これが緑春だ! | 店舗探し.comの過去コラム

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2016/11/30

 

年間を通じて温暖な気候の某国に、旅行をしたときのことです。
公園に咲き乱れる草花や、飛び回る虫たちの名前を訊くと、ガイドさん

から返ってくる答えは

 

「それは草です。」

「あれは虫です。」

 

というものばかり。

ガイドさんは草花や虫たちに固有の名前など無いと言い張るのでした。

1年中、いつでも同じ花が咲いていて、同じ虫が飛び回っているの

なら、わざわざ名前を付けて区別する必要がないのかもしれません。
その点、日本には変化に富んだ四季があります。季節ごとに、咲く花

や活躍する虫の種類が次々と入れ替わっていきます。
ある季節にしか現れない毒草や毒虫に名前をつけることは、情報を

子供たちに伝えていくうえでも、必要なことだったのです。

青菜、青虫、青信号・・・。
日本では、長いこと「緑」は「青」と区別されずに扱われていました。
しかし、いったん「緑」と名付けられ、「青」と区別されるようになって

からはどうでしょう。

現代の日本人にとっては「緑」と「青」をまったく異なった色として使い

わけるのが当然になっています。

数字は、「0」を【0(ゼロ)】として認識し、命名されたことで、「数学」の

世界を広大に押し広げることとなりました。

「・・・そもそも戦前には、【若者】などというものはこの地球上に存在

  しなかった。なぜならば、ほんの一握りの貴族や金持ちの息子以外 

 は14,5歳で少年期が終わり、肉体的に大人になると、すぐに仕事に

 就いて結婚させられて親になるか軍隊に徴収され、【青春】をたの

 しむことなどなかったからだ。
 

 しかし、戦後の世界規模での経済成長のなかで、平均寿命が延び、

 高等教育が普及すると、就職と結婚が遅くなり、子供から大人への

 過度期が引き延ばされた。

 具体的には16歳から25歳までが【若者】という層を初めて形成した

 のだ。」 (『〈映画の見方〉がわかる本』町山智弘著より)

1955年前後に『理由なき反抗』、『勝手にしやがれ』、『太陽の季節』

など若者をテーマとして扱った映画が相次いで公開された背景を、

こう説明しています。

1955年以降、【若者】や【青春】は、社会が向き合うべきテーマとして

自覚され、その取り扱い方法や対処の仕方について試行錯誤を

繰り返すこととなりました。

戦後、平均寿命は男女とも30年以上延ばしました。
しかし、延びた寿命分の年代に対する命名は、そのあまりに早い

スピードのせいか、まだうまくいっていないように感じます。
高齢者に【前期・後期】と、あたかも人生の終焉時期が確定しているか

のごとき命名など、センスがないこと甚だしいです。

社会には用済みであるかのような高齢者への雑な扱いと、こうした

命名とは対をなしているようです。

【赤秋】という言葉があります。 


「真っ赤に燃える秋。 真っ赤に生きて誇り高く老いる」

 

という意味を込めた、俳優 仲代達矢氏の夫人宮崎恭子さんの造語

です。
【青春】の対義語を意識されての言葉なのでしょう。

しかし、どこか終末近しを想起させる言葉で、【青春】という言葉が放つ

強烈なエネルギーに対抗するだけの勢いにはやや欠けるような気が

します。

ここはひとつ、現代日本人らしく【緑春】と命名してはどうでしょう。

ここのところ、医療技術は、あらゆる病気を治療できるだけではなく、

老化現象すら克服しかねない勢いで目覚ましく進歩しています。
ひょっとすると、1年たたない内に1歳以上の寿命を延ばすほどの

医療技術の進歩が実現してしまうようになるかもしれません。
そうなれば、もはや第2の人生=余生などとする決めつけは捨て去ら

なければならなくなります。

【青春】と【緑春】。

現代人である私たちは、【青】と【緑】を違う色として扱っていますが、

なあに、元をただせば同じ色。いっしょくたに扱っても、大した違いは

ないのです。

1950年当時、日本の人口は8300万人、平均寿命は60歳でした。

今から50年後、人口が8000万人になったとしても、寿命が120歳に

なれば国力は1950年の2倍を維持できるというものです。

いつまでも終わることのない第2の人生を【緑春】時代として自覚し、

より前向きでエネルギッシュに生きる覚悟を皆が持てるように

なれば、少々の出生率低下などものともしない、希望に満ちた未来

が開けることでしょう。