒に見てくだい。いつまでも忘れません」”(3月30日付け中日新聞)
愛知県の大府市の浜島さん(男・83)の投稿文です。毎年桜の季節に昔の同僚と会う。こういう人も多かろう。高齢になると出かける機会は絶対に必要である。何の理由でもいい、機会は多く作りたいものである。そして出かけられるうちが華である。否応なく出けられなくなる時がくる。「また来年も会おう」、そう言いながら一人ずつ欠けていく。浜島さんも今年は一人欠けた。
ボクは小学校の同窓会を毎年4月第一火曜日に開くことにした。もう何十年と毎年同窓会は開いてきた。時期はバラバラであった。しかし昨年からこの日に決めた。きっかけは、小学校に同窓生で桜を寄贈したことである。毎年同窓会を開きその後学校の桜を見に行く、我ながら良い企画である。今年は12名の参加であった。都合で1人が参加しなかったが、この13人、いつまで参加できるだろう。
“亡き父が始めた家業のそろばん教室を引き継いで今年で24年で、開業85年でもある。「継がなくてもいい」というのが父の口癖だったが、後を継いで多くの子どもたちと出会え、生活にも張り合いができた。
社交的な父は知り合いのつてで、書道、ピアノ、絵画などの先生を迎え、かつては習い事の総合教室のようだった。有無を言わさず全て習うことになり、嫌でたまらなかった。だが、大人になり、そのありがたみが身に染みたことが何度もあった。
紆余曲折あったが、一度もそろばん教室を閉じることなくやってこられた。あっという間だった。先日の私の誕生日での弟とのLINE(ライン)でも早い時の流れを実感。何はともあれ、両親や周囲の人たちへの感謝を胸に教室を続けていこう。”(3月28日付け中日新聞)
名古屋市の珠算塾講師・篠田さん(女・71)の投稿文です。そろばん教室の後を継いで24年といわれる。開業85年では戦前からである。大変な時代を過ごしながら続けてこられた。山あり谷ありであったろう。でも継がれてよかった。お父さんも喜んでおられるだろう。子供らと接する時間を持つのはいいものである。ボクは少しだけそろばん教室に通った記憶である。今思えばもっと長く行けばよかった、そんな気持ちである。特に暗算が得意になっていただろう。暗算は今以て全く苦手である。
今は習いごと真っ盛りの時代ではなかろうか。それだけ塾の類いが多いと言うことである。と言ってもボクの近くにあったそろばん塾はじめいろいろな塾は見当たらなくなった。ボクの近くからでは親に車で送ってもらわないと多分行けない。昔に比べ何事も親がかりとなっている気がする。これでは子ども何人も産めない。先日80代後半の5人ばかりのカラオケ仲間と話していたら、皆兄弟は7、8人であった。
“最近、地元のスポーツクラブによるノルディックウオーキングの講習を受けた。全身運動になり、健康管理にうってつけなのを肌で感じた。傘寿を超えてけがが多くなり、普段からの体力維持の運動がいかに大切か思い知ったのがきっかけ。既に6千歩ほどの散歩を日課にしているが、物は試しと受講することに。散歩と大差ないと思っていたものの、意外と両手にポールを持って歩くのが大きな負荷になった。散歩に比べ、両手を確実に動かし上腕部や握った手が鍛えられているのが自覚できた。また上腕部の動きに伴い、大股に歩くようにもなり脚力のトレーニングになっているのも実感できた。
ポールは文字通り、転ばぬ先のつえにもなり、まさに一石二鳥。運動不足の解消に大いにお勧めしたい。”(3月23日付け中日新聞)
三重県四日市市の・西脇さん(男・82)の投稿文です。ノルディックウオーキング、ボクもこの効果を知り一時してみたことがある。確かに全身が動き効果はある。でもボクは、ポールを持って歩くとつい早く歩き過ぎてしまう。両手が使えない不便もあって止めてしまった。もう10年以上も前のことである。でもこの西脇さんの文を読んで、ポールはある、再開してもいい気分になった。今なら当時と違う気もする。杖代わりの安心感もあろう。
そして朝のウォークにポールを持って歩いてみた。何の違和感もない。上半身は確かによく使う。単なるウォークより鍛えられるだろう。ゆっくり歩けばいい。もう1週間以上になる。今度は続けられそうである。「話・話」 がまた役立ちそうである。