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前稿「親父その1」からの続きです。
2020年2月13日(木)
この日の午前中、父の担当医から病状の説明がある日でした。
私は残念ながら仕事で行けませんので、母が一人で聞く事になっていました。
夕方頃、仕事の手が空いた私は、母に電話を掛けました。
「もしもし。俺だけど、先生の話どうだったの?」
と私が聞くと、母は次のように答えました。
「じゃあ、先生に言われた通りに言うから」
「あ、うん」
「病状は進行性の肺ガン。他にも転移しているか調べないと分からないけど、肺ガンに関しては手の施しようが無いので、手術は出来ません。余命は半年から一年。今意識が無いのは、血中の塩分が足りないからであって、こちらに関しては点滴から塩分を少しづつ注入すれば、意識は回復するだろう。以上です」
「肺がんだったの?」
「そうみたいね。レントゲンを見たんだけどさ、肺の片方がまっ黒だったよ。あれで良く苦しく無かったね」
「ほんとだね。親父全く苦しんで無かったよね。もしかしたら、去年●●病院に入院した時は肺炎だって言われたけど、もしかしたらその時からガンだったって事?」
※●●病院は、地元でもやぶで良く知られている。
「さあ?それは分からないけど」
「でもま、意識は戻るみたいで安心したよ。余命も少なくとも半年以上はもつみたいだしさ」
と、このような会話がありました。
父は肺ガンでした。それも進行性の。
ですが、先月(1月)まで「痛い」とか「苦しい」などと一度も言った事はありませんでした。普通ガンがそこまで進行していたら、何らかの症状が出てもおかしくは無いのですが、不思議な話もあるものです。
意識障害に関して。
これは恐らくですが、施設で提供される食事は極端に塩分を控えたものだった為、それが原因で意識障害に陥ってしまったようです。血中の塩分濃度が通常に戻れば、意識は回復するとの医師の言葉に私は安堵しました。余命はまだ半年以上はあるようですし、意識が戻った父と再び会話出来るだろうと、この時は安心しきっていました。
事実、この晩にした夫婦の会話の中で、私は妻に一つの提案をします。
「とりあえず、来週の休みの日は親父の所に行かないで、家でゆっくりしようか」
と言いました。
塩分を注入したからと言って、直ぐに意識は回復しないだろうし、これから毎週のように病院通いをする羽目になるのです。せめて一週くらい体を休める為に使っても良いのでは無いか?との判断からでした。
それからの三日間は、何事も無く過ぎ去りました。
翌週、
2020年2月17日(月)
13時28分
私の携帯に着信がありました。見ると母親からの電話でした。
嫌な予感が過りましたが、接客中だったので、手が空いたら電話を掛け直そうと考えました。
数秒後、会社の固定電話に電話が掛かって来ました。
「お電話ありがとうございます。●●です」
と私が電話に出ると、母からでした。
「ああ、エル?今ちょっと良い?」
母の声は微妙に震えていました。
※同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。
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