こぼれ話その6「親父、家を建てる」 | 私が不倫をした理由

私が不倫をした理由

ヒステリックなモラハラ妻との、まるで地獄のような20年間の結婚生活から離婚までの記録を綴っています。

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 私がまだ未就学の時、下町のバラック小屋に住んでいました。

 

 この前ふと懐かしくなり、久しぶりに私が子供の頃に住んでいた家を、妻と見に行ったのですが、驚いた事にまだ立て壊されずに残っていました。

 

 

 ご覧になって貰えば分かるように、私が住んでいた43年前も外見は似たような物でした。(壁の周りに、波板かトタンは貼ってあったとは思います)

 部屋数は二つ、6畳と3畳の二部屋に小さな台所が付いていました。トイレはありましたが風呂は無し。近くの銭湯に家族で行っていました。

 

 このオンボロ小屋に、両親、幼い私とおばあちゃんの4人暮らしでした。当時は同程度の大きさの小屋が隣接し、そこも一緒に借りていました。家賃は一棟5千円。両方で1万円という破格値でした。

 父はそこで近所の子供達に習字を教えていました。10名弱は来ていたと記憶しています。長テーブルを幾つか置いて、そこで子供達は真剣に習字を練習していました。

 習字が終わった後に、半紙に包まれたコンペイトウなどの駄菓子を貰うのが子供の頃の楽しみでした。逆に嫌だったのは、最後に庭に置いたバケツで筆を洗うのですが、まっ黒の水の中に手を入れるのが気持ち悪くてどうも苦手でした。

 残念ながら字の上手さは、父から遺伝しなかったらしく、未だに字は下手くそな私です。

 

 自宅の軒下は土間になっており、そこに無数のカマドウマだのゴキブリだのネズミだのが住み着いていました。当然のごとく、部屋の中にゴキブリが出現などはざらでした。

 幼い時の、私の悲しい思い出を一つ。

 その日は雨だったので、私は長靴を履きました。すると、

「ぎゃー!」

 といきなり泣き出したそうです。

 驚いた母が幼かった私の足をどけて、長靴の中を見ると、そこには潰れたカマドウマがいました。

 私はこの時から、カマドウマが世界で一番嫌いな虫になりました。今でもあの長くて縞模様の足を見ると鳥肌が立ちます。

 

 そんな、おおよそ人が住む環境では無かったバラック小屋に、母は嫁ぎ、私が生まれて5歳になるまでの数年間住んでいました。

 

 

 以前から計画していたのか、それとも突然の閃きなのかは分かりませんが、父は千葉県某所に家を建てると言い出しました。

 周囲に同じ会社の同僚達が住んでいた事から、恐らく会社が買い取った土地を、安く社員に提供したのだと思います。そんな外的要因でも無ければ、住む所に全く気を使わない父は、ずっとあのバラック小屋に住み続けたかも知れません。

 

 当時私達が住んでいた下町から、新しい家までは電車を乗り継いで30分程の、東京と千葉の境辺りにありました。ただ、駅からは徒歩30分かかります。子供の足だと40から50分くらいかかるかも知れません。当時は駅前にタクシーもありませんでしたし、バスもありませんでしたから、徒歩30分の往復は、かなり大変だったのを覚えています。

 

 夏の暑い日の事でした。

 かなり完成した我が家を、父と二人で見に行きました。

 台所の窓を開け、そこに二人で並んで腰かけました。

 

「もうすぐここに住めるんだね!」

 と私が言うと、父は、

 

「楽しみか?」

 と聞くので、私はうん。と返事をしました。父は嬉しそうに笑う私を見て、柔和な表情を浮かべていました。

 新しい家が徐々に完成していくワクワク感と、これから新しい家に住めるという高揚感、そして嬉しそうな父の横で、私のテンションは上がっていました。

 

 

 父は盆栽が好きでした。

 以前の家でも、猫の額のような庭に、幾つか盆栽を置いていましたが、もっと沢山の盆栽を置きたかったのだと思います。

 新しい家では、門の所に大きな松の木を植え、庭には隅から隅まで盆栽で埋め尽くしました。一体幾らかかったのか分かりませんが、鉢一つに云十万とかかる世界らしいですから、物凄い金銭が掛かった事だけは間違いありません。

 

 父は我が家が大好きだったのだと思います。

 晩年、ベッドでの生活が主になってしまった後も、窓から見える我が子のような盆栽たちを眺め、悦に入っていたのだと思います。

 

 昨年から自宅にはほとんど帰れず、施設暮らしが主になってしまった父。そして最後は病院で亡くなってしまった父。

 きっと長年暮らした愛する我が家で、最後の時を迎えたかったのだろうなあと思います。

 

 

 

 父が亡くなった後、すっかり枯れてしまった盆栽たちを、母は業者に頼んで全て処分したそうです。

 

「せめて鉢だけでも、業者に査定して貰った方が良かったんじゃないの?」

 と私は言いましたが、

「面倒くさいから良いよ」

 と母は言いました。

 私は少しでも金になれば良いと思っていましたが、母としては父が心血を注ぎ、丹精込めて育てた盆栽を、二束三文で買い取られる事が我慢出来なかったのかも知れません。

 

 母は父が亡くなってから、父が書いた額に飾った書も捨てました。(父の師匠の書は何故か飾ってあるのに)

 盆栽も書も、きっと父親の事を思い出してしまうので、捨てたかったのだと私は思いました。それらを見る度に、父の事は嫌でも思い出してしまいますからね。

 

 盆栽が置いてあった場所を、整備して駐車場にするそうです。

 私は、駐車場なんて無駄だからそんな物を作らず、これまで通り路駐でも構わないよと言ったのですが、母としては是非そうしたいのだそうです。

 車で実家に立ち寄っても、一目見て帰る事が多いので、もっとゆっくり会って話したいのかなと思いました。

 

 母も、後どの位生きられるのか分かりません。

 前妻と結婚していた当時、母は前妻から度々怒鳴られ、又孫に会わせないという嫌がらせを何年もされました。その後は孫に会わせるも、来る度に金をむしり取っていった前妻。思えば母には迷惑を掛けっぱなしでした。

 駐車場が完成したら、これからはなるべく実家に立ち寄って、母の話を聞いてあげようかと思っています。

 

 

 

 

同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。

 批判をする前に、まずそちらに目を通して下さい。→ 中傷、反論する者に答える。