『もらい泣き』 | 店舗探し.comの過去コラム

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2012/11/21

悲しい時、嬉しい時、悔しい時、辛い時、感動した時。

人は泣きます。
自分の身に起こったことでなくても、つい泣いてしまうことがあ
ります。
 
『もらい泣き』
  冲方丁著 集英社
 
『おくりびと』でアカデミー賞を受賞した滝田洋二郎監督がメガ
ホンを取った話題の映画『天地明察』の原作者である著者が、
「泣ける話」を題材に綴ったエッセイ集です。
 
「家族」「信頼」「恋愛」「病気・怪我」「動物」「死別」。

あとがきで著者が分析しているように泣ける話はこれら6つの柱の
バリエーションであることが多いようです。
笑いのツボが人によって違うように、泣けるツボもそれぞれなの
でしょう。
私の泣きのツボを刺激する話もたくさんかありましたが、その中
からひとつご紹介します。
 
『タクシーと指輪』
 
これは著者が出版社の担当さんから聞いた話です。
担当さんは結婚していますが、なかなか子供ができません。
 
“・・・そういう場合、夫がしばしば経験するように、途方もな
 く不機嫌になる奥さんに恐怖する日々であった。

 「その日も仕事で遅くなりまして。怒ってるだろうなあと思い、
 せめてものご機嫌取りに、会社の花を一つもらって帰ったんで
 すよ。」
 本社移転のお祝いでもらったたくさんの花のうち、担当さんが
 選んだのは鉢に入った名も知らぬ花で、寿命の来た葉が枯れて
 ぱらぱら落ちた。
 
 ・・・(花を持って)タクシーに乗ったところ、初老の運転手
 から
「お祝いですか?」と訊かれた。
「会社のですが、嫁へのお土産です」

 担当さんは運転手に気を許し、不機嫌な奥さんに戦々恐々とし
 ていることまで話した。 

 「奥さんも怖いんでしょうね。自分は子供が産めないんじゃな
 いかっていう不安は、きっと男には一生理解できない怖さなん
 ですよ」
 そして、
 「プロポーズのことを思い出せば、どんなに奥さんが不機嫌で
 も可愛く見えてくるはずですよ。
 私の場合はずっとそうでしたね。
 (私のプロポーズは)指輪を買いましてねえ。でも、半同棲状
 態だったくせに、なかなか切り出せませんでね。」

 それでも、やっとの思いで結婚してくれと口にした。
 
 ・・・彼女の返答は長い沈黙だった。
 やがて「考えさせて」と言ったきり、差し出された指輪を受け
 取りもせず、よそよそしい態度を続けた。
 そして一昼夜を経て、彼女が告げた答えは、

 「ごめんなさい」

 であった。
 彼にとっては信じがたい衝撃だ。2年以上も仲良く付き合い、週
 の半分は自分のアパートで一緒に生活してくれた相手だった。
 なのに、なぜ。
 理由がわからず、とにかく混乱した。
 その日を境に、彼女は自分のアパートに来なくなった。
 
 悲嘆にくれた彼は趣味のバイクをぶっ飛ばし、ある川に辿り着く
 と、「大泣きしながら川に指輪の入った箱をぶん投げた」という。
 
 しばらくして大雨があった。
 川の水が氾濫し、バイクに乗っていた彼は、水流にタイヤをとら
 れ、つまずいて濁流の中に倒れ込んだ。
 最悪だが涙も出ない。
 いっそこのまま流されて死んじまおうかと思った

 そのとき、濁流に浮かぶものが目に入った。

 信じがたいことに、彼がぶん投げた指輪の箱だった。
 一度は捨てたそれが、「何かの意思が働いて戻ってきた」そう信
 じたくなる出来事だった。

 「もう一度、彼女にプロポーズしよう」
 
 自分のアパートに戻ったら、それまで連絡も取れなかった彼女が
 部屋の前に立っていたのである。彼女はずっと待っていたという。
 かと思うと、突然、

 「私、子供ができないの」

 ようやく、彼女が理由を告げた。
 「ぽかんとなりましたよ。そんなことは考えたこともありません
 でしたから。彼女、体のことを知られれば、私と別れることになる
 っていう不安をずっと押し殺していたんです」
 彼女の告白に心から感動した彼は、その場で改めてプロポーズし
 た。
 
 数ヶ月後、二人は籍を入れた。
 子供はできなかったが、誰にも負けないくらい幸せな結婚生活だ
 った。
 
 ・・・タクシーから降りた担当さんは、ほとんど涙ぐんでいた。
 お蔭で自分も奥さんに対する愛情を再確認できた。
 そう思ったが、不思議な体験はここからだった。
 
 自宅に着き、はたと自分の結婚指輪がないことに気づいたのであ
 る。
 翌日、タクシー会社に電話したが忘れ物に指輪はなく、昨夜の帰り
 道を辿ってもみつからない。
 会社の玄関に到着したところで、ふと葉っぱに気づいた。
 一見して自分が運んだ鉢植えから落ちたものだとわかった。
 一つ拾うと、すぐ先にまた葉っぱがある。まるで自分の足跡を辿る
 ように、何枚も拾った。
 そして、まだ誰もいない朝の編集部室で、最後の一枚を拾ったとき、
 葉の下から現れたのは、自分の指輪だった。
 
 何かの意思が働いて戻ってきた。
 確かにそう信じたくなった。
 そして、実際に信じたのは、その夜、帰宅してからのことだ。

 「できちゃった」

 だしぬけに奥さんが告げたのである。
 それまでの不機嫌が嘘のような、実に晴々した笑顔だった。”
 
まだまだ泣ける話が満載です。
是非、ご一読を!