『象の背中』という役所広司主演の映画を見た

全然だめだ

肺癌で余命半年を宣告されたサラリーマンが

残りの人生を治療を拒否して生きていく

という内容


まず、奥さんに子供2人もいるのに不倫してるのが

許せない 病気のことを長男にだけ知らせて妻には言わない

というのも最近の多い夫婦関係なのかしら

信じられないな

宣告されたその日で愛人はすっぱり断ち切って

妻や家族と過ごす時間を大切にする というのが普通の流れ

・・・であって欲しいのにズルズル引きずっているし

末期になって愛人が会いにくるが

奥さんは気づいているのに深々と礼を述べたりして

変だ

死に直面した場面だから複雑な心境

と言いたいのだろうが、その説得力も足りない

それなのに夫婦の関係は良くなっているように

描かれているし 子供の「お父さん、死なないで」

という叫びも私には白々しくて空しく見えた


自分の会社が取引を止めたことで倒産に追い込んだ会社の

元社長との再会で、路上で蹴り倒されるなんていう

かなりショックな出来事の後も愛人のところに駆け込んだりして

主人公にとっては自分の家庭や家族はそういう

心安らげる場所ではないのだということを明らかにした

にもかかわらず

もう一度生まれ変わっても君にプロポーズするよ

とはいったい何事だ


はぁー

ここまで言ったらすっきりした


サンドラ・ブロック主演の『プレモニッション』

という映画があって、こっちは少し趣旨は違うサスペンスだが

女性はまったく反対の反応だ

夫が事故死したことにショックを受けて憔悴しきっていた妻がいて、

でも夫が生前に職場の若いアシスタントと不倫をしていたのではないか

という疑惑が湧き上がってきたとたんに

私は裏切られていたのだろうか、真実はどうなのかを知りたい

という気持ちで気丈に振舞い始めるという場面があった

こっちの方が人間の感情としてしっくりくる


まだ見ておらず、これから見ようかなという人には

ごめんなさい

最後まで言ってしまいましたよ

沖縄に住んでいた頃は

カイロというものには縁がなく

存在は知っていたが

ほとんど使用したことはなかった

最近は九州でも比較的暖かい地域に住んでいるにもかかわらず

寒さに耐えかねてカイロを大量に買い込む日々だ

貼るタイプは見た目はすごくよくないのだが

温かく便利だ便利だといいながら歳をとったものだと痛感

小さい頃は寒いのなんかへっちゃらだったのに

沖縄にいたんだから当たり前か

寒いのは好きで冬も一番好きだが

本当の寒さを知らない甘ったれだと

一喝されることもしばしば


2009年になった

父のパソコンサポートセンターになった

勉強することについて考えた

今年から社会人になることについて考えた


久しぶりの更新


毎年いろんなことがあったなぁと

振り返るが

翌年もいろんなことがある

毎年そうだ


昨日はエイズキャンペーンでした。何度か話題に出ている

ピンクリボンキャンペーンに比べて影が薄かったのは

私の気のせい?日本でも増えている、というか先進国で

こんなに増加しているのは日本だけ

ということらしいです。

感染者への差別問題が取り扱われ始めてから

もう何年も経っているように感じますが

今、現在増えているのはなぜなんでしょうか。

社会学的な研究が必要だと思います。


余談ですが、少し前に公衆衛生学的な分野の研究をしてみたいな

と思っていました。エイズのような感染症を医学の立場から、

また、社会学的な背景から考える、という研究です。

実を言うとWHOみたいな世界的な機関でそういう研究が

できないかなーとちらっと考えていたのですが

WHO職員になるための数々の難関を考えて

諦めました。あ、でも調べたところによると日本人の職員数は

圧倒的にすくなくて需要はある、みたいなことを言っている人が

いましたけよ。まぁ、それなりの能力は必要でしょうが。

英語とフランス語は必須らしいです。トホホ


癌にくらべて感染症の方が努力次第で

ゼロ、にできそうな気がしますが、「キャンペーン」

という形態自体に最近は疑問を感じてしまいます・・・。


夫婦別姓について


①私個人の意見

②なぜ、制度を認めないか


①私個人の意見は


反対です。

結婚とは結局赤の他人同士がするものだし

「苗字を同じくする」という誰が見ても明らかな変化がないと

客観的にも主観的にもわざわざ結婚する、という意味が見出せない

と思うから。

あと、子供にどうして父と母は姓が違うのかという質問をされたとき

悲しい思いや嫌な思いをさせずに、そうか、と納得させるだけの

良い説明が全然思いつかない。


というわけで、夫婦どちらの姓を名のるかについては

どちらでもいいと思う。何も考えずに夫の姓になったからといって

「みなと同じ事をするやつだ」とは思わないし、

家系が途絶える、という今でもそんなこと言う人いるの?みたいな

理由で妻の苗字に決めたからって別に良いと思う。

まさか、完全平等を貫くためにじゃんけんで決めよ、とも思いません。当たり前か。


②なぜ別姓制度を認めたくないか


個人主義のこの時代に、誰がどんな苗字を名乗ろうが関係ないじゃん

同姓にしたい人はして、したくないひとは別姓にできるように

「自由に」したらいい。

といういつもの私ならこんな感じなのに今回はなぜか

認めたくない。なぜだろう。

苗字が同じ、ということに「家族である感」を見出すのは決して

時代遅れな考え方ではないと思う。

夫婦なんて他人だ、何度も言うけど。それが住居も別、姓も別、

それが「個人」を尊重した新しい家族のあり方だとは思えない。

(もちろん不本意に別居をしいられている場合は除く)

それなら結婚をしない「自由」な状態を保った方が

よっぽどいい。家族って、もっとこうウェットな面倒臭い感じの

基本的な、そして誰にでも否がおうなく付きまとうものだと思う。

それをもっとドライで風通しがよくて理屈で片付くような定規で

線が引けるようなものにする必要はないんじゃないか。

あと、女性の社会進出で・・・という意見もあるのだけど

あれもよく分からない。顧客をつかんで自分を売り込む的な仕事のキャリアウーマンが

姓をそう簡単に変えられない、という話なら

便宜上もとの姓をそのまま使っていい、ということを職場が認めればいいだけ。

それくらいの配慮は簡単にできるでしょう。


姓が同じというだけで家族が家族たりえる、とは思えない。

けど、あえて別姓を選ぶことで達成される家族の形もない、と思う。


※今回の話題はただの気分ですー。

私の周りに強力に夫婦別姓を推し進める人がいるわけではありません。

ただ、友人のブログを読んで家族について考えた時に切り口として見つけただけです・・・。