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執筆当時は、アンチ・コメントが大量に付く事が予想されたので、書かなかったエピソードが一つあります。
このシリーズ記事は、将来長男に読んで貰いたいと思っているので、だいぶ巻き戻りますが記しておきたいと思います。
話は長男がまだ前妻のお腹の中にいる時の話になります。
前妻は話し合いが全く出来ない人でした。そして自分が100%悪いような場合でも謝罪する事は決してしない人でした。
それだけでは無く、まるで殴って欲しいかのように、私を追い詰め挑発するような言動を度々取るので、私はその度に理性が切れ、前妻に暴力を振るっていました。
あまりにも辛い体験だった為、私はその都度解離していたのだと思います。(解離に関しての詳しい説明はこちらに書いてあります→「暴力をやめた日」)
この時の出来事も、前後の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていますが、どうしてこんな事態になったのか未だに理解出来ません。
状況はこうです。
その晩、私は仕事上の大切な約束がありました。私が行かなければ多くの人に迷惑がかかるという状況です。
前妻はその時妊娠しており、お腹には長男がいました。出産間際は切迫流産で数か月入院していましたから、その前の話です。
私は仕事に出掛ける為、スーツに着替え、革靴を履きました。
前妻は晩の料理をつくっていました。
当時住んでいたアパートは、キッチンの脇に玄関があったので、丁度出掛けようとしている私と、料理を作っている前妻は同じ部屋にいた事になります。
私は前妻に、
「いってきます」
と言いました。
その後、前妻に何を言われたのか分かりません。
とても酷い事を言われたのでしょう。
私は前妻のその言葉を聞き、キレました。
理性が吹っ飛びました。
頭に血が上り周囲の音が聞こえなくなりました。
私は革靴も脱がずに土足で、キッチンで調理をしている前妻にどすどすと音を立てながら近づきました。
まるで自分が自分では無い様な、意識が少し後ろにずれて、意識の少し前を自分の体が進んでいるかのような妙な感覚でした。
そして私は妊婦だった前妻の背中を、革靴のまま蹴りました。
前妻は大げさに床にうずくまり、
「赤ちゃんが流れちゃう。赤ちゃんが流れちゃう」
と言って、声をあげて泣き出しました。
その瞬間私は、はっと我に返って、
「ごめん。悪かった。大丈夫か?」
と狼狽しながら言いました。
前妻はさらに大きな声で、
「赤ちゃんが流れちゃう」
と言って泣き続けました。
私はおろおろしながら、ごめんを繰り返していました。
私は大事な約束を交わしていた先方に、
「妻の体調が急に悪くなったので、行けなくなりました。すいません」
と断りの電話を入れました。
これだけを見ると私のした行為は、とても酷い行動だと思われるでしょう。
私もそう思います。
しかし冷静になって考えてみると、これから遊びに行くわけでも無く、仕事に行こうとしている人間に向かって、どんな酷い言葉をかければ、キレて土足のままキッチンにあがり、革靴で妊婦を蹴るという状況になるのでしょうか?
若い頃は今より感情のコントロールが出来なかったとは言え、それでも考えられない行動です。
あまりにも酷い言葉を前妻にかけられた。
それ故、私の脳がその言葉を記憶する事を拒んだのでしょう。
幾ら思い出そうとしても、その前妻の暴言も、その後どうなったのかも思い出せません。
今の妻と良く話す事なのですが、
「もしも時間を巻き戻す事が可能ならば」
というif話なのですが、妻は前妻と出会う前に戻ったら良いだろうと言いますが、私としては長男が居なかった事にはしたくないのです。
ですから、もしも今の記憶のままで時間を巻き戻す事が可能であるのならば、この頃に戻りたいなと思っています。
起こる事は無い事ですから、不毛な論議ですし、不毛な願いではありますが……。ただ、前妻と再び夫婦になるのは、吐き気を催すほど嫌ですね。
こうした暴力の数々を経て、私はこのまま行くと前妻を殺しかねないと恐怖し、一切の感情を捨て、彼女の望む通りに行動する操り人形と化すことにより、夫婦間の意見の衝突を避けるようになりました。
その私の愚かな選択により、前妻は暴走し、長男への虐待や私の両親に対する暴言へと繋がって行くのです。
※同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。
批判をする前に、まずそちらに目を通して下さい。→ 中傷、反論する者に答える。