“木曽川に残る最後の渡船場「県営西中野渡船(中野の渡し)」(一宮市西中野)で17日、乗船体験会があった。家族連れなど約20人が参加。400年以上続く渡し船の歴史に思いをはせた。中野の渡しは県道羽島稲沢綿の一部で、一宮市西中野一岐阜県羽島市下中町の約1キロを片道約7分でつなぐ。歴史は戦国時代にさかのぽるといい、長く生活の足として親しまれてきた。付近の新濃尾大橋の開通を機に来年3月に県道としての役目を終える。
乗船会は、一宮市尾西歴史民俗資料館で31日まで開催中の企画展「中野の渡し~木曽川最後の渡し船~」に合わせた。申し込みが殺到したといい、担当者は「渡船への関心の高さがうかがえる。連綿と続いてきた渡船の歴史を知ってもらえたら」と話す。参加者は船頭から説明を受けてライフジャケットを着て乗船、短い船旅を楽しんでいた。家族と乗った市内の加藤幸男さん(71)は「川を渡る機会はなかなかない。波も静かで風情があった」と笑顔を見せた。”(8月18日付け中日新聞)
記事からです。新濃尾大橋が開通し、西中野渡船は今年度で廃止である。こんな記念の年となり、西中野渡船についていろいろ話題になり、企画もされている。そして渡船存続の要望も出ている。この企画もその一つである。一宮友歩会でも、昨年12月の例会でこの渡船乗船の機会を作った。多くの人に乗ってもらい、楽しんでもらった。
橋に比べれば何かと不便な渡船は、橋に替わられるのは自然、地元の発展に繋がる。新濃尾大橋の完成は大きな喜びで迎えられた。そして渡船をなくす目的の橋である。完成すればなくすのが管理者としての県の姿勢である。残すには当然経費がかかる。一時の人気や感傷では残せない。民間事業として成り立つのか、また税金を使うとすれば多くの人が納得するだけの価値はあるのか、存続要望もあって今後いろいろ検討されるだろう。ボクは地元である。関心を持ってみていきたい。