2013/6/12
「松・竹・梅」。
メニューがこのように並ぶと、松が最上で梅が3番目という印象が強く、懐具合からも小声で「梅」を注文することの多い私ですが、元々この3つに上下の差があるわけではないそうです。
「花も実もある」とは梅のことを指すと言われるほどで、梅は、才色兼備の優れものなのです。
「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」
紀貫之による歌の‘花’も梅のことです。
人心は儚く移ろいゆきますが、梅の花は昔のままの香りを放っています。
香りだけではありません。梅の実から作られる「梅干し」は、百年たっても生きていて、十分に食べられるのだそうです。
梅の魅力に取りつかれて梅仕事に半生を捧げてきた「梅おばさん」
こと乗松祥子さんに、『宿福の梅ばなし』(草思社)という著書があります。
辻嘉一氏が健在なころの「辻留」に勤めていた乗松さんは、店が移転する引っ越しの際に見つけた百年前の梅干しに出会ったことから、梅仕事にのめり込んでいきます。
『宿福の梅ばなし』には、梅の持つ魅力が余すところなく記述されています。
あとがきにこうあります。
“梅は、梅雨という一年のうちでもっともジメジメした、人をうっとうしい
気分にさせるときに、その雨を喜びとして受けとめ、 もっともよく育
つ果実です。
そのうえ、収穫されて加工する段階になると、カビがカビを呼ぶ、湿
度の高い、ジトジトした空気をピーンと浄化させる不思議なちからを
もっています。
梅雨という日本人にとって、不快と思われる季節に大きく育ち、周囲
を清々しくさせてくれる梅。
私には神さまが日本人にプレゼントしてくださった大いなる贈りもの
のように思えます。
そして梅には、清浄なる福が宿っているように思えてなりません。
・・・
「生き死にぎりぎりで、ほかのものは食べられなくなりましたが、白粥
に梅干しだけは喉を通ります、昔ながらの古い梅干しをわけてくだ
さいませんか」
と来られる方が私どものところへもけっこういらっしゃいます。
こういうことに出会うたび、梅は人間の生死のぎりぎりのところでも
お供をしてくれるのだと強く感じます。”
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
といいます。
桜はやたらに切ると枯れてしまいますが、梅は剪定すればするほど
たくさん実をつけ、試練にも強いことは証明済みです。
「人はいさ心も知らず・・・」には返歌があります。
「花だにもおなじ心に咲くものを植ゑけむ人の心しらなむ」
(花でさえ昔と同じ心で咲くというのに、ましてやその木を植え育てた人
の心が変ることなどあろうか)
梅の底力を見出し、大切に育み実を結ばせ、加工して百年も持つ保存食を作り上げたのは、まぎれもない人間の英知なのです。
値段が安いからと引け目を感じる必要など毛頭ありません。
「松・竹・梅」とあったなら、これからは堂々と「梅」を注文することとします。