前回の続きです
かなり間が開いてしまって、すみません
九州国立博物館
九州国立博物館は今から17年前、
平成17年(2005)10月に開館しました
元々は、菅公千年祭記念の明治26年「鎮西博物館」設立が計画され、内務省の許可も下りていたところ、日清戦争勃発のため、凍結
その後、岡倉天心が古来から外交の要として九州に博物館設置の必要性を主張
昭和46年には建設用地を確保(約17万㎡のうち、14万㎡は太宰府天満宮から寄贈)
ホントに長~いこと、いろいろあって、たくさんの人々の尽力があってついに、開館
天井が高い~、空港みたい
国立博物館として新規オープンは、1897年京都国立博物館以来、108年ぶりだそうです
天満宮に隣接しているので、初詣と一緒に元旦から観覧できます
その代わり、12/24~31まではお休みです
以前は、毎週金・土「夜の博物館」として
20:00まで開館してましたが、
コロナの影響もあり
現在は通常通り9:30~17:00までです
1階 エントランス
ミュージアムホール
事前申込で無料聴講できます。
②に参加しました
各展示会毎に、結構開催されています。
あじっぱ
~体験型展示室
こども専用かと思っていたら、大人も入場できるそうです
飾り山笠・常設展示
表・羅生門鬼退治勇
人形師・中村信喬氏は櫛田神社の飾り山の製作者でもあります
毎年天満宮の干支人形も製作されておられます
ちょうど同時期に宝物殿で親子展が開催されていました
中村人形四代にわたる素晴らしい作品たち、
後日紹介しますね
見送り:奇襲桶狭間の戦い
人形師:白水英章氏は地元近くの那珂川市在住の方で勝手に親近感を持ってます
博多山笠「舁き山」行事開催決定
3年ぶりです
今年のGWは、博多どんたくも5/2から開催
熱心な方ではないけれど
毎年当たり前に生活に溶け込んでいたお祭りなので、やっぱり嬉しいです
町に活気と賑わいが戻って、皆が笑顔で過ごせますように
ミュージアムショップ
過去のトピック展の図録・オリジナルグッズ、おみやげ品販売。掘り出し物もあります
エスカレーターを上ると2階の展示階
最澄と天台宗のすべて
伝教大師1200年大遠忌記念 特別展
最澄さん没後1200年の昨年2021年、東京国立博物館を皮切りに巡回中。
4月12日から現在は京都国立博物館で開催されているようです
開催地毎に、若干展示物も違う様で
福岡では国宝24件、重要文化財68件を含む約120件の展示。
漫画『阿・吽』とのコラボポスター
おかざき真理氏が描く最澄と空海の物語・全14巻
潜在意識の中で繋がる二人の世界に引き込まれます(画像お借りしました)
読み応えありました~
今回は九博発行の『Asiage』vol.63を基に紹介します
伝教大師坐像 滋賀県・観音寺所蔵
入ってすぐお迎え頂いた頭巾姿の最澄さん
隋の天台宗の開祖:天台大師・智顗も同じような頭巾姿で描かれてました。
天台法華宗年分縁起 滋賀県・延暦寺所蔵
最澄さんの『山家学生式(さんげがくしょうしき)』=三部(六条式・八条式・四条式)の総称
『天台法華宗年分学生式(縁起)』
(六条式)の冒頭部分
国宝とは何物ぞ
宝とは道心なり
国の宝とは何か
宝とは道を修めようとする心である
道心ある人を
名づけて国宝となす
この道心を持っている人こそ
社会にとってなくては
ならない国の宝である
故に古人言わく
ゆえに中国の昔の人は言った
径寸十枚
是れ国宝に非ず
直径3センチの宝石十個、
それが宝ではない
一隅を照らす
社会の一隅にいながら
社会を照らす生活をする
此れ 則ち 国宝なり
その人こそが
なくてはならない国宝の人である
『山家学生式』は、最澄さんが法華経を基とする日本天台宗を開くにあたり、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを著述され、嵯峨天皇に提出されたものだそうです。
引用させてもらいました
『一隅を照らす』
天拝山の麓・武蔵寺に掲示されていたポスター(2020年12月)
菩薩遊戯坐像(伝如意輪観音) 愛媛県・等妙寺蔵
このチラシの仏像に一目惚れ
何 このポーズ
片膝を立て 岩の上で寛ぐ姿~
涼やかな凛とした目つき
醸し出される気品
全てにキューンときて
絶対に行くと
今回一番の楽しみでした
60年に一度だけ公開される愛媛の仏
向かって左下から見上げると
玉眼が微かに輝いて 本当に綺麗
今回の展示にあたり、新発見
損傷や内部確認の為、調査したところ
なんと、首の内部に八角柱の五輪塔(高さ5cm、幅2cm)が新たに見つかり
さらに、この塔内に直径1~3mmの舎利が20個ほど確認されたそうです
すぐそばに展示用に作られた模型もありました
性空上人坐像 兵庫・圓教寺
36歳で出家し、九州の霧島・背振山などで修行した性空上人。 高く盛り上がった頭部内にあるガラス製の壺には、舎利(遺骨)が収められている?!
霧島神宮の旧参道・亀石坂を下ったところにひっそりと性空上人のお墓があります。
ふと思い出して、懐かしくなりました
大黒天立像 福岡・観世音寺
中国へ渡る前、太宰府の竈門山(宝満山)や香春岳など九州北部の山々を巡った最澄。
福岡とも深いつながりとご縁があります。
見覚えのある大黒さんが
普段は観世音寺の宝蔵に安置されています。古式姿の大黒さん、本来のヒンドゥー教の破壊の神シバ神の異名マハーカーラ(マハーが大、カーラが黒)の忿怒の形相、スリムでシンプルな姿、樟の一本造。一度見たら、忘れられないインパクトある仏さまです
~撮影可能な展示コーナー①
千日回峰行
展示パネルの紹介
千日回峰行は、数ある延暦寺の修行の中でも、最も厳しい行の一つ。不動明王に近づくための修行です。回峰行者は夜中に出発し、比叡山の峰々にある定められた250ヶ所ほどの神社、仏閣、霊木、霊石などに祈りを捧げながらひたすら歩きます。一日歩く距離は7里半(約30km) 満行までの総距離は、なんと地球一周分にも匹敵、その過酷さから、この行を達成したのは記録が残っている信長の焼き討ち(1571)以降、わずか51人。
回峰行の始祖:相応和尚は平安時代前期に活躍。円仁の弟子となり、厳しい修行を行いながら、天皇や貴族の求めに応じて数々の験力を示し、彼らの厚い信頼を得ました。その後、葛川(現・大津市坊村町)に籠って修行し、生身の不動明王を感得、貞観7年(865)比叡山東塔の南に無動寺を建立した。
比叡山延暦寺データ
標高848m 総敷地面積500万坪
三塔(東塔・西塔・横川)エリアに分かれ、16の谷があり、東塔・西塔エリアに各5つ、横川エリアに6つある。点在するお堂は100以上。
高野山は約867~900mと云われているのでほぼ同じ位ですね
千日回峰行の道順①比叡山
総距離7里半(約30km)、昇降が激しい山道。無動寺明王堂を午前2時出発、歩き始めます。ときおり見下ろせる琵琶湖や市街地を望む景色に癒されますが…。
千日回峰行万行までのスケジュール
千日回峰行は、毎年3月下旬にスタートします。 100日歩く年は7月初旬まで、200日歩く年は10月中旬まで、雨が降っても、台風が来ても、病気になっても休まず歩き続けます。
いったん行に入ると止めることは出来ません。途中で断念したときに自ら命を絶つための紐も持ち歩きます。
~一年目~三年目まで毎日七里半(約30km)を100日連続~
【一年目】第初百日 1~100日 比叡山
笠は手に持つ 裸足に草履
仏教では八は成仏 悟りの世界と考えられており、八里とすると悟りきってしまいます。
悟りに近づくために修行を続けるので、八に満たない数の七里半となっています。
【二年目】第二百日 101~200日 比叡山
【三年目】第三百日 201~300日 比叡山
~四年目から毎日七里半(約30km)を200日~
【四年目】第四百日 301~400日 比叡山
笠をいただく(被る) 足袋を履く
第五百日 401~500日 比叡山
451日~500日は百帯袈裟という特殊な袈裟を身に着ける
五百日を終えると『百帯行者』
【五年目】第六百日 501~600日 比叡山
杖を持つ
第七百日 601~700日 比叡山
【明王堂参籠(堂入り)】最も過酷な九日間
無動寺明王堂に籠り、九日間、断食、断水、不眠、不臥不動(横にならない)で、ひたすら不明王の真言を唱え続ける命がけの行です。一週間を過ぎると死臭が漂い、瞳孔が開いてくるほどの大苦行です。人間である限り離れられない食欲や睡眠欲などから離れ、人間であることを否定することで不動明王と一体化することを目指します。 堂入りを終えると『当行満阿闍梨』となる。
第六百日目からの装束
【六年目】第八百日 701~800日
毎日十五里(約60km)
比叡山~赤山禅院 ~赤山苦行~
堂入り後は 袖口の紐が紫色に
七年目の第九百日目は、京都大廻りと呼ばれる利他行(他者のために行う行)を行います。
回峰行者は夜中に出発して比叡山を7里半(約30km)歩いた後、人々のために祈祷しながら、京都市内の神社仏閣を巡り、夕方6時に宿舎へ入ります。その後、夜中の1時から来た道をほぼ逆戻りして比叡山へ戻ります。
【七年目】第九百日 801~900日
毎日二十一里(約84km)
比叡山~赤山禅院~京都市内 ~京都大廻り~
第一千日を満行すると『北嶺大行満大阿闍梨』となる
残り25日を一生かけて修行
光永圓道さん(50人目、戦後13人目)2009年9月18日の300日までの様子
直近では2017年9月18日に、釜堀浩元さん(51人目、戦後14人目)が達成されています
~撮影可能な展示コーナー②
根本中堂と不滅の法灯
延暦四年(785)に青年僧最澄は比叡山に分け入って草庵を結びました(本願堂跡)
その三年後の延暦7年には、根本中堂の前身となる一乗止観院を建設し、山内の東塔北谷にある虚空蔵尾という場所に倒れていた霊木から掘り出した薬師如来像を安置しました。以来、この像が延暦寺の本尊として厨子に祀られ、その前には御前立の薬師像と、延暦寺の創建時より1200年以上にわたって灯され続けた「不滅の法灯」が置かれています。
国宝 根本中堂(内陣中央の厨子)の再現
延暦寺の根本中堂では、厨子扉の前に御前立、向かって右に梵天、向かって左に帝釈天がならび、厨子の側面を取り囲むように十二神将が左右に6躯ずつ配置されています。
本展示では、梵天・帝釈天、十二神将のうち子神・丑神をご覧いただきます。3基並ぶ不滅の法灯は、現役を退いた先代の法灯と伝えられているものです。
左から
丑神
梵天
帝釈天
子神
丑神と不滅の法灯
『山家学生式』パネル
他にも見どころ満載でした~
特設売店で購入した品々
特別展図録
叡山香 心鎮まる香です🕯
特別展限定御朱印6種類の内『薬師如来』
最初に自作御本尊として延暦寺に祀られ
天台宗の薬師信仰の象徴
一枚一枚手書きされています
傾斜が急なエスカレーターを下って
飾り山の斜め向かいの
エントランスホールの一角で、天台宗のお坊さんが、御朱印の日付入れして下さいました
この仏像が好きすぎて、2回行ってきました
今生でまた会えるのか~?所蔵のお寺で拝観できることを願います
今、京都国立博物館で~5/22まで開催中です
帰り道は天満宮方面へ
綺麗に青空が映ってました
こちらは去年の桜の季節
桃色の様々な🌸が満開
しだれ桜の散歩道
ガラス窓にも映ってました
アクセストンネル(動く歩道とエスカレーター)から天満宮方面へ
初めて通った時はワープの中みたいで、ワクワクしました もう慣れたけど
色んな色に変化していきます
今回も遅くなってしまい
また長々となってしまって、すみません💦
本当に毎回、最後まで読んで頂いてありがとうございました
次回は~
ちょっと太宰府から離れて
最澄さんシリーズ、唐から戻って最初に建立した草庵『独鈷寺』を紹介します