ダッコちゃん | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/5/22

「木のぼりウインキー」と聞いてピンとくる方は、かなりのご年輩
とお見受けします。
 
『東京版アーカイブス ~「あの頃のニュース」発掘』
   泉麻人著 朝日新聞社
 
昭和27年から47年まで、朝日新聞東京版に載った記事の中から著者
が興味をそそられた記事を紹介し、エッセーを加えた本です。
 
「踊るパチンコ屋」(昭和27年12月25日付)

江東区にあるパチンコ屋さんが歳末サービスをかねたお客さん吸引
策として、パチンコ機械の上にしつらえた舞台で、ストリップを見
せています。
写真を見る限りでは半数以上のお客さんは舞台に目もくれずに黙々
と玉を打ち続けています。
店とお客さん、収支のほどはいかがだったでしょうか。
 
「福引景品のテレビ」(同28年7月3日付)

蒲田駅西口商店街が中元福引大売出しで大当たり特等として用意し
たのはテレビ。
当時は維持費が毎月2~3千円かかるからと当たった3名とも現品を
辞退したそうです。

商店街では代わりに現金を贈りましたが、その金額は12万8千7百円だったとか。今でもそこそこのテレビが買える金額です。
 
他にも「浅草の出前持ちレース(同30年5月22日)」とか「ソフトクリームの食べ方コンクール(同33年6月2日)」だのとレトロな味わいのある記事が続きます。
 
そういえば、ついぞ耳にしなくなってしまった言葉もありました。

「健康優良児」に「緑のおばさん」。

かつての記憶を呼び覚まし、ある感慨をもたらす言葉です。
「健康優良児」には、背が高くて均整のとれた体つき、学力優秀、
スポーツ万能な優等生が各学校から選抜されました。

 

彼らは正義感も強く、生徒会長にも選ばれるような存在で、異性にも

モテて、と、どこから見てもピカピカに輝いていました。
何一つとしてかなわないこちらとしては、うらやましいを通り越して、

ほれぼれと見上げるばかりの存在でした。

その後、不要な優越感や劣等感を生むとの批判が強まり、個人単
位の表彰は1978年で廃止されました。


明るい未来を約束されたかに見えた健康優良児とたちですが、今
はどうしているでしょう。
相変わらずスポットライトを一身に浴びて花道を堂々と歩き続け
ているのか、それとも・・・。
 
低学年のころには、横断歩道で「緑のおばさん」に会うたびに、
大きな声で挨拶をし、楽しくおしゃべりをしていました。


しかし、高学年になると、おばさんから話しかけられても仏頂面
をして無視したり、時には大人ぶって、わざと信号無視をしては
おばさんを困らせたものです。


緑のおばさんの悲しげな表情と、随分小さく見えた背中が、胸を
締め付けられるような痛みとともに思い出されます。
 
「木のぼりウインキー」は「ダッコちゃん」の正式名称です。


ウインクをする仕掛けからつけられたそうですが、マスコミによ
って「ダッコちゃん」と俗称をつけられ、そのまま定着したそう
です。
初めて知りました。