前回の続きです
『榎社』を出発してから、約1時間経過 17:30頃
新町通りの突き当り付近、天神様通りに出る手前で、警察や消防の方も一緒に
水分補給のご休憩
のど渇きますよね
「天神様通り」に出ました
今ではおみやげやさんで賑わう天満宮門前町参道は、かっての『大町旅館街』
江戸時代には『さいふまいり』の参詣者で大変賑わいました。
今も一部当時の風情を感じる通りで、タイムスリップしたみたい
太宰府駅前交差点🚥
背後からの夕陽と、青空にたなびく雲、朱い傘の色が映えています
駅前で御輿車からお神輿を下ろし、再び人力で担ぎます
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
突然現れた平安絵巻のような行列に、皆さん興味津々です
門前町参道、かっての『大町旅館街』には各藩や幕府の定宿がありました。
そのうちの一つ旅館『泉屋』は、現在、太宰府天満宮御用達の御菓子処
『梅園』
幕末の志士「中岡慎太郎」も滞在した記録があるそうです
『梅園』さんの前
『梅園』さんと言えば、青しそ風味の求肥餅『うその餅』
小さい頃、ときど~き買ってもらえて、
この『うそ鳥』を姉弟で取り合いっこした思い出があります
ご時世にあわせてこんなデザインの鷽人形もあるみたいです
今のお気に入りは『宝満山』
とってもさっぱりした甘さの淡雪のような上品な口当たりです
他にもいろいろ、素敵なお菓子があります
太宰府さんの楠を頂いて、彫られた鷽さん 店先で迎えてくれます
お店の方もとても親切な方々で、歴史のことも含めていろいろ興味深いお話を聞かせて
頂けました。 本当にありがとうございました (今年の5月頃)
馬場休輿所着
鳥居
の手前、神域に入る前に、昔ながらの『はたき』で、お神輿のほこりとりをされています
この時に與丁(担ぎ手)は、再び草鞋を脱いで裸足になります
夕陽にお神輿が輝いています
『浮殿』へ入っていきます
浮殿の手前の大楠さんが見守ってます
浮殿献饌祭
演奏前、『笙』を六角箱の中の火鉢?ヒーター?で温めているようです
リードが湿っていると音が出ないので乾燥させておく必要があるそうです
朱い長持から運ばれる献撰の中に、変わった形のものがありました
潰したお米を輪っかのカタチにした、天満宮独特の神饌だそうです
與丁(担ぎ手)さん達のお祓いの後、本殿へと向かいます
手前で雅楽を奏でていた若い神職さん達は、さっきまで着ていた狩衣を脱いで畳んで、素早く移動の準備をしていました
西の空に、細く立ち昇る雲と 宵の明星
鳳凰と雲
太鼓橋を渡ります
夜の本殿へ
還御の儀・本殿還御祭
御神輿到着 本殿は消灯され、御神霊が戻られます。
竹の曲(たけのはやし)(県指定無形文化財指定)
太宰府門前町六座(昔の米屋座・鋳物屋座・鍛冶屋座・染物屋座・小間物屋座・相物屋座)により連綿と受継がれ、御神幸祭に奉仕するようになったのが竹の曲の起こりです。
前回の金掛天満宮の古川家は、この六座の米屋座でしたね
いつもお賽銭箱が置かれている場所が舞台になっていました。
竹の曲『ささらの舞』
「ささら」・「絞め太鼓」・「横笛」の三楽器が用いられ、頭に牛の角のような冠を被った小学生くらいの男の子による、竹でつくられた『びんささら』の奏楽
ささら~ウィキペディアから画像お借りしました~
こんな感じの竹製のもので、動かすたびに「シャラ、シャラ」と鳴っていました
竹の曲『扇の舞』
地謡と掛け合いで、竹にちなんだ歌詞を謳いながら舞います。簡素ですが、天満宮の伝統と共に受継がれてきた古典芸術の品格を感じさせます
19:30頃終了、御扉が閉じられ 『おかえりなさい』
御本殿向かって右手に置かれていたお神輿
御御輿さんも、二日間、お疲れ様でした
静かな夜の太宰府さん
とても素敵な儀式に参加させて頂いて、ありがとうございました
今年の縮小された規模も身近に感じられて良かったですが、本来の牛🐄さんや🐴さん、奉仕の人々が平安の京の華麗荘重の神幸の様式、衣冠(いかん)、直垂(ひたたれ)、大紋(だいもん)、狩衣(かりぎぬ)、白丁(はくちょう)など古の服装での、どんかん祭りを再び観れる日が来ることを願っています
今回も長いこと、最後まで読んで頂いてありがとうございました
次回は『宝満山・竈門神社』を案内します