ずいぶん前に、このブログで、
「
チューチョの家族紹介シリーズ」
を始めました
94歳で、おしゃれをして元気に歩きまわっているチューチョの母
不思議な魔力で病む人を治している、奇跡の人 娘イタリア・ジュヌエン
この二人について話して、それで止まってしまったのですが
ま、、、、、
この、きょ~~れつな二人について話したら、
もう、あとはないわ~~~ という感じでもありますが、、、、、、
でも、チューチョの兄で
もと、
トリオ・デルフィネスのメンバーであった
ホセ(ペペ)・オロアルテ
彼のことは、外せないでしょうね。
昔のファンの方からも、お兄さんはもう亡くなられたのですか?
なんて言うご質問も頂きますし、
では、今日は チューチョの兄
ペペさんのこと、お話し申し上げましょう
ペペさんは、チューチョより4歳年上です
チューチョにはもう一人妹がいるのですが、
彼女は随分と年が離れていて、母親が50歳で産んだ娘です
いやはや、メキシコの女性は、いくつになっても女を捨てません~~~
妹のことはまたお話しますとして、
チューチョは、母親が18の時に産んだ子です。
最初、それをチューチョから聞きました時に、
ふ~~~ん 若いお母さんだったのね、、、、
と思いながら、
はて? 確か兄のペペさんとは、同じ母親と聞いているけど~~~~
ペペさんは何歳の時の子なんだろぅ~~~
びっくりしてチューチョに質問しましたら、
なんと なんと なぁぁぁ~~~~~んと
14歳の時に産んだ子なのだそうです。
産ます方も産ます方
犯罪じゃないかぃ?
でも、そのころのメキシコには、そのぐらい早い結婚も沢山あったそうです
ま、日本でも昔はそういう事、ありましたものね、、、、
大昔ですが、、、、、
で、14歳の母親。
まだ自分がお人形を持っていたっていい年頃なのに、
赤ちゃん産んじゃって、、、、
自分の母親も一緒に住んでいたので、子育ては母親に(祖母)任せていたとか、、、、
兄のペペさん
中学を終ると家が貧しかったので、すぐ働きに出ました。
モールス信号の技師をしていたそうです。
弟のチューチョはとにかく子供のころから、玩具よりもギターの方が好き、といった子供で、
学校で一番歌のうまい少年。
当時のラジオ番組にも出演した程です。
やがて、弟とペペさんは趣味でデュオを組み、
パーティーなどで乞われて演奏していました。
そして音楽仲間のサモレノという青年と、意気投合して3人でトリオを組み、
セミプロとして、あちこちで演奏していました。
そこに、メキシコ、というよりラテンアメリカで最大のラジオ局
XEWが主催する
セミプロを対象としたプロへの登竜門の音楽コンクールに出場したのです。
もちろん、
見事第一位
そのラジオ局の社長自らが
トリオ・デルフィネス(三匹のイルカたち)
と、命名
輝かしいプロのデビューを果たしました。
そして、初めて発表したレコードが大ヒット。
アモール・インディオです
今でもメキシコのラジオからは、毎日トリオ・デルフィネスの歌声が流れているほどの、ビッググループに。
私も、メキシコで車に乗っている時に聴きましたよ。
現在でも、いろんなマリアッチやトリオなどのグループが、
トリオ・デルフィネスの曲をレパートリーに加えています。
「キエン・セラ」なんて、誰もが知っているラテンのの名曲も
トリオ・デルフィネスが世界で初めてレコーディングして、
世に広めていったのです。
日本でいえば、
東海林太郎か
春日八郎か、
三橋道也、
田端義男、、、
といったところでしょうかしらね?
とにかく人気者となったのです。
中南米各国を公演。
大成功を収めます。
メキシコを訪問した各国の皇族や、要人たちの歓迎レセプションで幾度も演奏。
メキシコ大統領のお供で、アメリカ合衆国ホワイトハウスへ行き、
当時のケネディ大統領 ジョンソン大統領の前で演奏。
ことに、ジョンソン大統領はチューチョ達の歌がことのほかお気に入りになられ、
何度も私邸や広大な農園に呼ばれて、パーティーで演奏していました。
また、当時の世界の第一流のミュージシャンたちと常に共演。
ハリー・ベラフォンテ エディー・フィッシャー
ペレス・プラード ドメニコ・モドゥニョ
カーメン・キャバレロ サミーデービスjr
などなど、枚挙にいとまがありません
ナットキングコールとは
一緒にラテンのLPも作りました
あらら~~~
栄光のトリオ・デルフィネスの話を始めたら止まらなくなりました~~~~
ペペさんのことはまた後日