待ちぼうけ | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/1/11

たとえば冬の夜の公園で・・・

妙齢の女性が恋人を待っています。
約束の時間はとうに過ぎているのだけれど、絶対に彼は
来てくれるはずだと信じたい彼女は立ち去ろうとはしま
せん。

花を摘んで、来る、来ないと花びら占いをしても、来な
い方に決まりそうなときには無かったことにして別の花
でもう一度やり直しをするのです。

木枯らしは容赦なく吹きつけますが、手をこすり合わせ、
足踏みをしながら、彼女はその場を動こうとはしません。

やがて、雨が降り出します。

傘を持っていない彼女は、濡れるに任せたまま体をぶる
ぶる震わせています。空を見上げる彼女の顔にも雨は降
り注ぎます。
涙も流れているかもしれませんが、雨と見分けはつきま
せん。
寒さと疲れで、彼女はとうとうしゃがみこみ、ついには
気を失ってしまうのでした・・・。

映画やテレビドラマで、同じようなシーンはこれまで
無数に作られてきました。供給が途切れなかったのは、
それだけ多くの需要があったということです。

待ち合わせをすっぽかして、彼(彼女)は来てくれない
のではないか?

期待と不安のないまぜになった胸キュンの甘酸っぱさは、
携帯電話が普及する前に年頃だった年代の人なら、誰も
が味わったことのある、青春の1ページを飾る想い出な
のです。

待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木のねっこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
しめた、これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ

北原白秋が作詞した『待ちぼうけ』は『韓非子』の中に
ある説話から録られたものです。
労せずしてウサギをものにできたことに味をしめて、努
力しないでうまい収穫にありつこうとすることを「守株
待兔」というそうです。

待ちぼうけ、待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野の箒草
寒い北風木のねっこ

かつての成功体験にいつまでもこだわって進歩のないこ
と、古い習慣に捉われて時勢に応じた対処のできないこ
とを日本では「守株」というようになりました。

男女の恋愛スタイルはどんどん進歩しています。

携帯電話でのべたらつながっている状態では、花占いな
どやる意味がありません。
そもそも待ち合わせに遅れてくる失礼な男など、さっさ
と振ってしまうようなたくましい女性が増えたことで、
「待ちぼうけ」は恋愛用語からとうに姿を消してしまっ
ているのかもしれません。

今度こそはと期待しては裏切られ、待ちぼうけを繰り返
してきた日本の政治状況ですが、安倍政権も、あまり
もたもたしていると、政治の世界でもまた「待ちぼうけ」
という言葉は死語になってしまうかもしれません。
振られ続けてきた国民が匙を投げ、期待して待つこと自
体をやめてしまうかもしれないからです。

「あきらめ」が蔓延する社会などには、誰だって身を置
きたくありません。
少々待ちぼうけを食ったとて、まだきっと来てくれるは
ずだと期待が持続できるような、夢のある人生を生きた
いものです。

「待ちぼうけ」がある世界には、必ず【希望】が存在す
るのです。