アガベから造る醸造酒PULQUE(プルケ)の歴史と製法 ~前編(プルケの歴史)~ | 目時裕美ブログ「Happy Drink Life」

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メキシコの伝統的なお酒、アガベから造られる醸造酒「プルケ」をご存じですか?

プルケとは、メキシコ高原(イダルゴ、トラスカラ、プエブラ、メキシコ等の州)に存在する通称アガベプルケロ(アガベ・サルミアナ、アガベ・アメリカナ等)数十種類のアガベを原材料にして造られる醸造酒です。

写真:TBS「世界遺産」より

 

アガベの中央部(花茎)に穴をあけて、アココテと呼ばれる大きなひょうたんのような道具を使って採取したアガベジュースを発酵させて造ります。先住民時代には、神に捧げるお酒として供されており、神官、貴族や高齢者だけが味わうことができたと言われています。

 

3月20日から3週間にわたって開催した「テキーラジャーナル2021」のリリースセミナーで、えぞ麦酒さんからメキシコ・トラスカラ州ナナカミルパで製造されるプルケ アシエンダ1881のプルケ缶3種類が新発売することを記念して、日本ではじめてプルケのセミナーを開催しました。

 

 

プルケについては知らないことも多く、日本語での資料が全くないので、貴重なセミナーの内容を順番にご紹介させていただきたいと思います。


<コンテンツ>

①プルケとは

②プルケの歴史

③プルケが出来るまで

④プルケの健康効果

⑤プルケリア

⑥プルケアシエンダ1881について

 

 

プルケとは?
アガベ/マゲイ(アガベの別の呼び方)の”アグアミエル”と呼ばれる樹液を発酵させて作るメキシコの伝統的な醸造酒で、白く粘度があり、少しの酸味があるのが特徴の飲み物です。

アルコール度数は4度か7度程度。( プルケ アシエンダ1881は全て5% )

歴史は古く、諸説ありますが少なくとも1000年程前からはメキシコで飲まれています。

 

 

古代アステカ文明(1428-1521)ではいくつかの呼びかたがあり、

metloctli(メトクトリ)・・・metl=アガベ・マゲイ octli=ワイン 

izac octli(イズタコクトリ)・・・izac=白い octli=ワイン  

poliuhquioctli(ポリウキオクトリ)・・・poliuhqui=腐った octli=ワイン 

スペイン人の征服者たちは、この中からアガベが発酵した独特な香りから腐ったワインであるpoliuhquioctliをとり、略してプルケになったと言われています。

この時代、プルケは宗教上とても大切なお酒だったので、これらの他nectar of the gods、 el néctar de los diosesなど「神のお酒」とも呼んでいました。


ちなまたに、pulqueという言葉自体スペイン人がメキシコに着くまえに立ち寄ったカリブの島々(因みにそこからmagueyという言葉を耳にしてメキシコにその言葉を持ち込みます)で使われていたという記録があるそうです。


他方、ナワトル語octli(お酒という意味)は、先住民が酒に溺れることを嫌ったスペイン人が、実態はともかく言葉の上で、カリブ海から持ち込んだ単語pulqueを用いるように仕向けたとのことです。

 

テキーラやメスカルのように原産地呼称がなく、生産州が限定されていませんが、歴史的にメキシコ中部の盆地で主に生産されています。

主な生産地はイダルゴ州で、ちょっと古いデータになりますが、2010年(統計)の1年間で2億6千万リットル、メキシコ全体の82%に及ぶ量が製造されています。

 

イダルゴ州に続き、トラスカラ州が13.3%、メキシコ州が2.68%の割合になっており、メキシコ州のとなりのミチョアカン州やプエブラ州などでも作られています。

 

プルケの歴史
プルケの起源は諸説ありますが、最初にプルケの軌跡が見つかった証拠は約1000年前のものになります。
プエブラ州にある、先コロンブス期の遺跡チョルーラにある、「飲む人たちLos Bebedores」という西暦1000年頃に描かれた壁画に、プルケが飲まれている姿が描かれ、プルケの存在が認められる最初の証拠となっています。

※えぞ麦酒さんセミナー資料より

 別の説では、世界遺産である古代都市テオティワカンに、紀元前200年前に使用された陶器にプルケの痕跡を主張する科学者もいる。
もし、これの説が本当であればプルケは2000年以上前から飲まれていたことになります。
今後研究がすすんで、いつか解明される時があるといいですね!

 

その後、プルケはアステカ文明(1428-1521)で重要な飲み物として扱われるようになりますが、基本的には宗教や神聖な儀式に持ちいられ、一般の人が飲む事はなかなかできませんでした。

※えぞ麦酒さんセミナー資料より

また、プルケの消費に対して厳しい決まりが存在し、プルケを飲むのが許された聖職である祭司であっても、プルケを飲みすぎると厳しい罰が課せられ、場合によっては死刑になることもあったようです。

アステカ文明の衰退(1521年頃)により、プルケに対する厳しい罰則が無くなるとともに一般の人々に浸透していきます。
 

スペイン植民地時代 (1521-1821)

スペイン人によってアステカ帝国が滅亡した1521年頃から、プルケ製造はメキシコにおいて主要な経済活動の一つとなっていきます。

マゲイ(アガベ)を育てプルケを製造するアシエンダ(荘園)が繁栄し、この頃プルケはメキシコで一番人気のアルコール飲料となります。

その後、1629-1786年頃になると、奴隷化していたメキシコ先住民の健康を害したり、問題を起こす原因と判断されたため、スペイン政府によって生産も消費も禁止されました。

1786年にマゲイ(アガベ)の経済的価値に気づいたスペイン人は禁止令を解ことになります。

 

メキシコ独立戦争後 (1821年以降 )

プルケのアシエンダは勢いを取り戻し、以前以上に繁栄していきます。

鉄道の導入が後押しするようになり、賞味期限の非常に短いプルケをアシエンダから大きな街に運べるようになりました。

 

その後の1890-1900年頃がメキシコにおけるプルケの最盛期となります。

1905年にはメキシコ全土で、なんと1年に5億リットルのプルケが製造され、35万リットルのプルケがメキシコシティだけで消費されていました。現在は製造量も半分くらいになっている。

そして、この頃大きな投資によりプルケを大量生産しボトルに詰めて世界へ輸出する試みがありましたが、プルケの発酵を止めることができず失敗に終わってしまいますえーん

※えぞ麦酒さんセミナー資料より

メキシコ革命後 (1910-1917)

メキシコでは独裁政権打倒の民主革命である「メキシコ革命」が起こり社会構造・経済構造が大きく変わりました。

当時の大統領ベスティアーノ・カランサ政権は、この時にプルケを「メキシコ民族の犯罪にして退廃の元」と各印します。

アシエンダの持ち主などを海外に追放し、プルケ生産のシステムが崩れ、これがメキシコにおいてのプルケ衰退の始まりとなります。

 

また、メキシコでは徐々にビール業界を盛り上げるようになっていき、アメリカの禁酒法時代(1920-1933)にお酒を飲みにメキシコに来るアメリカ人の増加などでメキシコのビール業界が急成長していきます。

メキシコでビールを作っていたドイツなどのヨーローパからの移民によって作られているビール業界は、まだ人気のあったプルケのネガティブキャンペーンを展開していきます。

プルケは先住民の古い過去の飲み物で、ビールが新しい未来に向けての飲みものであると謳ったそうです。


なんと!!ビール業界のプルケに対するネガティブキャンペーンの一貫で、発酵を進めるために、muñeca といわれる布製の人形に、人糞や牛の糞を詰めて樹液に混ぜているというデマを広めましたドクロ叫び

残念ながら、多くの人がこれを信じることとなります。

 

ビール業界の盛り上がりに追いやられる様にして、この後プルケは再び大きな盛り上がりを見せることなく、衰退の一途をたどるのみとなってしまいました。

 

現在

一時は衰退してしまったプルケですが、ここ10年くらい、メキシコのユカタン地域で製造されるアニス(薬草)の種と蜂蜜(シュタベントゥン)を醸造してつくるメキシコの伝統的醸造酒「シュタンベントゥン」やメスカルと共に、プルケの人気が若者の間で復活しています。

 

プルケが再び若者の中で流行りを見せている原因としては、

-メキシコのスローフードムーブメントや、サステイナビリティー、ローカルカルチャーを重視する動きがプルケの特徴に重なることによってプルケが注目された。

- スペイン植民地以前のメキシコ文化へルーツを探るようなトレンドも伝統的なプルケを再発見している。

- 栄養たっぷりのプルケの健康効果も注目。

などが考えられています。
 

プルケの最盛期は、メキシコシティーだけでも1000軒以上のプルケリア(プルケ専門バー)があったと言われていますが、現在の、プルケリアは100軒ない程度。

ただ、数年前まではプルケリアには高齢者しかいない伝統的なお店のイメージでしたが、現在はプルケの再人気のおかげで、20代の若者が通うようになり、スペイン植民以前の、キシコの食文化の伝統遺産をプルケによって取り戻そうとしています。

↑メキシコシティの人気プルケリアは、アートや音楽と一緒に楽しまれ、週末にはイベントなども開催されていました。


 実際に、私が訪問したプルケリアはどこもとてもにぎわっていて、様々なフルーツフレーバーのプルケなどもあり、お洒落にカジュアルにプルケ楽しむスタイルが浸透しちているイメージでした。

 

↑グアダラハラで話題のプルケリア

 

知られざるプルケの歴史。

メキシコ伝統的なお酒として、メキシコの重要な歴史的な背景と共に、繁栄や衰退を繰り返し、またプルケの新しい時代を迎えた気がします。

 

~プルケの製法に続く~