前回の続きです
早速、上宮を目指して、宝満山登山開始です
宝満山は、標高829m、決して低くない山ですが、県内で一番人気の山だそうです
宝満登山が恒例となっている近辺の学校は多く、学生時代に登山したことがある方は結構いるのでは?
ウチの弟は、高校時代、しょっちゅう登らされ、キツかったことしか覚えてないと言ってました
~宝満山登山案内から地図お借りしました~
竈門神社の左奥へ続く道を潮井川に沿って数分進むと
道沿いに鳥居が見えます
本日はお邪魔いたします、よろしくお願いいたします
8:30過ぎスタート
鳥居の先は、緑のトンネル~
木々と一体化しています
『貝島合名會社』~筑豊御三家の一つ、後の「貝島炭礦」の奉納
県内のあちこちの神社の鳥居や石灯籠に、炭礦会社の方々の名前を見かけます
左側は、下宮入口付近にあった
『式部稲荷社』奥院
古くはここが本宮で、元々の奥宮は中宮跡の先、羅漢道に本来の奥院があるそうです。
当山建立の玉依姫御鎮座以前からあるらしく、古くから信仰されているようです
右側には山から流れてくる
『潮井川』
昔はここで身を清めてから、山に入っていったそうです
不思議なことに、水が流れてる一枚岩の色がグラデーションに色付いて綺麗
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
川のほとりには『祓戸神祠』
朝陽が差し込む林
清々しい
階段の向こうがまぶしい
光に向かって進む…
なんだかワクワクしてきます
石段きました~
『一の鳥居』二合目
延宝7年(1679)長い戦乱で荒れ果てていた宝満山の復興に尽くした衆頭「平石坊弘有」が
勧進し、三代目藩主黒田光之公が建立。
座主 平石坊 法印 弘有
大県主筑前大守 松平光之公(黒田光之公)
おや、見覚えのある狛さん
二日市八幡宮や天拝山社の狛さんと同じ顔
同じく、武石政右ヱ門さんが奉納されていました この方は、二日市温泉「博多湯」を運営されている会社の創業者でした
この回でも紹介してますが、大好きな温泉で、時々利用してます
面白い形の根っこの向こうに、木の芽
まだまだ、石段が続きます
『休堂跡』 三合目
水場に到着宝満山の美味しい水を水筒用に頂きました
付近で平安時代の瓦も発見されていることから、古来からここに休堂があって、太宰府の内山、宇美、北山方面からの登山道の合流地点であるここで皆さん一休みしていたようです
今もある「北谷道」への案内板
カッコイイ大木がいっぱい
スポットライトのように木立の中に射し込む朝日
山の中がファンタジーの世界のよう
『殺生禁断』の碑 五合目
霊山である宝満山の聖域内での殺生=狩猟を禁じた標石。
途中、ちらっとみえた景色
眼下に四王寺山、その向こうに市街地、博多湾に浮かぶ能古島
結構登ってきてる~
ば~ん 巨大二又の木
吉田屋敷跡 六合目
「百段ガンギ」の手前付近に、宝満二十五坊の一つ、浄行坊がありました。明治維新後、山伏達は、山伏を辞めて下山をしなければなりませんでした。 「吉田」と名乗られた浄行坊の子孫は、その後、竈門神社の神官として奉仕し、最後まで山に留まって浄行坊跡=吉田屋敷で生活していたそうです。 右手に浄行坊墓所(六合目)の案内柱が立っています。
来ました~宝満山名物と言われる
『百段ガンギ』
~雁木=鳥の雁が斜めに並んで飛ぶ様子が階段の形に見えるため、このように呼ぶ~
(ウィキペディア参照)
今までの石段と違って、整えられて綺麗に並んでいるので、ガンギと名付けたんですね
当時の作った人や利用する人の石段に対する誇らしさも感じます
江戸時代に出来たらしい石段で、数えた人が結構いて、本当に百段あるそうです
立派な笹の葉が石段脇に生えてました
「百段ガンギ」の左右には宝満二十五坊という坊跡がたくさんあり、この辺り一帯を
『西院谷』というそうです。山伏さんたちがこの辺りにたくさん住んでいたんですね
キッツい石段~を、登りきると、左右に広がる開けた場所に出ました
『閼伽の井あかのい』
宝満山の神仏に奉献する清浄な水を閼伽香水と言います。 山中の灌頂や祭典・儀式などには閼伽の井より、神や丑の刻に浄泉を汲み使用されております。 般若心経を読経し、閼伽香水を供えて心願をお祈りしたら、その霊験たちどころに顕れたと言う(神聖な)霊泉であります。 宝満宮 竈神社
登り詰めた奥の左右に石に囲まれた水場があり、元はこちらの右側が『閼伽の井』とされてたそうですが、
今は左奥の石仏が祀られている方に看板があります。
井戸の左奥、ひらけた空間、二十五坊の
「岩本坊」「福蔵坊」跡
「閼伽の井」の前はちょっとしたお花畑
ミスジガガンボとアリンコとミゾソバの花
ミズヒキ
ミゾソバ
ツリフネソウ
![コスモス](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/058.gif)
「閼伽の井」広場の右手に趣のある石造りの廃墟?
『岩窟ホテル跡』
昭和4年創業の松屋百貨店(のちのマツヤレディス)が、紀元二千六百年(1940・昭和15年)を記念して建設予定だったホテル。
未完成のまま、入口に石柱が残るのみ。
「福岡市」と見えますが、なんて書いてあるかよくわからない
長くなったので、次回へ続きます
今回も最後まで読んで頂いてありがとうございました