“毎年2月になると、わが家の玄関のげた箱の上におひなさまを飾ります。娘がいない私は15年前、自分用にとびょうぶとぼんぼりだけの親王飾りを購入。まだスペースがあったので親王飾りだけでは寂しいと2年前、ネットでミニチュアの飾り物を探し、左近の桜、右近の橘、御所車、御駕龍などの7点セット、ちりめん製の祝い膳、宝石箱、巻物セット、ひし餅、ひし高三方を買いました。
 わが家には多くの人が訪れますが、おひなさまに気付き「わー、すてき!」「本物そっくり」「かわいい!」と言ってくれる女性も。それらの言葉をいただくとうれしくて、次の月は何を飾ろうかと楽しくなります。華やいだ春の訪れはもうすぐそこです。”(2月25日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・武田さん(69)の投稿文です。玄関の下駄箱の上の活用です。多くの家の玄関には、同じように下駄箱が置かれているだろう。武田さんはその上におひな様を飾り、楽しんでおられる。置物を置くにはちょうどいい台です。玄関ですからその家の顔です。武田さんほどでなくても、ある程度は見られるものにしておきたいものです。
 ボクの家でもいろいろ活用してきました。今でも活用しています。おひな様の時代もあった。これは数年前までは続けていたが、これは面倒なことで途切れました。今新たに加わったものは気まま書である。約1ヶ月喫茶店に置いて貰ったものを次の差し替えまでわが家の玄関に置いている。これで月1回の模様替えができる。ここにも歴史がある。
 

 “夫の実家に夏ミカンの木がある。たわわな黄色い実がなり放題なのが気になり始め、いつの頃からか年明けに夫と採りに行くようになった。そして作り始めたのが、マーマレードだ。多い年で100個ほど収穫できるので習い事の仲間や遠方に住む友人たちにもマーマレードを配った。砂糖の量を抑えて甘さ控えめに作るようになると「市販品よりもおいしい」とおだててくれる人も出てきた。気を良くして作り続けてきたが、それもそろそろ終わりだ。贈る皆さんにも数年前からそう伝えてきた。
 木の管理が大変なので今年くらいには切られるようだ。私の年齢を考えればマーマレード作りも卒業していい頃。夏ミカンの木よ、ありがとう!作る楽しさを教えてくれて。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の主婦・松下さん(77)の投稿文です。ボクが屋敷畑に夏ミカンの木を植えたのはいつ頃だったろうか、随分昔のことで覚えていない。そして大木に育った。毎年100個所ではない、数えたことはないが何百であろう。妻はそのままでは食べない。ボクが自分であの厚い皮を剥くと全く悪戦苦闘、周りがベタベタになる。その後の掃除が大変で、いつ頃か妻が台所で剥いて、鉢に入れて机の上に置いてくれるようになった。そして毎日のように一つずつ食べている。
 妻はマーマレードにして食べている。そして多くは人にあげることになる。松下さんはもう終わりと考えられているようだが、ボクはまだその気はない。当分続くと思う。木1本、果物一つにもその家の歴史がある。
 

 “子どもが無事生まれてきますように、孫の受験がうまくいきますようになどと、お願い事があるたびに千羽鶴を折ってきた。三回忌を終えた夫が病気と闘っていた時も、鶴を折ることで、不安な気持ちを和らげてもらっていたように思う。
 先ごろ、これが最後だと思いながら千羽鶴を折り、仏壇の傍らに飾った。今回はお願い事ではなく、日々の平穏な生活へ[ありがとう」の思いを込めた。そんな気持ちで折っていると、これまでの人生、いろいろなことが懐かしく思い出され、一折り一折り、新鮮な気持ちで取り組めた。たくさんの人に助けられ今があることにあらためて気付かされた。毎朝、仏壇に手を合わせた後、千羽鶴に「ありがとう」と言って手を添えている。”(2月20日付け中日新聞)

 三重県南伊勢町の主婦・世古さん(76)の投稿文です。千羽鶴に願いを込める、これは日本の伝統でしょうか。いい伝統だと思います。世古さんはことある毎に千羽鶴を折ってきたと言われる。願いを込めると共に、世古さんにもいい影響があったと思います。あの細かな作業をいっしんで行う、悪いわけがありません。
 ボクの家は、妻も含めてあまり縁が無かった。ボクの行っているサロンで、もう3回折り紙教室を開きました。そんな時皆さん夢中で行います。これをきっかけに折り紙をする人が、幾人でもあれば嬉しいことです。ボクはそんなことも思いながら、また折り紙教室を頼みたい、と思っています。
 

 “私は訪問介護の仕事をしています。それを聞くと「大変だね」とか「私にはできない」と言われることが多いです。確かに、お年寄り一人一人に寄り添った対応は難しいこともあります。しかし、うれしくなることも時々あります。「お年寄りの話を聞くことも介護の一つだからね」。利用者のSさんにそう言われました。私もその通りだと感じ、記録をとりながら、また仕事の手を止めて、なるべく話を聞くようにしています。
 Tさんは転倒して脚が不自由になり、訪問介護を利用しています。ある日「人を幸福にする仕事だね」と言ってくださいました。私はしみじみとうれしくなり、その言葉を何度もかみ締めました。あしたも頑張ろうと思いました。”(2月16日付け中日新聞)

 名古屋市の訪問介護員・中山さん(女・64)の投稿文です。介護の仕事は本当に大変だと思います。なり手が増えません。なってもすぐに辞めてしまうようです。ですからボクの同級生の奥さんはなかなか辞めさせて貰えない、と嘆いています。でも、このような言葉をかけられると、嬉しくなり頑張ってしまうようです。嬉しくて頑張れれば、これはこれでいい人生です。介護される人は増えるばかりです。大変と言っても、できれば介護する側に回りたいものです。
 ボクも妻と今後についてよく話します。介護が必要になったとき、施設には入りたくない、できれば訪問介護を受けたい、結論はいつもそうなります。中山さんのような人が増えることを願っています。
 

 “昨年H月、「NHKのど自慢」の予選会に出場した。高校時代、学校の催しで全校生徒の前で披露した曲で挑むことにした。今は大御所となった演歌歌手のデビュー曲だ。1カ月間、毎日練習し、当時の彼のイメージに合わせスーツ姿で臨んだ。
 予選会場のホール入り口には出場者の応援団が列を作って並んでいた。200組が、番組に出場できる20組への狭き門を目指した。80番目となった私の出番がいよいよ回ってきた。極度の緊張で、音程を外してしまった。合格者発表で自分の番号を通り過ぎた時は天を仰いだ。
 それでも、これほど大勢の人の前で歌う機会はなかなかない。とても気持ちが良かった。日常とは違うひとときを楽しめて大満足だ。また次の機会を目指して精進したい。”(2月16日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の近藤さん(男・65)の投稿文です。NHKのど自慢は時折見ますが、その裏側は知りませんでした。近藤さんの投稿文でそれを少し知ることができました。200組で20組の出演で10倍、でも応募数はもっと多かったのでしょう。どのくらいの倍率でしょうか。出演するのは大変なことと分かりました。これも日常と違う貴重な体験です。そしてこうして語ることもできます。なんでもやってみるものです。
 これも好奇心がなければできません。あまりに野次馬的で人の迷惑になってはいけませんが、好奇心は大切です。活力の源です。もう人生は終わった、と高齢者は好奇心を失いがちです。ですから高齢者ほど必要とも言えます。先日知り合いが100歳で亡くなりました。ボクにはまだ20年あります。これからカラオケでもやって頑張ろうかな。
 

 “2年前のある朝、突然左胸に「バーン」というような激痛が走り、足がすくんだ。心筋梗塞だった。幸いにも家には消防の救急隊員である孫がいてくれたため応急処置を受けられた。後日、病院の先生から「お孫さんのおかげです。助かったこれからの人生、どう生きますか」と言われた。とっさのことで返答はできなかった。
 今、大好きな仲間たちとのグラウンドゴルフに復帰でき、家では幼いひ孫たちに癒やされて幸せだ。病気をする前まで、年齢の割にいろいろなことができるという自信があった。今は、できないことがあってもいいと、力みが抜けた。「これからの人生は贈られたもの。感謝しながら生きさせていただきます」。あの時の先生の問いにそう答えたい。(2月14日付け中日新聞)

 岐阜県高山市の加藤さん(女・90)の投稿文です。家には消防の救急隊員である孫がいてくれた、何という幸運でしょう。心筋梗塞の治療は1分1秒でも早いほうがいい、言われます。加藤さんにはまさに贈られた余生となりました。
 「助かったこれからの人生、どう生きますか」、と言われてどう返答するか、難しい問いです。加藤さんは90歳です。もう何もしなくてもいい歳です。ボクは10歳も若いです。何もしなくてもいい歳ではありません。先日の3月6日付け「話・話」 第3967話と類似の話でもあります。そこでボクは現状維持、と書きました。やはり現状維持ですね。ボクはほとんど毎日のように出かけています。そして老人会や一宮友歩会の運営もしています。少しでも長く続けること、これが最大の願いでしょうか。
 

 “小学校の教員だった父の勧めで、高校の英語の教員になった。この職業を魅力的に感じないこともあったが、教え子たちと今も続く尊い絆ができ、教員は天職だとしみじみと感じ、父に感謝する日々だ。
 就いた当時、教員の給料は良くなく、生徒指導がうまくいかないことも。だが退職後、家の購入や修理に関わる知識を教え子が教えてくれた。また結婚式の出席を求める申し出などもあった。さらに今でも教え子から飲み会などのお誘いや人生相談をされる。おかげで「今日用がない(教養がない)」「今日行く所がない(教育がない)」の心配がない。
 今の仕事に向いていないと感じる現役の皆さんは、辞めてから天職だと思えて感謝する日が来るかもしれない。だからこそ人生は面白い。”(2月11日付け中日新聞)

 名古屋市の佐野さん(男・77)の投稿文です。元教員の辞めてからの感想です。佐野さんは現職時代あまりいいい思いは無かったように感じられます。それが辞めてから天職だったと思えるようになった、ということです。ボクの若い頃は、一度就いた仕事は生涯やるものだ、それが良いと、思ってきた。周りもそうだった。ところが今の時代は違うようである。嫌だったら辞めて次の職を見つける。これが推奨される時代である。石の上にも3年などと言う諺はもう成り立たない。時代の流れもあると思うが、ボクにはどちらがどうだ、とも言えない。これも人様々である。
 でも最初から気持ちよく働け、自分の思うようにできる職場少ないと思う。ある程度体験し、理解してからの判断が賢明だと思う。まして3ヶ月で何が分かろう、と思う。
 

 “スーパーのレジで買い物の精算。この何の変哲もない行為が、時として出会いと別れの人間ドラマになり得るエピソードを妻から聞いた。
 ある日、自宅近くのスーパーの買い物でレジ待ちをしていたら、妻の前にいた高齢の男性とレジ担当の方が涙ぐんで握手をしていたそう。なかなか2人の会話は終わらず、妻はしばらく待たされることに。ようやく順番が回ってきた時、レジの方からおわびとともに、先ほどの男性はスーパーの常連客で、次の日から施設に入所するため最後のあいさつに訪れた旨を説明されたという。
 買い物という平凡な行動の中で、そんな別れもあるのかと感じ入った。そして、この2人がレジ打ちという短時間に紡いだコミュニケーションがとても貴重なものに思えた。”(2月7日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の会社員・今井さん(男・45)の投稿文です。なんと麗しい話ではないでしょうか。買い物客とスーパーのレジ係の話です。この関係ですから、ほんの少しの触れ合いです。でもこの高齢男性には、貴重な時間だったのでしょう。施設に入ることを伝え、涙ぐんで握手をする。見ていた人にはどんな深い繋がりだった思った人があったかも知れません。まさにドラマを感じます。人とのつながりの深さは、期間もものを言いますが、一瞬のことでもあり得ます。そんな思いをさせる話です。
 人は一人では生きていけません。多くの人と触れ合いながら、支えられながら生きていきます。ところが近年は一人暮らしの人が多くなりました。特に高齢者にそんな人が増えました。ボクのまわりにそんな人がたくさんみえます。1日人と一言も話さなかったと言うことも聞きます。ヒョッとしてこの男性もそうだったかもしれません。スーパーのレジ係の人との会話が唯一の楽しみだったかもしれません。ボクでもその可能性はあります。そのことも頭に置きながら、日々生活をしていかなくてはと思っています。
 

 “2024年3月に右膝を痛めて、整形外科に通い続けたかいがあり8割方回復した。だが、「これ以上は無理かな?」と主治医。なかなか全快せず焦った私に、夫がある言葉をかけてくれ、気持ちが軽くなった。
 日課のストレッチの他、週2回ほど地元の公共施設のプールで水中歩行運動、そして散歩の運動療法をこなす。だが、症状は一進一退。「こんなに努力しているのに・・・・」とつい愚痴をこぼす。すると、いつもそぱで見守っていた夫は「年は取るのだから現状維持で上等だ」と諭してくれた。目からうろこだった。努力しているからこそ、今の状態を保てていると納得。夫に感謝した。娘や孫たちに迷惑をかけないためにも、夫婦でいたわり合って暮らしたい。夫となら、きっとできる。”(2月2日付け中日新聞)

 愛知県知立市のパート・荒井さん(女・81)の投稿文です。老いたら努力して現状維持するのが精一杯です。まさにボクはそう思っています。発言欄などを読んでいると、もっとこうしたこともやれば良かった、もっと素晴らしいことができたかもしれない、と思うことは度々です。本当に人様々です。同じようにはなりません。そしてもう80歳にもなりました。今を維持するのが精一杯になりました。今さら人を羨ましく思っても仕方がありません。それこそ愚の骨頂です。「年は取るのだから現状維持で上等だ」、ご主人の良い忠告です。そして大きな努力も要りません、少しの努力で良いのです、とボクは思っています。でも少しの努力で新しいことが始められればそれはより良い、老いたからと言って何もしないのは、一番いけないとも思っています。
 

 “「ぽうじゅうごう」という言葉を知った。漢字にすると「紡拾合」。今まで紡いできた知識や技術をさらに拾い集めてどんどん合わせてみる、との意味らしい。
 私は幼い頃から、よく木の実やボタンなどを拾い集めていた。その習性は今でも。わが家の靴箱には石ころや貝殻、はたまた虫の抜け殻なんかもある。息子にはイヤな顔をされるが、たまに役立つこともあり、なかなか捨てられない。
 世の中では断捨離という言葉が流行しているが、好きではない。そこへきての紡拾合は絶妙な言葉だ。物を大切に扱う、物にも心が宿るというのは仏教的な考えなのだろうか。新しい言葉を取り入れ、実直に生きていこうと思う。時代の流れに漂ってきたが、少しはもがいてみよう。”(2月2日付け中日新聞)

 愛知県江南市の保育士・青山さん(女・58)の投稿文です。断捨離についてはもう何度となく取り上げています。今度は断捨離ではなく、紡拾合です。紡拾合、こんな言葉は知りませんでした。新たなことを教わりました。断捨離、ボクは嫌いです。残された短い時間、なんで捨てることに気を使わねばならないか、ボクの生活には合いません。そして紡拾合「今まで紡いできた知識や技術をさらに拾い集めてどんどん合わせてみる」、これは良い。
 この言葉から、ボクが最近よく書いている気まま書、これはまさに紡拾合の一つではあるまいか。いろいろなものが組み合わさっている。川柳に「話・話」 に、絵に文字に。
 それにしても青山さんの「石ころや貝殻、はたまた虫の抜け殻」には驚きます。これも趣味でしょう。人の趣味にも驚かされます。