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職場の後片付けもせず、着の身着のままで、義母が入院している病院へと向かいました。
とにかく早く行かなければ間に合わないかも知れない。
この焦りの中、途中何処にも寄らずに車を飛ばしました。
途中何度も次女から入る電話連絡。
「お姉ちゃん、もうお母さん駄目かも……」
電話を切った前妻は、泣きながら、
「とにかく間に合って欲しい」
と何度も何度もつぶやいていました。
私はアクセルのペダルをぐっと踏み込みました。
出来たら親の死に目には会わせてあげたいと私は思いました。
病院に就いたのは午後の早い時間帯だったと記憶しています。
病院の駐車場に車を止め、急いで病室へと向かいました。
義母は、普通に意識があって周囲の人達の言葉にも反応していました。
(おいおいおいおい!危篤じゃ無かったんかい!)
私は心の中で盛大に突っ込みましたが、当然の事ながら不謹慎なので黙っていました。
医師の話しによると、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、ご臨終するらしいです。
とりあえず、すぐに死ぬような事は無いからと言う理由で、交代で病室に家族がいる事になりました。前妻と私と長男(未就学)は、前妻の実家で待機する事になりました。
こんな事なら、せめて本日の業務は最後までやりたかったですし、後片付けもせずに向かう必要なんてあったのか?と多々不満や疑問はありましたが、親の死に目に会わせてあげられた事には、ほっと胸を撫でおろしました。
もしも到着前に死んでしまっていたのならば、その事を一生言われ続けられたに違いありませんので。
実家についた私達は、二階の一室に閉じ込められました。一階には親戚や家族などが待機していたからです。
前妻は下の部屋で親戚の対応に追われていました。
前妻は子供にお菓子とジュースだけは、過剰に与える人でした。
ですから長男には飲み物と食べ物はあったのですが、私の飲む物がありません。
病院に行くまでは、とにかく急いでいましたし、義母のまだ大丈夫そうな様子を見た後は、とにかくほっとしてしまい、飲み物を買う事まで頭が回らなかったのです。
この日はとても蒸し暑い日でした。
しかも通された二階の部屋には、クーラーが備え付けられていませんでした。
一時間、二時間、三時間と経過していくと、喉の渇きも限界になって来ます。
長男の様子を見に来た前妻に、私はこう言いました。
「ちょっとコンビニまで行きたいんだけど。喉渇いたし、暇つぶしの本とか買いたいから」
「はあ!?こんな時に何言ってんの?コンビニなんて行ったらさ、不謹慎だっておとうがキレるよ!」
前妻がそう言うので、私はとりあえず我慢する事にしました。
それから二時間後。
喉が渇いたと感じてから五時間が経ちました。
着の身着のまま、仕事も中途半端、後片付けもせずに急いで向かったのに、この酷い扱い。
暇つぶしの方法も無く、喉の渇きも限界に達していた私は、遂にキレてしまいました。
二度目の様子を見に来た前妻に、押し殺したドスのきいた声でこう言いました。
「俺、コンビニに行くわ」
「だから、さっきも言ったけど、駄目だって。下は親戚連中も集まってるし、私の立場も考えてよ!」
「コンビニに行けないなら、俺怒り狂って、この部屋の物壊しまくるけど、それでも良い?」
私の鬼気迫る表情に、前妻は黙りこくりました。
私は、無言のまま下に降りて、コンビニへと車を走らせました。
もう二度とコンビニには来られないかも知れないので、ペットボトル数本と漫画や雑誌、お菓子やパンなどを購入しました。
義父に何か言われようものなら、10倍にして返してやろうと怒り狂って帰宅しましたが、特に何も言われず、私は再び二階の部屋で待機していました。
深夜をまわった頃、義母の様子がおかしくなり全員集合するようにと電話による指示がありました。
その連絡を受けた家族、親族は急いで病室へと向かいました。
長男も前妻と共に病室に向かいました。
誰か一人ここに残らないといけなかったらしく、私が立候補して実家で待機する事になりました。
翌朝、義母は亡くなりました。
この後、田舎ならではの驚きの出来事がありましたので、前妻のモラハラとは関係無いのですが、続けて書こうと思います。
※同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。
批判をする前に、まずそちらに目を通して下さい。→ 中傷、反論する者に答える。