上野動物園と桜に・・・ | 店舗探し.comの過去コラム

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2014/3/20

 

ホクマンヒグマ、ホッキョクグマ、マレーグマ、ツキノワグマ、
朝鮮クロクマ、トラ、ヒョウ、黒ヒョウ、チーター、ライオン、
アメリカバイソン、インドゾウ、ガラガラヘビ、ニシキヘビ。
 
これは、1943年恩賜上野動物園(上野動物園)で、戦時猛獣処分
によって殺された動物たちです。


そのほとんどは餌に毒を混ぜての薬殺で、ほかにワイヤーロープ
を使った絞殺や刃物による処分の例もあります。
 
当初、毒殺を予定されていたインドゾウの「トンキー」と「ワン
リー」(別名「花子」)には硝酸ストリキニーネを入れた毒入り
ジャガイモを与えたものの、繊細なゾウには分かってしまい吐き
出して食べようとはしませんでした。


そこでやむなく餓死させることとなりました。

 

ワンリーは9月11日、最後まで生き残ったトンキーも9月23日に
餓死しました。トンキーの場合、実に絶食開始から30日間生き
抜いたのでした。

 

空となった象舎は資材置き場となりましたが、後の東京空襲で
焼夷弾が直撃して破壊されました。
 
今日3月20日は上野動物園の開園記念日です。

1882(明治15)年、農商務省所管の博物館付属施設として開園
しました。日本で最初の動物園です。

 

1923(大正12)年の関東大震災では、正門の門柱が1本倒れた
ほかは大きな被害はありませんでした。
被害が少なかった上野の山には10万人の避難者が身を寄せたと
そうです。

 

そうした事もあって、翌年、皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を
記念し、上野動物園は上野公園とともに東京市へ下賜されました。
正式名称に「恩賜」とつくのはこのためです。
 
上野恩賜公園(上野公園)内、西郷隆盛銅像の後方に「時忘れじ
の塔」という平和祈念母子像があります。
 1945年3月10日に起きた「東京大空襲」の犠牲者を悼む慰霊碑で、
エッセイストの海老名香葉子さんが建てたものです。
 
その日、房総半島を経て飛来したB29 は、午前0時8分から一斉
に下町を襲いました。来襲したB29は325機といわれ、実に1700
トンもの高性能焼夷弾を投下したのです。
民家で密集している下町には逃げ込める場所が無かったため、
多くの人が上野の山を目指しました。

 

しかし、たった2時間の爆撃で10万人以上もの方が犠牲となって
しまいました。

翌日からは、焦土と化した下町から夥しい数の遺体が運ばれて
来ました。この慰霊碑の付近の道端にも、米俵や筵を掛けられた
遺体が並べられたのです。
海老名さんもこの大空襲で両親や兄弟など家族6人を失いました。
 
桜の季節が近づいています。
 
東京は例年よりやや遅めとの予報ですが、早ければ来週あたりに
は開花宣言が聞かれるかもしれません。
上野の山にも多くの見物客がお花見に訪れ、満開の桜の下で宴会
を繰り広げることでしょう。
 
しかし、艶やかに咲き乱れる桜の木が根を生やしている大地には、
これまで多くの犠牲となった生きもの達が眠り、桜が地中から
吸い上げる養分には、犠牲者が流した血や涙が混じっているの
です。

 

桜の花を見るたびに、美しさに見とれる心の一部がざわつくのは、
こんなところに原因があるのかもしれません。